書評ブログ

日々の読書の記録と書評

ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治)

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著者は長年小児の発達障害外来や少年院の矯正医官を勤め、非行少年と接する機会が多かった。その経験から、非行少年の認知能力の実態や認知能力と再犯との関係の考察、そして非行少年の真の更生に向けた提言がなされている。

医師として非行少年と面接すると、彼らは普通の態度で接してくれるという。しかし、よくよく話を聞いたり検査すると、驚くべきことが明らかになる。

  • 「ケーキを1/3に分割してください」と指示してもうまく分割できない。
    カバーの絵は彼らの回答例である。

さらに衝撃的な事実が続く。

  • 漢字が読めない。文章を読んで意味を理解ができない。
    だから、矯正教育の一環として被害者の手記を読んでも理解できない。

  • 非行少年に自己イメージを聞くと「優しい」と答える。
    凶悪事件を起こし、審判を経て少年院に送致された少年が自分は優しいと答えるのだ。自分の状況を全く理解できていないのである。

その原因を深掘りすると、見る・聞く・想像するといった認知機能の弱さ、感情のコントロール力の弱さ、融通の利かなさ、対人スキルの弱さ、身体の極端な不器用さといった点で極端な特性を持っていることが多いという。著者は、それが学校や親から知的障害として認識されないまま、適切な保護や指導を受けなかった子どもが、犯罪を起こすことにに追いやられることを警告している。また、実際そう思われる事例を見てきている。

著者は、その他の調査データを踏まえ、認知機能を鍛えるトレーニングを開発し、医療少年院でも実践し、効果を上げてきたという(教材は「コグトレ みる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング」として出版されている)。これを学校教育に取り入れ、困っている子どもの早期発見と支援につなげることを提言している。

 

感想。
まず、非行少年の認知と認識、とりわけ自分は優しいという自己認識に衝撃を受けた。
認知機能の低さが非行につながる、認知機能を上げれば改善するという著者の主張については、学問的な裏付けはこれからという点は否めない。しかし、現場の先生がコグトレを取り入れる動きがあるようだ。今後その効果が検証・共有されるだろう。効果があるとわかれば、この方法で困っている子どもに支援が広がっていくことを願っている。

 

 

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栗山大膳(森鴎外)

江戸時代前期、福岡藩黒田家で起きたお家騒動(黒田騒動)の起こりと顛末を取り上げた短編小説。黒田騒動は江戸時代の三大お家騒動*1の一つ。

江戸時代には黒田騒動を扱った歌舞伎がいくつも作られたというが、現代では栗山大膳、何それ、おいしいの?という反応も無理からぬところと思われるので、騒動のさわりだけを記しておきたい

黒田長政関ヶ原の戦いにおける軍功から幕府より福岡五十万石の所領を与えられ、家来の栗山利安と強い信頼関係で結ばれていた。

しかし、長政の息子忠之は素行に難があった。贅沢を好み、お気に入りの小姓倉八十太夫を取り立て、やがて十太夫一派が藩内で悪しき権勢を振るい始める。栗山大膳(利安の息子)をはじめ忠臣たちが諫言すると忠之は彼らを遠ざける。ついに大膳が忠之への伺候を取りやめ、緊張が最高潮に達したとき、大膳が捨て身の行動に出て、ここに幕府が介入するお家騒動に発展する。ここまではよくありそうな話だが、経過と顛末は読んでみてのお楽しみ。

事実を簡潔に淡々と記す短編というスタイルに鴎外の風合いを感じる。福岡藩士が籠城を計画する場面では、藩士の配置を一人ずつ実名で記録するかのような箇所がある一方で(ここは唯一しつこさを感じた)、筋書きは何箇所か史実と異なるらしい。

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*1:伊達騒動加賀騒動・黒田騒動

みちの記(森鴎外)

