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エディンバラ公爵夫人、女性支援を表明するためイラクを訪問



エディンバラ公爵夫人はバグダッドで2日間過ごした。 (Twitter:@UKinIraq)


Short Url:https://arab.news/crsuv
26 May 2023 01:05:15 GMT9

  • 英国王室が最後にイラクを訪問したのは2006年、故フィリップ殿下が英国軍基地を訪問した時だった。

アラブニュース

バグダッド:エディンバラ公爵夫人は今週イラクを訪れ、英国王室による戦争の傷跡が残る国への異例の訪問で、政治家やフェミニスト活動家らと面会したとイラク大統領府が発表した。

英国王室が最後にイラクを訪問したのは2006年で、その3年前に故フィリップ殿下が米国主導の侵攻の一環としてイラクに派遣された英国軍の基地を訪問した。

イラク大統領府の声明によると、ソフィー公爵夫人はバグダッドで2日間過ごし、アブドゥル・ラティフ・ラシッド大統領とシャナズ・イブラヒム・アハメド夫人と面会した。

チャールズ国王の末弟エドワード氏の夫人が予告なく訪問した際、彼女はさまざまな役職にあるイラク人女性たちと会い、女性と子供の健康を管理するセンターを訪問した。 ソフィー公爵夫人の極秘旅行は、安全上の理由から火曜日に終了した。


エディンバラ公爵夫人は家族計画センターを訪問。

イラク大統領府は、公爵夫人が2004年にイラクを訪問したチャールズ3世国王から書面でメッセージを伝えたと発表した。

彼女はイラクのモハメド・シア・アル・スダニ首相とも会談した。

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侯爵夫人は、資金提供を受けたイラクの変革者と女性の権利団体を対象とした「ウィメンズ・ボイス・ファースト」の年次会議でスピーチを行った。 

夕食会中、彼女は国内の女性権利団体の代表者やイラク軍の女性将校らと会い、女性、平和、安全保障をイラク軍内部に組み入れるために行われている取り組みについて聞き、この分野での英国の経験を共有した。


エディンバラ公爵夫人はイラク軍の女性幹部らと面会。 (Twitter:@mbrysonr)


  公爵夫人はまた、ビジネスウーマンたちと会い、彼女らが直面した課題とそれをどのように克服したかについて話し合った。


写真

イラクは、サダム・フセインを打倒した2003年の米国主導の侵攻に続く長年の戦争、占領、血なまぐさい宗派間の混乱のトラウマを今も持ち続けている。

AFP からの情報をもとに

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2023年1月10日

ショーン・コクラン、BBC王室担当編集委員



画像提供,GETTY IMAGES
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2018年に英空軍100周年の式典で、編隊飛行を見上げるウィリアム王子(右)とハリー王子

「素晴らしい。これで君は私に後継者とスペアを与えてくれた。私の役目はこれで終わりだ」。第2子の自分が生まれた時、父チャールズ皇太子(当時)はダイアナ妃に、冗談でそう告げたのだという。英王室のハリー王子は、回顧録でそう書いている。

10日出版の回顧録のタイトルは、予備を意味する「スペア」。ハリー王子は、自分は家族によくそう呼ばれていたと書いている。

「うちの家族は特に善悪の判断なく、僕をそう呼んだ。あけすけに。僕は影、脇役、プランBだった」

「ウィリーに万一何かあった場合のために、僕はこの世に生を受けた」と、ハリー王子は書く。王子は兄ウィリアムを「ウィリー」と呼ぶ。兄は弟を「ハロルド」と呼んでいたという。正式な出版に先立ち、公表されたスペイン語版をBBCは入手している。

「後継ぎと予備」という言い方は、貴族階級の間でしばしば使われてきた。称号や所領の継承には後継ぎが必要で、長子が自分の子供を持つ前に万が一のことがあった場合には、代理としての弟妹が必要だからだ。

