世界のトラム (Tram - 路面電車 - LRT)

昔から今日までの各地の路面電車を写真中心に紹介。古い時代の古典的トラムから、LRT (ライトレール)まで。

ザグレブ Zagreb 2011年

2015-03-29 | クロアチア Croatia

ザグレブは、人口80万人。クロアチアの首都であり、同国最大の都市でもあります。しかし観光的に強い見どころがないため、観光で訪れる人はそれほど多くないようです。クロアチアといえば、アドリア海沿岸が、ヨーロッパ人のリゾート地として年々発展していますが、対する内陸は全般的に地味です。それでも首都ザグレブは、首都だけあり、特に夏は旅行者もかなり見かけます。


Zagreb


Zagrebザグレブとはそんな街ですが、じっくり歩いてみると、なかなか味わいがあります。私が初めてザグレブを訪れたのは、ユーゴ分裂に伴う内戦を経て独立してまだ日も浅い頃でした。その前年にもオーストリアまで行って、スロヴェニアへ行っても大丈夫かと聞いたら、オーストリア人の反応は、行かないに越したことはない、という感じでした。その翌年、スロヴェニアまで行ったら思いのほか平和で安定していたので、思い切ってスロヴェニアからザグレブまで、日帰りで足を伸ばしてみました。そうしたらそのザグレブもとても安定していて、内乱の余韻すら感じることなく、人々が生活を謳歌していたのに感銘を受けました。


それが1990年代前半の話。それから20年近く。クロアチアという国の存在が普通になり、若い人にとっては逆に、ユーゴスラヴィアが歴史の教科書にしか出てこない国となりました。


Zagreb ザグレブのトラムの歴史は古く、19世紀末の馬車トラムに遡るそうです。軌間1メートルの狭軌ですが、今日、100キロを超す路線網を有しており、15系統が概ね5~10分間隔で運転され、市民の身近な足として活躍しています。複数系統の通る路線が殆どなので、トラムの路線のある所、どこにいても頻繁に電車がやってきます。車輌はクロアチアのメーカー、クロトラム製が主流で、低床式の新型車もどんどん増えています。毎日50万人の利用者があるといいますから、市民の3人に1人が一日2回乗っているという計算になります。


(Zagreb, Croatia/Hrvatska. March, 2011)


熊本 Kumamoto 2008年

2015-01-30 | 日本:九州南部

熊本は実に路面電車が似合う街だと思います。駅と市街地が適度に離れているので、その間の交通としても結構便利ですし、市街地と健軍方面の住宅地を結ぶ役割としても、一定の需要があって、バスより定時性その他、使い勝手がよさそうです。

これは熊本駅付近です。この時は、九州新幹線の開業が間近で、駅の改良工事が行われていました。

昔の熊本駅前というのは、何だか寂しげな、うらぶれたところでした。県庁所在地と思って下車しなければ、この程度の駅前はどこにでもあるのですが、とても県庁所在都市の表玄関には見えませんでした。古びた土産物屋などがありましたし、ちょっと入るとホテルや旅館があるエリアもあります。ですが、何となく時間をつぶすのにも困るような所だった印象があります。

九州新幹線の開業を機に、駅自体も集客力を増したのは、良いことに違いありませんが、あの何とも寂しげな熊本駅が、今となっては懐かしいです。もっとも今も駅こそ綺麗になりましたが、駅周辺はそんなに活気がないままだとは思いますが。

右手にショベルカーが見えますが、これも新幹線開業関連工事のためです。11月の爽やかな秋晴れの朝で、その爽やかさを壊す雑然とした工事風景を避けるように撮ろうとした気がしますが、見事に写ってしまっています。

(Kumamoto, Japan. November, 2008)


大連 Dalian 1987年 (4)

2015-01-20 | 中国 China

大連 Dalian 1987年 (3) から続く

大連 Dalian

それにしても生活臭の漂っている沿線です。こうして停留所で電車を待つ人たちの自然な姿が何とも言えません。中国の人に怒られそうですが、この時代の方がみんな幸せだったのでは、なんて思わないこともありません。

大連 Dalian 大連 Dalian

人の表情がとにかく素朴です。今、テレビやネットで見る中国よりも、いい顔をした人が多い、と言ったら、これも怒られるでしょうか。

大連 Dalian大連は日本の東北地方の真ん中ぐらいの緯度ですが、冬はかなり寒い土地です。夏は日本の東北よりやや涼しく爽やかです。夏の大連は、中国でトップクラスの気候の良い街かもしれません。

夕方、普段着、というよりシャツ1枚のラフな服装で道端に固まっている男達は、トランプ遊びに興じています。車もあまり通らないので、車道に平気ではみ出しています。こういった光景は大連に限らず、当時の中国で良く目にしました。

大連 Dalian当時の中国は、泥棒がいないと言われていました。実際は嘘ですが、確かに人が多く、こういう所では常に近所の目があります。家族の絆も強く、地域のコミュニティーもこうして堅牢だったので、監視カメラなど全くなくても、今より治安が良かったのでしょう。

この2年後に、私は初めてアメリカへ行ったのですが、対照的に大都市でも人が歩いている所は限られていて、中心部にある沢山のビルの多くが立体駐車場になっていたのが印象的でした。

街で人民服こそ普通には見られなかったものの、中国らしい服装の人が主流ではありました。けれども徐々に西洋化は進んでおり、それが中国を訪れるたびに強まっているのも感じました。そういった西洋化の先端を行くのは、中国もやはり若い女性からです。

