埼玉県秩父市吉田石間・半納の堂の尾根
半納集落の男性に、集落上の山中に秩父事件の戦場となった場所に見張り櫓があると聞いて堂の尾根へ登ると、木の櫓が復元されていました。
秩父事件は明治17年(1884)の農民一揆で、この地で警官が殉職したそうです。そこには大きな庚申塔と地蔵菩薩も立っていましが、地蔵は「享保七年壬寅(1722)」の造立。秩父事件の遥か前から村を見守っていました。
男性に聞いたもう一つの情報で訪ねた見張り櫓の奥に建つ神社には、稲荷大明神と岩城神社の提灯が下がっています。岩城一族の神社のようです。そして、祭壇に納められていたのは沢山の陶器の狐。半納は山の中の集落ですが、かつては多くの人々が住んでいたのでしょう。そうでもなければこれだけ多くの奉納狐が集まるはずがありません。
明治のはじめ、秩父も養蚕の産地でした。半納でも蚕作りが盛んだったようで、蚕をかうため二階家の家が目立ちます。秩父事件の発端の一つは、蚕の価格が暴落したことにあるそうです。