tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

昨日は節分、豆撒きしましたか

2023年02月04日 13時50分18秒 | 文化社会
今日は立春です。都下国分寺では10時ごろから春らしい青空になって、立春に相応しい良い日になって来ました。

今日立春という事は、昨日は節分、皆さんのお宅では「鬼やらい」の豆撒きをされたでしょうか。
我家では家内が生協の毎週の配達に「福豆」を注文し、先週来た豆を1合の酒〼に入れて用意していました。撒くのは私の役目です。

新年は初詣から始まる日本の年中行事ですが、昔から理屈は言わずに、何となく、きちんとやっているような気がします。

やっぱり季節感というのでしょうか、時の流れに刻み目はないのですが、我々の先祖が太陽や月の動きを見て、食糧を得るための採集や栽培との関係を理解し、年、月を決め、人間の生活を自然の変化に合わせてきた知恵の原点のようなものは大事でしょう。

閏秒までは意識出来ませんが、これから日が伸びてくる、これから草木が育つ暖かさになるといった感覚で1年の始まりを感じるための年中行事は、太陽暦であれ、旧暦であれ、大事にして確り感じたいと思うところです。

今も、手紙には「季節の変わり目、健康にご留意を」などと書きますが、昔の人は、季節の変わり目には鬼が出ると思って、「鬼は外、福は内」と言って豆(魔滅・魔目)で鬼を追う払う行事を考えたのでしょう。
明治生まれの私の父は「鬼は外、福は内、鬼の眼(まなこ)を打ち潰せ」と言って豆をまいていました。

昨夕、家内に「撒くのは少しにして下さい。後が大変だから」と言われて、「了解」といって「鬼は外、福は内」と一回り「最後の戸を閉める所だけ豆を撒いたょ」と言っておきました。

今朝「一回りしたけど、鬼はいなかったよ。福の神は居ただろうけど見えなかった」と言いましたら、後から家内が「鬼がいなくて結構でしたね、福の神は見えなくてもいいでしょう。今年もいい年になるでしょう。」と言います。

家内「福は、今見えないものなんですよ。後からあの頃は良かったというのが人間ですから。」
私「・・・・・」
言われてみれば、確かに「人間って、そんなもんだな」と腑に落ちる所でした。

ところで、一歩家から外に出てみれば、世界には戦乱に荒れ果てるところもありますし、日本としても、一歩一歩戦乱の当事国なる可能性に近づいているような現実があります。

日本が「福の神」から「鬼」になれば、節分に関係なく豆ならぬミサイルが飛んでくる可能性も出て来るでしょう。

節分、立春、こうした季節の変化を、心おきなく感じ、楽しめる日本であってほしいとつくづく感じるところです。

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