人生黄昏時

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唐芋の伝播【3】

2022年07月07日 00時00分25秒 | 日記

  日本は世界有数の災害大国である

地震や津波、台風、大雨、旱魃などの

自然災害が度々あった

 

常食であった五穀は大きな影響を受け

その度に多くの餓死者や困窮者がでた

度々起こる飢餓対策に幕府は苦慮していた

 

備荒・救荒作物を

蘭学者の青木昆陽に命じた

 

青木昆陽は1732年に起きた享保の大飢饉で

日本全土で被害をもたらしたが

 

薩摩や西日本では唐芋が普及していたため

大きな被害が無かった事を聞き、注目した

 

青木は種芋を取り寄せ

武蔵の国小石川と下総国幕張村、上総国不堂村

 

三か所で甘藷の試作地として研究、特性

試作を行い 栽培方法を成功させた

 

栽培方法や食べ方などを記した

甘藷之記を一般向けに発表し 

 

栽培を奨励し東日本

そうして全国全土に普及して行った

 

青木昆陽の死後に起きた

天明の大飢饉や天保の大飢饉の時には

唐芋によって多くの人々を救うことになった

 

第二次世界大戦後の食糧難の時にも

唐芋は日本人の空腹を満たした

 

日本人に等しく恩恵を与えた甘藷を

普及させ貢献した

 

青木昆陽は甘藷先生、芋神様として

昆陽神社に祀られている

 

井戸平右衛門は いも代官と呼ばれ

井戸神社祀られている

 

浅見吉十郎は 甘藷地蔵として祀られ

旧暦の9月1日に芋地蔵祭りがある

 

野国総官、儀間真常は世持神社に祀られ

地元では毎年野国総官祭りが行われている

 

日本の人々に等しく恩恵を与え

甘藷を研究、特性を生かし普及に尽力、貢献し

 

現在でも尊ばれ

神社に神として祀られている

 

 

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4 コメント

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Unknown (2014biku)
2022-07-08 07:19:23
終戦直後小学校6年生、食糧難で友人と学校休んでサツマイモの買い出しに行くのが日課でした。駅まで40分位歩き、東海道線
Unknown (2014biku)
2022-07-08 07:27:58
小田急、大雄山線と各方面へ行って下車駅からも農家をあちこち歩き妹を飼っていました。その中で沖縄100号あり失礼ですが美味しくないことが鮮明に今でも記憶に残っております。しかしサツマイモの歴史を拝読し大変な力があることわかりました。
ありがとうございます
Unknown (2014biku)
2022-07-08 07:34:26
妹を飼って は いもを買って てす
Unknown (ひろし曾爺1840)
2022-07-12 07:51:33
◆👴◆Akiさん・お早う御座います。
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