tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経済政策は労使で 2

2022年11月26日 14時05分06秒 | 経済
黒田日銀総裁の異次元金融緩和路線で円レートは$1=120円と円レートの正常化を実現しましたが、これはアベノミクスの第一の矢「大胆な金融政策」でした。そしてこれは「第二の矢「機動的な財政政策」さらに第3の矢「民間投資を喚起する成長戦略」とつながるはずのものでした。

ただこれは、あまりにも図式的で、具体的な中身の解らないものでした。
今考えてみれば、本当に必要だったのは「第一の矢」だけで、為替レートが正常化(購買力平価近傍になる事)で、日本経済は自律回復が可能でしたから、政府は産業労使に自律回復を期待してその環境整備いればよかったのです。

しかし、安倍政権は、「決める政治」を旗印に政府が経済回復の主役になるべく不必要なリーダーシップを発揮してしまいました。

当時20年不況と言われた日本経済の不振の原因は、政府の経済外交の失敗による過度な円高だったわけですから、円レートが正常化すれば、「これで失敗は取り返しました、長い間迷惑かけてゴメンナサイ。後は宜しくお願いします(政府)」でよかったのです。

なのに、政府が全部やりますといって主役になったことで、民間は出る幕がなくなり「それなら政府に任せて財政出動(再建?)でも頼めばいいか」という「易きに就く」ことになった面が大きかったように思います。

そこで改めて、強いられた円高の中で民間労使がやって来た最大の問題は何だったのか考えてみますと、それは、1にも2にも「コスト・カット」でした。

日本経済のコストの太宗は人件費です。国民所得の7割強が人件費なのです。
前回も書きましたように、春闘での賃下げ、正規従業員を非正規に置き換えることで、(非正規労働者の賃金水準は正規労働者の半分以下から3分の1強ですから)それによる賃金コスト削減が大きな効果を持ったのです。

それなら、為替レートが大幅円安になったのですから($1=80円→120円)、円高になった時と反対の事、つまり賃上げはもとより、非正規の正規化を徹底して進めるのが正道だったはずです。

これが進められたでしょうか。2014年の連合主催のメーデーには、安倍総理が出席、アベノミクスについて自画自賛すると同時に、連合の賃上げや、非正規従業員の正規への転換についても必要と指摘しています。

しかしその後のアベノミクスの展開はその方向には進まず、働き方改革や、裁量労働制の拡大など、民間労使の現実の認識とは食い違う非現実的な方向で、モリ・カケ・サクラなどの全く経済成長とは関係ない事で国会は混乱を続け、年金問題などの将来不安の拡大、企業や家計を自己防衛の方向に向かわせる不安定路線を、赤字国債発行の財政支出でつぎはぎするようなことになってしまっていました。

本来、人件費を引き上げ、消費需要拡大を目指す所を、人件費は上げず、不足する需要を赤字財政で賄うという異常な政策を取ってしまったのです。

「事、志と違った」というのでしょうか、有言不実行というのでしょうか、結果は経済は低迷、実質賃金水準は低下、非正規労働者数は雇用者の4割に達しようという惨状です。

結局は政府への信頼の喪失、独断で進める政治姿勢と多くの見当違いの政策展開という実態が成果に乏しいアベノミクス以降の10年の日本経済の不振を作ってしまったという事でしょう。(コロナもありましたが)

しかし、責められるべきは政府だけかというと、その政府に注文は付けるが、自らの活動に積極性を欠いた民間労使にも反省の要はありそうです。

そうした中で、政府の方針は規制とは無縁のところ、サブカルチャーと言われたアニメ、ゲームなどの世界への進出、多くのスポーツでの世界的活躍、日本食文化の世界的な地位の確立、産業界では、国内を嫌い海外に進出した産業企業の活況(第一次資本収支の増大)など民間の自由な自主性が発揮される部門では、躍進が目立ちます。

一方、日本産業のメジャープレイヤーである経団連と連合が日本産業を背負って行う春闘では、残念ながらそうした自由闊達な活動が見られなかったのは、やはり政府が主役という状況への依存(忖度?)が強すぎたという事ではないでしょうか。

賃金決定が経済政策の重要なカギになる2023年の来春闘では、日本の産業労使が、自由闊達な議論を行い、政府は観客の一人という「労使交渉、賃金決定の世界標準」に立ち戻って民間労使の意思決定が日本経済の方向を決めるという交渉をしてほしいと思っています。

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