大連 Dalian 大連 Dalian

対照的に、男女を問わず、お年寄りの姿にこそ、昔ながらの中国らしさが溢れ出ています。これまたいい顔をした人が多かったです。大連は特にそう感じました。

大連 Dalian

もちろん、こういう懐古趣味的センチメンタルな、昔は良かった、的な記述には批判もあるでしょう。短期の滞在で表面しか見えていないのも否定しません。それでも、インターネットでいくらでも最新情報が入る今、最近のニュースを見る限り、あまり中国に行きたいとは思いません。ですが、この写真当時の中国が今もあるなら、明日にでも飛んでいきたいです。

(Dalian, China. August, 1987)


大連 Dalian 1987年 (3)

2015-01-18 | 中国 China

大連 Dalian 1987年 (2) から続く

大連 Dalian

当時の中国は、対外開放がなされてまだ日が浅い、紛れもない発展途上国でした。路面電車の沿線を歩く限り、昔の街並みがこの先も変わらず続きそうな、そんな印象を与えてくれる風景が続いていました。

大連 Dalian 大連 Dalian

ですが既にモダンな西洋風の高層ビルも続々と建設が始まっていましたし、完成したものもちらほらと出てきていました。早い話が、私が泊まった、この年に開業したばかりの全日空ホテルがそうです。

大連 Dalian何故そんな豪華なところに泊まったかというと、飛び込みで何軒回ってもどこも満員で泊まれず、時間ももったいないので、唯一、空室のあったそこにしてしまったのです。1泊が日本円で1万円ぐらいで、それは当時の平均的な中国人の月収に相当しました。

そういうホテルに泊まってしまうと、外の世界とのギャップが極端で戸惑います。ホテルの中は西欧先進国の一流ホテルと変わらず、一歩外へ出ると全然違う世界が広がっているというそのギャップです。途上国でそういった経験をした人も多いと思います。

右のような建設現場にも遭遇しましたが、対外開放や経済発展と関係なく、こういった建築は昔でもあったでしょうから、この写真をもって、特に発展中だのどうこう言うほどではないと思います。ですが、見ればやっぱり、ずいぶん原始的な建設現場です。

途上国の高度経済成長と言えば、日本も経験してきたように、公害や大気汚染・水質汚染などが気になります。その点も、大連は半島で海も近いので、内陸の北京などよりは空気も綺麗だったのでしょう。ただ、この時は北京や上海でも、空気は気になるほど悪くなかったので、大連に来ても、気になるほどは良いとも悪いとも思いませんでした。

大連 Dalian

この程度の煙突と、そこから出る黒い煙は、この頃の日本で普通に見られました。それでもこの写真は、煙突が絵になると思って意図的に入れて撮っているとは思います。

車輌の方は、ほとんどが小型の単行で、中央にもドアがあるものでした。右下は、一度だけ見かけた、というか、写真がこれしかないので、きっと数少なかったのでしょうが、当時にしては十分に近代的な連接車です。

今インターネットで調べると、この当時にあった旧型車輌の中では、3000系が一部、かろうじてレトロ車輌の扱いで残っているそうです。それもイヴェント用で、通常の運行には使われていないそうです。

それこそレトロ電車のイヴェントならば、丸窓の1000系(左下)を残せていれば、もっと良かったでしょうが、近代化に邁進している頃の中国人に、そういうゆとりの発想はなかったのでしょう。逆に私には、中国も今は、レトロ車輌をイヴェント用に残すといったことをやっているのかと、それはそれである種の感慨を覚えます。

大連 Dalian 大連 Dalian

いずれにしても、この当時にして既にレトロだった1000系は、いい被写体でした。対照的に、この左上の背景にあるアパートは、いやにモダンで西洋風に見えます。

大連 Dalian 1987年 (4) へ続く

(Dalian, China. August, 1987)


大連 Dalian 1987年 (2)

2015-01-16 | 中国 China

大連 Dalian 1987年 (1) から続く

これらの写真を見直すにつけ、車が少ないので写真がとても撮りやすかったのを思い出します。1980年代の日本だと、もうこんな広い道路は車に占領されていました。併用軌道の路面電車を撮ろうとしても、かなりの確率で、車に邪魔されます。

大連 Dalian

その代わり多いのが自転車です。ただ、多いとは言っても、私はこのとき、少ないと感じました。日本よりは多いでしょうが、北京や上海の自転車の洪水を先に知っていたので、それらに比べれば随分少ないなと思ったものです。

大連 Dalian 大連 Dalian

大連だってかなりの大都市です。けれども広い道路に自転車が適度に走り、車は非常に少なく、路面電車がある意味、我が物顔で、と言って悪ければ、悠々と走っている。私はこの情緒にすっかり感激してしまいました。

大連 Dalianそれから今日までの中国の高度経済成長と発展については、周知の通りです。この1987年というのは、北京にこそ地下鉄もありましたが、世界最大の人口を持つ都市の一つ、上海ですら、まだ地下鉄がありませんでした。但し、車も、大連よりは多かったものの、まだまだ少なく、上海の繁華街の道は、バスと自転車と人で溢れていました。混然たる活気は感じたものの、何だかやっぱり、ここで生きていくには相当の活力が必要だな、と思ったものです。

最初にそういう中国を経験した次に見た大連は、比べれば、長閑とすら言える大都市でした。そして、人々の顔つきもずっと穏やかな気がしました。

大連 Dalian 大連 Dalian

但し、北京や上海がそうではなかった、というわけでもありません。確かに、強引に割り込まない限り永遠に切符など入手できない駅の切符売場など、誰もが殺気立っていましたし、国営企業の公務員そのものといった、全くもって無愛想なデパートの店員も珍しくありませんでした。けれどもそれでも当時の中国の一般市民には、優しい人が今よりずっと多かった。あえて誤解を恐れずに言うと、そう思います。そして大連はそれが一層強かったので、半日でこの街が大好きになりました。

大連 Dalian

大連 Dalian 1987年 (3) へ続く

(Dalian, China. August, 1987)