お晩でがんす
明日の七夕に備えてお飾りをする日が今日六日だ、昔通りだ、短冊を切ってそこへ思いつく限りの文字を書く
牽牛。織女。は最初に書く。そうして今度は家族の無病息災を祈って名前を書き上げる、次に知っている限りの星の名前を書く
アルタイル。シリウス。オリオンなどはカタカナで書くしかないので仕方なくカタカナにする。漢字より書きずらい気がする
短冊は、半紙、カレンダーの裏。千代紙、等を切断機で適度の大きさに切断して使う、昔通りだ
最近は150戸の集落でも、七夕祭りをする家が極少に成った、当家だけかもしれない
門の外から見えるので見てゆく人がいる
細やかな粗末な七夕だ、昔の面影もない
祭壇は外で神事をするときに使用するものだ、地鎮祭や上棟式、或いは屋敷祀りなど等に使う
当家では七夕の主神は,天長洲命、という神様を祀る「あめのながすのみこと」読む.長洲とは川にできる浅瀬の砂溜まりだが
七夕では天の河の事であり、海彦山彦や、牽牛、織女、の言い伝えの物語の舞台だ
祭壇には極めて標準の御饌神酒を進ぜる
主神の両の脇の升は洗米と浪の華だ。その両脇は、お神酒鈴である、酒と清水が入っている
その両脇は榊で自家にある本榊を進ぜる、三方には蒸かし饅頭が進坐るわけだが、忙しいし今は若い者の時代なので処略して出来物だ
七夕に語呂合わせで有ろう・七個進ぜるのが仕来たりだ
左は昔は季節の野菜をいろいろ進ぜたが。今は茄子と胡瓜しかないので、質素にそれが進ぜてある
自然の中でしか生きられない庶民は、こうした自然を信じ、頼り、受け入れて生きてゆくより手がない
どんな小理屈をこねてもどんな科学的な生き方をしても自然の力には敵わない、
今度の、山形、新潟、富山、石川、と言った大水害の事例さえもそうだ、何千年も治山治水は政治の要であったのに
それぞれの時代にそれぞれが最大の知恵を絞って改良に改良を重ねて来たのに、又今年も各地で水害が発生している
今迄苦労してやってきたのは何だったのだろうと思うが。それも自然の抗しきれない力にあっとうされてしまう、、、、、
人間のやり方に責任がある処も大いにあるが、そのたびに弱者に災難が及ぼされる、哀しい事だ
被災地に心からお見舞いを申し上げるとともに,大難を小難にしてもらうように祈るしか術がない
後は微々たる支援金を出すぐらいしかない、微力だ!!!!
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子