鴎外が明治23年8月、信越本線沿いに信州山田温泉に旅行したときの日記。

信越本線は一部できてはいたものの碓氷峠付近は馬車鉄道で峠越えに難儀したり、変な半可通の髭男に辟易したり、大雨で鉄道が壊れて帰りに苦労したり。

洋服を着ているとどこでも優遇されるという観察も。

古文体なので少し戸惑うかもしれないが、そんな当時の社会事情が垣間見えるところが面白い。

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この日のために(幸田真音)

池田勇人田畑政治という2人の人物を経糸、昭和初期から高度成長期の経済史とオリンピック史を緯糸に、1940年東京オリンピックの挫折と1964年東京オリンピックの成功を爽やかに綴る。

作者は金融の世界からキャリアをスタートしただけあり、資金調達の話題は特に筆致が冴える。

さて、2020年東京オリンピックの開会式でピクトグラムが大きく取り上げられたが、ピクトグラムは1964年東京オリンピックのレガシーであると。これは初めて知った。

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カズイスチカ(森鴎外)

casuisticaというのは、症例集とか、臨床報告という意味のようである。

主人公の花房が医学部を卒業する頃、開業していた父親の代診をしていた思い出を語る形で展開する。おおかた鴎外自身の駆け出しの思い出が背景にあるのだろう。

父親は最新の外国の医学書はあまり読まず(読む根気を失っている)、消毒の概念さえ理解していないのだが、患者の死期は正確に当てるなど花房に敵わないところがある。その中で花房は、父親はどんな患者であれ、目の前の患者を診ることに全精神を傾けている点が自分と違っているという気付きを得る*1

その後、代診の頃の花房の症例集が3点。ネタバレは控えるが、顎が外れたが他所では治してくれないとか、息子が一枚板になったから往診してくれとか、他所で腹水がたまっている、ガンじゃないか、だから穿刺はできないと言われた患者が来たりとなかなかの活躍。

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*1:花房にしても父親にしても、それが許されるおおらかな時代だったんだなあと。

ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動(ジョン・アール・ヘインズ/中西輝政監訳)

マンハッタン計画アメリカの原爆開発プロジェクト)の参加者にはソ連側に寝返り情報を漏洩した者がいて、ソ連はその情報をもとに短期間で原爆開発に成功した、という歴史は以前からよく知られている。

アメリカは、アメリカ国内のソ連のエージェントから本国への無線通信を傍受し、一部の暗号解読に成功していた。これがヴェノナ作戦で、マンハッタン計画以外にも、多数のアメリカ人がソ連の協力者になり情報を漏洩していたことが判明した。ヴェノナ作戦の成果はソ連崩壊後の1995年まで秘匿されていたが、公開後急速に研究された。

本書では、判明しているソ連協力者の実名を明示しつつ、当時のソ連のスパイ活動の実態を明るみにしている。ソ連第二次世界大戦以前からアメリカ国内にスパイネットワークを構築し、政府内部からマスコミや産業界まで、多数のアメリカ人を協力者としていた。その主要な舞台はアメリ共産党*1だったという。

ソ連に対するイメージがあれば、ソ連ならこれくらいのことはやりそうと思うのではないか。膨大な人と金をつぎ込んでスパイネットワークを構築したソ連と、暗号を解読するまでノーガードでやられっ放しだったアメリカ双方に呆れるやら恐ろしいやら。*2

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*1:アメリカって、二大政党制だから共和党民主党しかないんでしょ、と思ったら大間違いで、国政への影響力は小さくとも極右から極左まで多数の政党がある。アメリ共産党は今も存在する。

*2:だから今の中国も、北朝鮮も、ロシアも…、という発想はかえって危険かもしれない。彼らは更に洗練されたやり方をしているだろうから。

代替医療解剖(サイモン・シン/エツァート・エルンスト)

医学の歴史を見ると、それまでの常識を覆す治療法を臨床試験によって証明することで発展を果たしたことが時々あった。

それでは、現代医学ではその効果が解明されていないとされる代替医療は、本当に有効なのだろうか?

