大梁の春雪 満城の泥 | 日野智貴の雑感いろいろ

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龍野高校生時代に使っていたブログですが、ちょっとスピリチュアル系を主に色々とリブロク中心に再開してみようかな、という感じ。

 今日は吟道教室に行った後、尊敬する政治家である衆議院副議長・海江田万里先生の著書『蘇軾』を読みました。

 この本を買った時の様子はFacebookに投稿していました。


 海江田万里先生は衆議院の副議長に就任されましたが、本当は議長か内閣総理大臣に就任するべき方です。

 私は平成24年(西暦2012年、皇暦2672年)に海江田万里先生が民主党代表選挙に出馬されて以来、ずっと海江田万里先生に総理大臣になってほしいと思っていました。

 海江田万里先生は党内融和を重視されており、敵を作ってしまいやすい私とは対極の存在です。その海江田万里先生の政治姿勢には大いに見習うべき点があります。

 今回の『蘇軾』では、新法党と旧法党との対立が記されていました。

 私は庶民の生活を守るために政治改革を行った王安石について、政治家のあるべき姿であると思っています。しかしながら、海江田万里先生は「新法党」「旧法党」というレッテル貼りを王安石が行ったことについては、次のように評価されています。

「新法」を擁護する立場の人々を「新法党」、これに反対する人々のグループを「旧法党」と呼びますが、この名付けをしたのは王安石自身だったといわれています。この話を聞いて、私が真っ先に思い出したのは、かつてわが国で、郵政民営化をめぐり、「守旧派」と「改革派」との対立構造を作った小泉純一郎氏のやりかたです。当時の政治家の中には、私が知る限り人格が高潔で有能な人物が「守旧派」のレッテルを貼られ、選挙区に「刺客」を送り込まれ、選挙に敗れて引退した議員が何人もいました。残念なことです。(海江田万里『蘇軾』70頁)

 確かに、政治家には自分の理想を追求することは大切ですが、なるべく敵を作らないように、レッテル貼りで世論を分断しないようにすることも大切です。

 海江田万里先生はそれを実践されている政治家であり、だからこそ、私は海江田万里先生を別の政党の党員である頃から尊敬していました。海江田万里先生も私が他政党にいた頃からFacebookで誕生日メッセージを下さるだけでなく、インスタグラムの私の投稿も読んでいてくださっていました。

 恐らく、海江田万里先生は私だけでなく、多くの方のインスタグラムの投稿をチェックされていたのでしょう。単なる社交辞令のメッセージだけでなく、国民一人一人の声をじかに聞こうとする素晴らしい方が、衆議院の副議長に就任されてうれしいです。

 海江田万里先生は新法党と旧法党の対立が宋の国力低下につながったことを述べ、次のように記しています。

 新法党と旧法党に袂を分かった王安石と蘇軾ですが、終生、互いの才能を認め合っています。たとえば王安石は蘇軾の詩『雪』を高く評価し、この詩に次韻して六首の詩を作っていますし、蘇軾は引退した王安石をわざわざ自宅に訪ね、詩の交換までしているのです。
 二人の政治的立場は異なりますが、それによって相手の全人格を否定することはなく、個人の才能や人格はありのまま素直に尊重する――そうした寛容の精神が、この時代の人々のあいだには存在していたのではないでしょうか。(同書74頁)

 これはついつい相手を激しく非難し、敵を作りやすい私が心にとどめておかないといけない、と思いました。

 私も海江田万里先生のような人間になれるよう、精進させていただきます。