オウム真理教の教祖死刑 | 板橋区中板橋のお米屋さんのブログ

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一日遅れながら、この記事を書いていますがワールドカップで日本が敗戦し、16強の壁を乗り越えられなかったすぐ後にオウム真理教の教祖が死刑になるというニュースが流れてきました。



死刑に関しては肯定派、否定派があって、そのどちらの言い分も分かります。

復讐を断ち切る為に死刑制度がある事や人間が人間を死刑という名で殺人を犯す事に対する否定、どちらの言い分も間違っている様には思いません。

基本的には死刑制度に関しては反対ですが、もしも自分の子供が何かの事件に巻き込まれてしまい、命を失ってしまったら…という言葉を親の立場である私に投げかけられたら、きっとその犯人に対して殺意が芽生える事もあるのは否定出来ません。

しかし、「もしも」の話しをされるのなら、自分の子供が事件によって亡くなってしまった後に、子供が「仇を取って欲しい…」というのかな?とも思います。



先日、子供から「パパが家にいない時に泥棒が来て僕が怪我をしたらどうする?」という質問をされました。

その際に「パパが犯人を探して子供に謝らせてあげるよ」という言葉を掛けた時に、子供の言葉は「犯人探すんじゃなくて僕を守ってよ」という事を言ってました。

これは敵討ちをしてもらいたい。と思うのではなく、敵討ちをしない状況を作ってね。という言葉だと受け止めましたが、もしも子供が何かの事件に巻き込まれて命を落とす様な事があるなら、それは子供の命を守ってあげる事が出来なかった自分を悔いて生きていくのではないかな?

とも思いました。

もしもの話し、子供が何かの事件によって命を失う事があったなら、その事件の加害者に対して怒りを覚えるかもしれませんが、それ以上に自分が守る事が出来なかった事に対して怒りを覚えると思います。

オウム真理教の死刑囚7人が死刑になり、地下鉄サリン事件で命を落としてしまった方々の親族の方達には大変申し訳ありませんが、本当に死刑囚7人の死刑によって亡くなった方達が浮かばれるのかは分かりません。

何故自分の子供が…?何故自分のお父さんが…?

沢山被害者の親族の方達は自分に対して、何故あの時、あの場所に行かせたんだろう…?と後悔しているかもしれません。

そうして後悔している中で死刑執行された事で気持ちが救われる方もいらっしゃると思います。

人の命を人間が裁いて良いのかは分かりません。

だからといって被害者の親族の方々の気持ち全てが分かる訳ではありませんが、許せない気持ちを持っている事も分かります。

オウム真理教の教祖が死刑になり、1つの区切りがつくのかもしれませんが死刑制度に関して何が正しいのかどうか分かりません。

 

大きな事件の首謀者が死刑執行され、また死刑について考えさせられました。

 

この問題は死刑反対派と死刑肯定派で多数決の様な形で決めて良い物かどうかも分からず私の中で永遠に解けない問題の様に感じます。

 

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