鍼・ホメオパシー(私はこの本で初めて知ったが欧米では有名らしい)・カイロプラクティック・ハーブ療法(効果が証明されていない漢方薬もここに分類される)について、由来・哲学・歴史などを詳しく紹介し、多数の臨床試験の結果を分析してその効果と害を解明してくれる。末尾にその他の代替医療が多数集められ、効果と害が手短に示されている。その一覧から代替医療が広範囲にわたることがわかる。これが「代替」医療なのか、そもそもこれを代替「医療」として取り上げるのかと驚くことだろう。それぞれ、効果があるものはある、ないものはない、有害なものは有害と明快で読み応えもある。

そして後半は、代替医療を支持・助長する者を実名でバッサリ斬りまくる。最初に出てくる実名を見ると驚くかもしれない。きちんとした根拠に基づく批判であれば、そんな本でも遠慮なく出版できることが、本当の言論の自由なのだ。

余談だが、著者のサイモン・シンは、フェルマーの最終定理証明の物語や、宇宙論の歴史といった科学史の読み物も著しており、どれも面白い。
そして、共著者のエツァート・エルンストは、自らホメオパシーでの治療経験もある代替医療の研究医だという。それでも共著者として代替医療に科学のメスを入れたことは特筆に値しよう。

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「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく東大読書(西岡 壱誠)

偏差値35から2浪中に読書法に目覚めて東大に合格、現在は書評サークルの代表を務める著者が、本を読み込む方法論を紹介している。

ターゲットの読者層は、有意義な読書を通して知識をしっかり吸収したい人、それから「地頭の良さ」に憧れを持つ人か。

例えばこんなアクティビティが紹介されている。それぞれのアクティビティの方法は箇条書きで要領よく、具体的に解説されているので読みやすい。

  • 本の帯やタイトル、著者のプロフィールをあらかじめ調べるといった一見テクニカルなもの。*1
  • 本に対する質問や疑問を考えながら読む。
  • 類似した本を2冊同時に読みながら共通点や相違点、主張の違いを比較する。
  • 骨格にあたる論理の流れと、論理を解説・補強する肉の部分を切り分ける。
  • 章・節・本全体を要約する。特に本全体を140字以内で要約してみる、というのは以前のTwitterの字数制限から来ている(Twitter書評術!)
  • 上記のアクティビティを付箋やノートに記録する。

カバーには速く読めると書いてあるが、こんな作業をして速く読めるはずがない。ただ、内容を忘れない・応用できるというのはその通りだろう。また、本に限らず雑多な情報からエッセンスを抽出し、要約して他人に伝える能力は社会生活上重要である。この文のような書評を書くときにも役に立つ。

随所に差し込まれている推薦本は、経済や歴史に関する最新の解説本と古典が多い。坂口安吾堕落論を紹介しているあたり、なかなか興味深い。

所々に出てくる東大生の様子を嫌味に思うかもしれない。著者は書評サークルの代表であるため、周囲には読書好きが集まりやすいというバイアスもあるからと思い大目に見よう。

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*1:ただし、こういうところから情報を把握することは悪いことではなく、読書をインテリジェンス活動の一つと捉えたとき、むしろ基本といえるものだろう。

睡眠負債 『ちょっと寝不足』が命を縮める(NHKスペシャル取材班)

毎日少し寝不足気味、休日になると朝なかなか起きられない、日中眠いときは少し昼寝して目を覚ましている、自分はショートスリーパーだと思っている…。そんな人は体に「睡眠負債」が積み重なっている。睡眠負債が積み重なると、認知症やガンの原因になることが最近の研究でわかってきた。

とりあえず眠気を取って日中を過ごせばよいのではなく、毎日7時間はまとめて眠リ、ノンレム睡眠(深い睡眠)を十分取ることが重要なのだという。

2017年に放映されたNHKスペシャルの取材を基に、最先端の研究成果や研究者のインタビューが紹介されている。
そして、最後に睡眠負債を解消するためのQ&Aに多くのページが割かれている。これがわかりやすくお薦め。

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あそび(森鴎外)

