まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

知識と技術は、識と術を弁えなくては痴戯(知技)同然

2022-11-20 11:42:34 | Weblog

      秩父 奥名栗





「識」とは道理であり、口舌を駆使することなく内心で会得することであり、「術」は手立てや技ともあるが、術智がなくては単なる企みに終始してしまうようだ。

よく知識人の堕落は国家をも衰亡させるという。ならば内心会得する道理とはどの様なものであり、会得した人間の姿や能力はどのようなものか考えてみたい。

「色聴」という文字がある。人と応対したとき顔色をみて真偽を観察する。あるいは容、象、体の表れで対象を観察する、それが色聴能力で表されることである。
「色」は女が座って上から人が覆いかぶさっている姿だが、なまめかしい形でもある。
それこそ様々な聴き方があるが、観人則(人物をみる座標)から独り鎮まりを以って聴いてみたい。

「辭(辞)聴」辞めるとき、下がるとき、「色聴」「気聴」「耳聴」「目聴」などがあるが、敢えて言葉に出したりしないで、゛察する゛、つまり直感力を養うということでもある。
安岡氏が「真に頭のいい人物は直観力が優れている」といっていたが、面白いことにアカデミックな知力を高めれば高めるほど、瞬時の判断や先見に欠かせない直観力が衰える。

その直観力だが、往々にして些細な習慣が瞬時に事象を読み解くことがある。
それは習い、倣われた習慣が座標軸となっていつの間にか涵養され、全ての考察の基盤のようになっている。「聴」も耳で聴くだけと思いがちだが、心耳という表現もある。



               
 
                          関連サイトより


あの田中総理が辞任の決意をした折、あれほど現世利益には無意味と煩わしくも思っていた漢学者安岡氏の言辞に心を鎮めている。
藤森官房副長官と二階堂氏の懇嘱で出来上がった文面に、「一夜、沛然として心耳を澄まし・・」と記されていた。
《心ならずもドシャ降りの雨のように国民から批判されているが、心静かに独居して心の秘奥にある心で一夜、その声を聴くと・・》

権力者は裸の王様と揶揄されるほど情報は偏するようだ。しかし、今まで聴くことがなかった異なる国民の声は、心の耳でなくては聴くことが出来ないものだった。田中氏は心の耳で聴き、国民は「辭聴」して田中氏の心の耳を察した。
あえて死者に鞭打たないと日本人気質をいうが、一旦、辭意を聴くと惻隠(陰ながら)の情を抱くのである。文や言葉で囃し立てるのは解らない人間に判って貰うスベでもあるし、もっともらしい考証をあげつらうが、辭を決断した心地を忖度する多くの国民は、敢えて石や礫を投げかけることはしない。ただ、今度は煩いのない政治を観たいと思うのである。

勘違いして声なき民とか無力で意思の無い国民と、いらぬお節介をする政治かも出てくるが、これらを耳で聴き、目で見るだけでなく、「色聴」や「気聴」という元々具わっている感性、つまり識のない知でなく、真の知識によって得心している人々によって国の維(中心基盤)は保たれている。



                    

             正直は整理整頓、簡素から


その識だが・・
江戸時代は政治は老中、その配下に勘定奉行とあったが庶民の金貸しは質屋、あるいは名主が融通をはかっていた。
あるとき名主の借用書を目にしたことがあったが、今と違って担保は田畑不動産ではなく、年貢米、借用者の労役、もしくは子女の年期奉公だった。また違えたときは、゛満座でお笑いください゛とあった。つまり大勢の前で笑ってください、ということだ。

また、博打の借金は貸主が胴元もしくは稼業人だったせいか、屋敷や商店の権利がやり取りされたが田畑だけは担保には取られなかった。それより金を駆使したり、金のために巳を滅すことは卑しいことという習慣性があった。そして何よりも人を観る手立てとして金が引用され、゛金貸しには嫁に出すな゛と巷間言われた時期があった。

一定の継続された歴史をもつ人々は不文律としての習慣性がある。それは、仕草が立ち振る舞いや行儀の姿となり、他人との物品やり取りや応答辞令が形式ではあるが、狭い範囲の郷の連帯や調和を司る、゛常識゛となった。当時の常識はあくまで情理を前提とした、゛情識゛、あるいは立場を譲り合う、゛譲識゛でもあった。

単なる知や情報が入らないころ、人々は諺なり訓話、格言を倣いとして生活をしていた。
たとえば「友」についても「三益友」といって、
直(正しい人)、諒(正しい人)、多聞(見聞の広い人

逆に損な友は「三損友」にある
便辟(ヘキ)(不正直)、善柔(にこやかだが不誠実)、弁佞(ネイ)(口で上手いことを言うが実意が無い)




              




損益の分岐とはあるが、はたして我が国の知識人は損なのか、益なのか。
彼等が知識人としての位置を保持し、曲がりなりにも食い扶持をはむなら民の益を考慮すべきだろう。民の益とは政治家、宗教家、教育者、官吏という権力を構成するものが人間の尊厳を毀損するときに、闘い護るべきことによってその存在がある。
古来から君主の三欲といわれる、求、禁、令についても益なるものは広め、損なる不誠実なるものは排除する姿勢が必要だ。

なにも不正直で貪りが慣れになっている人を囃し立てたり、権力の側用人になるべきではないし、それこそ知識人の堕落に観る国家衰亡の進捗である。

つまり、識のない知や、術のない芸は嘲りの対象にしかならない痴戯なのである。

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