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コジモ1世のアパートメントから大評議会の間のバルコニーを通って大公妃エレオノーラのプライベートアパートメントへ。

ご夫婦が行き来するのにこんなに人目につく場所を通ったのですね。

 

エレオノーラ・ディ・トレドとジョバンニ・デ・メディチの肖像(ウフィッツィ美術館)

スペイン貴族でナポリ副王のペドロ・デ・トレドの長女で神聖ローマ皇帝カール5世の仲介で17歳の時に20歳のコジモ1世と結婚、その時すでに庶子がいましたが、エレオノーラは11人の子を産み1562年旅先で亡くなりました。多額の持参金をもって輿入れし、領地の管理に手腕を発揮、メディチ家を金銭的に再興しました。コジモ1世がピッティ宮殿をはじめあちこち改修したりできたのは彼女のおかげなのだそうです。

13-14世紀に建てられた核となる建物の3階に位置しギルトの代表者で執政官プリオーリのプライベートアパートメントとして作られ、メディチ家が支配するまでに正義の旗手ゴンファロニエレ・ディ・ジュスティッツア(共和国政府のリーダー)が住んだことがあります。コジモ1世が移り住んだ1540年からヴァザーリ設計で大公妃エレオノーラのプライベートアパートメントとして改装されました。中3階にはコジモ1世の母マリア・サルヴィアティ(ロレンツォ豪華王の孫)のためのアパートメントがあるのであまり天井が高くありません。

 

緑の部屋

エレオノーラの寝室として使用されました。天井のメディチ家、トレド家を合わせた紋章とおうむをはじめとする鳥のいるグロテスク文様はリドルフォ・ギルランダイオ作。コジモ1世の時代にトロンプ・ルイユ、だまし絵の風景画が描かれいました後に緑色に塗られました。

この部屋の小さな扉からヴァザーリの回廊でピッティ宮までつながっています。

 

エレオノーラの書斎

フランチェスコ・サルヴィアーティによる天井装飾。グロテスク文様と小さな神話のシーン.。ずいぶん狭い書斎です。1545-48年ごろの装飾。

 

エレオノーラの礼拝堂

エレオノーラの個人礼拝堂。ヴァザーリとジョバンニ・バッティスタ・デル・タッソ設計。トスカーナ様式の最高傑作と呼ばれました。

祭壇画はブロンズィーノ「ピエタ」。両側は受胎告知で左がガブリエル、右が聖母。左上ダビデ、右上シビラの巫女。

壁のフレスコは右はブロンズィーノ「モーセ紅海を渡る」左窓側「ブロンズの蛇」、写ってない祭壇の反対側「岩を打って水を出すモーセ」。

 

天井画は天使と花綱で区切られ、左ライオンがいる悔悛する聖ヒエロニムス、下鷲のいるバトモス島で啓示を受ける使徒ヨハネ、右悪魔を成敗する大天使ミカエル、上聖痕を受けるアッシジの聖フランチェスコ。

ミケランジェロの影響を受けた彫刻のような理想的な身体つきでねじれ方もそれほどひどくないように思います。

サビニ女性の間

ここから先の部屋は4人のラテン、ギリシャ、ユダヤ、トスカーナの高名な女性に捧げられ、それぞれの美徳がエレオノーラの美徳を仄めかしています。ヴァザーリと弟子たちが作業が終わらずエレオノーラが完成を見ずに亡くなったのではないかとのこと。

ここは大公妃の控えの間で大公妃の侍女たちが待機していました。

ヴァザーリとジョヴァンニ・ストラダーノの天井フレスコ画「ローマの夫とサビニ人の親の間に平和をもたらすサビニ女性」1561-62年

4つの美徳に囲まれた楕円がサビニ女性。ローマ建国間もないころローマは子孫繁栄するめにサビニの未婚女性が掠奪されました。サビニ人は奪還のためローマに戦いをしかけようとしますがローマ人との間に子供のできていたサビニ女性が戦争をやめるように懇願したという逸話。安寧をもたらした美徳としてここに描かれているそうです。婚姻による調和の美徳を象徴しています。

天井の仕切りの漆喰はバッティスタ・ボッティチェッリ作。

 

エステルの間

大公妃のダイニングルームでした。フリーズはエステルの物語と歴史的現実を結びつけるよう意図されたもの。エレオノーラが夫トスカーナ大公とフィレンツェ市民の間をとりもつ役割をしたことを示そうとしています。

 

ヴァザーリとジョヴァンニ・ストラダーノ「ユダヤ人への慈悲を懇願するエステル」1561-62年

旧約聖書のエステル記の逸話。ペルシャの王(アハシュエロス)クセルクセスの王妃になったエステルは大臣ハマンの奸計で祖国ユダヤ人撲滅の勅命に王が署名したことを知り、死刑に値するにも関わらず招かれてもいないのにシュシャン王宮の奥の中庭に座る王の前に歩み出ました。王に金の笏を差し伸べられ許され、宴を催す許可を取りそこで自分がユダヤ人であることを打ち明けハマンの奸計を暴露し民族を救いました。祖国への愛という美徳を象徴しています。

同じ場面ならヴェロネーゼの方が好きです。

 

15世紀の大理石洗面台

 

ペネロペの間 Sala di Penelope

エレオノーラの客間として改装されましたが死後コジモ1世がクルミの天蓋つきベッドを置いて寝室として使用した記録が残っているそうです。

フリーズはオデッセウスのトロイア戦争からの帰還の物語。

 

ヴァザーリとジョヴァンニ・ストラダーノ「機織りのペネロペ」1561-62年

この題は決しておわることのない仕事を意味する言葉にもなっています。ギリシャ神話の英雄で遠征し20年戻らなかった夫イタケー王オデッセウスの帰りを待つペネロペの元に108人の求婚者が迫ってきたので、ペネロペは「夫の棺にかける布を織りあげたら誰と結婚するか決める」と言って昼は機織り、夜はほどいて時をかせぎ夫と再会しました。貞節と忍耐の美徳の象徴としてここに描かれています。

その周りは四大河の寓意とメディチ家とトレド家の紋章を合わせたもの。

 

グアルドラダの間

12世紀実在のフィレンツェ貴族ベリンシオン・ベルティの娘グアルドラダに捧げられた天井画です。神聖ローマ皇帝オットー4世にキスを求められますが将来の夫でない相手にはできないと拒否、感心した皇帝が伯爵に昇進させた人物と結婚しました。純潔の美徳の象徴です。

フリーズはシニョーリア広場をはじめとするフィレンツェの12の行事と風景。

 

ジョバンニ・ストラダーノ「皇帝へのキスを拒絶するグアルドラダ」1561-62年

八角形の背景はサン・レパラータ聖堂で中央がグアルドラダ、左の父親が皇帝に仲介しています。周囲は踊る天使たち。

 

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