官吏と作家の二足のわらじを履く木村の一日を描いた小品。…と言うとそれまでだが、二足のわらじを含め木村の設定の多くが鴎外自身に重なることから、官吏として、作家として、自身の仕事の様子や心持をこの作品で仄めかしたように思われる*1。それがタイトルである「あそび」の由来。遊び感覚が他人にはあからさまでよく非難されるというのはご愛嬌か。いかにも、日々の暮らしにあくせくすることのなかった高踏派らしい。

また、鴎外の文学に対する批評への反撃や弁明を試みており、興味深さと微笑ましさを感じる。 

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*1:もちろん、書いてあることすべてが事実ではあるまい。そうだとすれば、同僚の悪口を小説にして発表したことになってしまう。

虞美人草(夏目漱石)

夏目漱石の文壇デビュー作。デビュー作で力が入っていたのかどうかは知らないが、まさに組んずほぐれつの濃厚なドロドロストーリー。

美貌を鼻にかける藤尾が、二人の男性を翻弄する立場を楽しんでいるうちに自ら陥穽に嵌まる。その中で多くの対立項的な「二人」の関係が交錯する。対立項から主体的に抜け出した者がドロドロに終止符を打つ。

・友人の甲野欽吾と宗近、欽吾は芸術家肌で神経衰弱で療養中。宗近は外交官試験浪人中で陽気な性格。

・欽吾と藤尾は異母兄妹。母(藤尾の実母にして欽吾の義母)は欽吾を廃嫡し、藤尾に婿を取らせて亡き夫の遺産を独占しようと企む。

・藤尾と宗近の妹糸子。容貌も性格も正反対。会話をすれば女同士のつばぜり合いに火花を散らす。*1

・宗近と大学博士課程在学中の小野は藤尾をめぐり三角関係にある。しかし二人とも藤尾にいいように翻弄されている。

・藤尾と小野の許嫁小夜子は小野をめぐり三角関係にある。小野は、博士号を取ったら小夜子と別れ、藤尾と結婚しようと画策する。

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*1:宗近と糸子も「陽」と「陰」といえようが、この二人の違いを決定的に際立たせているわけではない。

坑夫(夏目漱石)

許嫁がいるにも関わらず、その妹と恋愛関係に陥りそうになったことに苦に家出した主人公。丸一日歩いていると、ポン引きに儲かる働き口が在ると誘われ、ついて行った先は銅山だった。

銅山の街は都市から隔絶され、独特の習慣や風俗が広がる空間だった*1。また新入りの主人公をいじめる荒くれ者やひねくれ者の坑夫もいれば、早く帰ったほうが良いと諄々と諭す坑夫もいた。事情があって坑夫になった者も多かった。また、過酷な坑道の見学で体力を極限まで使い果たし、精神が生と死の間で両極端に振れるような体験もした。そんな異空間での体験と心の動きが、刺激的な表現(昔の小説でなければとても出版できない)を交えながら、微に入り際を穿つように語られる

結局、誰から見ても坑夫は勤まりそうにない主人公は、健康診断で病気を「発見」される。医者も、一目見て、経歴も確認してこいつには坑夫は無理と思い、診察するふりをして引導を渡したのだろう。

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*1:葬式をジャンボーという辺り、北関東から福島県周辺だろう。足尾か日立か?当時は足尾銅山事件の余波でこの小説もセンセーショナルな受け止め方をされたことだろう。

彼岸過迄(夏目漱石)

漱石の言い訳めいた能書きから始まる。大病直後無理を避けて元旦まで執筆をやめていただの、1月から彼岸までに新聞連載を終わらせるつもりだから安直に彼岸過迄というタイトルにしただの。

