料理の記憶 35 「焼鳥編」 澄店の一日 | たっくのブログ

料理の記憶 35 「焼鳥編」 澄店の一日

夕方の5時30分を過ぎた頃だろうか。

電話が来てからここに来るまでの記憶がない。

澄川駅を降りた先にお店はあった。

焼き鳥屋の看板は赤色に点灯し赤提灯が揺れている。

道路を挟んだ歩道からでも、お店のダクトに流れる炭火焼の匂いで、そのお店の価値がわかる。

人々は次々と吸い込まれていくようにそのお店に入っていく。

 

私は立ち止まっていた。

 

営業中のお店に今から働きに行くことに躊躇していた。

本来ならばすぐにでも駆けつけて「すみませんでした」の一言をいいながら即座に法被に着替える。

本来ならば躊躇などせず言い訳もせずただ、一生懸命に働く。

それが正解だということは頭の中ではわかっている。わかってはいるが...

 

正直言って私はこの時、辞めようかと思っていた。逃げ出そうかと思っていた。

それが今までの自分だった。

 

ろくに仕事につかず、適当にこなし、ただ何となくお給料を貰う。

嫌なことがあれば人のせいにして辞めてしまう。

 

一緒に働いていた人の気持ちや誰かに迷惑がかかっているなんて考えたこともなかった。

それが私の10代だった。

20歳になり、色んな先輩と出会い、同期と出会い、酒を飲み交わし、無茶苦茶な要求に答え、馬鹿やったり、笑ったり、怒ったりしてなんだか楽しかった。すげー楽しかった。

それを思い出して、今すげー楽しいのに、失敗して、寝坊して、怒られる。

そんなことわかっている。

 

自分が悪いのはわかっている。

だから、これから怒られるのもわかっている。

 

そんなの嫌だけど私は頭で考えて、色々と思い出していくうちに、心の中で「すげー楽しい」が勝ったのだった。

 

ドキドキしながら歩き出して

近づいてきて

お店に入るとき

前は向けなくて下を向いたままだったけど、「すみませんでした!」って言った。

お店は滅茶苦茶忙しくて、お客さんがいっぱい入っているように見えた。

 

私は殴られることも覚悟していた。

少なくてもお寿司屋さんではそうだった。

 

だけど私から見たクドテンさんは笑っていた。

「早く着替えて。」

 

はい!

なんか凄いホッとして、さっきまで何悩んでたんだろうかって馬鹿らしくなってきた。

私は一目散に着替えて焼き場の中に入っていった。

 

クドテンさんは「近藤君重役で。」

 

は?

 

「重役出勤で。」と言った。

 

「あ、いや、すみませんでした。」

 

「よくないけど、まぁ俺はいいよ。でもね焼き場の人はなんていうかなぁ...」

「え?焼き場の人?」

 

「ご立腹で。」

そういいながらクドテンさんは焼き場を見た。

 

澄店の社員は2人しかいない。

店長であるクドテンさんとテーラーさんの2人だけだ。

そもそもテーラーさんが休みの日に焼き手がいなくなるから私がヘルプとして呼ばれたのである。

では?私が大遅刻した今日、誰が焼いているのか?

私はてっきりクドテンさんが焼いていると思っていたが、そうではないらしい。

私は恐る恐る焼き場を見ると見慣れた背中が見えた。

 

それは明らかにテーラーさんであった。

 

げげげ!?休みのはずのテーラーさんが焼いている。

こりゃヤバい。すぐに駆け寄り「すみませんでした。」と言ったがテーラーさんは無反応だった。

私のほうを振り向かず一生懸命焼き鳥を焼いている。

ほかの従業員の声やお客様の声、ガヤガヤにぎやかだったはずの雑音が私の耳から消えていった。

 

「あ、あの~...」

私が今聞こえるのは焼き鳥を焼く音だけになってしまった。

なんだか時間が止まっているようにも見えたし、すごくゆっくり流れているようにも感じた。

 

私は勇気を振り絞り、もう一度

「あ、あの~...」

「うるせーよ!!お前!」

「ぎゃ!」

いきなり振り返ったテーラーさんにびっくりしてひっくり返りそうになった。

「お前マジで何時だと思ってんの!?」

「すみません」

「すみませんじゃねーよ!なんで俺が今日焼き場にいなきゃなんねーんだよ。」

「ぼく、寝坊しまして...」

「そんなこと知っているよ!クドテンさんは優しいから怒んなかったかもしれないけど俺はマジで怒るよ。」

「すみません...」

「お前さ、すみませんとかいいから、とりあえず今何するかわかってる?」

「え?えっと...」

「わかんないの?なんで?」

「ああ、えっと...、その、あの、なにしましょうか?」

 

バシーン!!

 

頭をおもっいきり叩かれた。

結局叩かれた。

 

「あほか!代われよ!焼き場を代われよ。なんで俺がまだずっと焼いてなきゃならないんだよ。」

「え?あ、そうか。すみません。」

 

私は慌ててテーラーさんと焼き場を交代した。

それを見ていたクドテンさんは益々笑っていた。

「きびしくて。」

 

「クドテンさん。きびしくて。じゃないっすよ。こいつホントに優しくしちゃだめですよ。」

 

「だめだめで。」

クドテンさんは両手でバツを作りながら言った。

 

「いや、マジでダメダメですよ。まぁとりあえず来たからよかったけど、マジで来ないかと思ったわ。」

そういいながらテーラーさんは焼き場を後にして私服に着替えに行った。

 

私もマジで行かないと思っていた。さっきまで思っていた。

でも、来た。なんか怒られたり笑われたりしたけど、よかった。来てよかった。

 

こうしてなんとか澄店の焼き場に立つことができたのだが、この後さらに迷惑をかけてしまうのだった。。。

 

つづく