大学は出たけどプー。誇大な冒険を妄想するばかりで就職活動も飽きて止めた山師的な敬太郎が周囲の人々の内面深くに立ち入ってゆく。

最初は駅員だがアウトドア派の森本の冒険談に魅せられながら、振り回される。明るい話はここまでで、この後はどんどん暗く深い人間の内面にはまって行く。

その後、就職活動のために友人須永の叔父を訪ねるところから、須永と、もう一人の叔父の松本、いとこの千代子たちの内面の傷やエゴに触れてゆくようになる。

須永と千代子の間の陰にこもった恋慕・強烈な嫉妬・歩み寄れない誤解、そして背景にある須永の出生の事情が、これでもかというほどネチネチネチネチと一分の隙もない緻密さで展開される。そして、キレた千代子と須永の修羅場は、明治時代でもこんなことがあったんだと思うほど千代子がストレート。

何人もの登場人物が語る物語が緩やかな関係を持ちながらオムニバス風に積み重ねられる形式。昔の小説だと思って読んでいると、おっ、という意外な印象を受けた。

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文鳥(夏目漱石)

漱石鈴木三重吉にそそのかされて文鳥を飼った一部始終を描いた短編。

最初はせっせと世話をしながら忙しい執筆活動の癒やしにするのだが、だんだん世話に飽きるというお決まりのパターンがリアル。そして、文鳥の姿の描写がとても細やかで感心する。

やっぱり、動物は他人にそそのかされて飼うのではなくて、自分の意志で最後まで責任を持つ覚悟を持って飼い始めないといけませんな。

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薤露行(夏目漱石)

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※薤露行収録

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「かいろこう」と読む。

薤とはらっきょうのことで、薤の葉の上に置いた露は消えやすいところから、人の世のはかないことや、人の死を悲しむ涙を薤露という。転じて、葬送のときに歌う挽歌の意味もあるという。

そこで薤露行だが、アーサー王物語の一部をなす、騎士ランスロットをめぐる女達の恋を漱石流に小説化したものである。

【以下、ネタバレ注意】

アーサー王配下の騎士ランスロットは、王妃ギニヴィアと不倫関係にあった。
ある日、アーサー王国の騎士たちの試合で、王と騎士たちが宮殿を空にする間にランスロットは宮殿を訪ねる。ランスロットは仮病で試合を欠席し、この機会に密会しようとしたのだった。しかし、関係が噂になり始めたことを気にするギニヴィアに説得され、遅ればせながら試合のある北方へと向かう。

北方に向かう途中ランスロットは一泊する。宿屋の娘エレーンはランスロットに恋をする。エレーンは深夜ランスロットの寝室を訪ね、愛の印として自らの赤い服の袖を渡し身に付けるよう頼む。変装して身分を隠して試合に出ようとしてたランスロットはその思惑を含みながら承知する。

ランスロットは試合で負傷し、ギニヴィアはアーサー王から、エレーンは同じく試合に出ていた兄からその様子を聞かされる。同時に、ランスロットが他の女に心惹かれていたことを示唆する出来事も。未だ戻らぬランスロットを案じつつ、二人の女は対照的な反応を示す。ギニヴィアは夫の前であるにもかかわらず嫉妬を抑えられない。一方で、エレーンは絶望して食を断ち自死する。

エレーンの亡骸は、本人の生前の希望で多数の花、そしてランスロットへの手紙とともに舟に乗せられて川を下る。舟が宮殿に着き、宮殿は騒ぎになる。そしてギニヴィアがエレーンの手から手紙を取って読む。ギニヴィアはランスロットが試合で身につけていた赤い袖の持ち主がエレーンであることを知り、涙するのだった。

【ネタバレ注意ここまで】

原作ではランスロットは多くの女性と関わりができるのだが、この小説ではエレーンの悲恋の物語にスポットが当たり、ギニヴィアはエレーンとの好対照をなす引き立て役の感が強い。それは、薤露行(はかなさ・死を悼む涙)というタイトルに、そしてランスロットの負傷や騎士たちに不倫を告発されたギニヴィアの顛末に触れられていないところに現れている。

原作ではランスロットやギニヴィアのその後も描かれており、むしろギニヴィアの不倫が物語を動かしてゆく。漱石は、独自の世界観によって薤露行を書いたのだ。

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