「予備」と呼ばれることに、ハリー王子はいらだったに違いない。だからこそ自著のタイトルに使ったのだろう。さらに、王家の代役候補という不安定な立場の難しさ、財力と特権はあってもこれといった使命や目的のないまま存在することの難しさを、この言葉は表している。

「立場があるようでないに等しい」。ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の現代王室研究センターに所属する王室専門家、ポーリーン・マクララン教授はこう言う。

「大勢と握手して、にこやかにする以外、明確な役割がない」のだと、教授は話す。

あてのないぜいたくな暮らしにも、それなりの退廃的な魅力はあるのかもしれない。しかし、そこには満たされない思いや、とりとめのない方向性のなさという深刻なリスクも伴う。

だからこそ、現代のスリム化した王室は、こうした「予備」の役割をもっと明確に定義するか、あるいは継承順位が低ければ王族としての役割を果たすことを期待するのをやめた方がいいと、マクララン教授は言う。

各国の王室史に詳しいエド・オーウェンズ氏によると、そうして王室を「ダウンサイズ」して縮小した好例が、スウェーデンやデンマークだという。

両国の王室では、継承順位の低い「スペア」は、「王族としての責務に妨げられず」に一個人としての生活を送れるのだという。



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1973年のエリザベス女王と妹マーガレット王女

オーウェンズ氏は、いかに第2子が重圧にさらされるかの典型が、故エリザベス女王の妹マーガレット王女だったと話す。

2002年に亡くなったマーガレット王女は、マスコミに私生活を「ばらばらにされた」と、オーウェンズ氏は言う。君主本人や直接の跡継ぎならば、マスコミもそこまでのことはしないだろうというほどに、マーガレット王女は取り上げられたと。

おとなしく「二番手」として控える以上の役割を期待されていない第2子は、君主や直接の継承権者と異なり、大衆紙などのからかいの対象となり、「ふざけた見出し」をつけられ、マスコミの詮索(せんさく)からも君主ほどには守られないと、オーウェンズ氏は指摘する。

「王位から遠い王族は、どう扱ってもいいとマスコミに思われている。直接の継承権を持つ王族の尊厳は認められても、若い王族は軽くあしらわれてしまう」

「スペア」は「予備で、気晴らしで、気を紛らすもの」に過ぎないのだと、ハリー王子も書いている。



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2022年9月に、母エリザベス女王の追悼に寄せられた花束やメッセージを見るアンドリュー王子

アンドリュー王子も、役割探しがあまりうまくいかなかった王族の1人だ。本人が否定する性的暴行疑惑が公になる以前から、しきりに海外に出かけることから「エアマイル・アンディー」というあだながつけられていた。

その一方で、成功例もある。恥ずかしがりで、決して王位を望んでいなかった国王ジョージ6世は、エドワード8世の弟だったが、子供のない兄が退位した後に即位し、第2次世界大戦中の指導者としてその役割を果たした。

その父ジョージ5世も、第2子だった。1892年に兄王子が28歳でインフルエンザで死去したため、弟が即位することになったのだった。

「スペア」を二番手に置く継承の原理とは別に、家族の関係性という視点から見るのがいいと、マクララン教授は言う。いわゆる「2番目シンドローム」で、自分より地位が上で責任も多く与えられている長男や長女に、下の子は反発しがちなのかもしれないと。

王族でなくても、これは兄弟姉妹の間にあつれきを生みかねないと、教授は話す。年長の子供は、年下の子供に責任感が不足しているといらだつようになりがちだという。これは、継承の仕組みだけでなく、心理面でも火種になりやすい。

若い王族が年長者の権威を脅かす、不見識で素行不良なライバルとして否定的に描かれるのは、歴史的にも前例がたくさんある。

たとえば、1973年のディズニー映画「ロビン・フッド」は、12世紀の兄弟間の権力闘争を、悪いジョン王と良いリチャード王の争いとして描いた。



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(左から)1988年6月のマーガレット王女、ウィリアム王子、ハリー王子、ダイアナ妃

しかし21世紀になった今、もはや「スペア」王族を制約する必要も、否定的になる必要もないのだと、歴史家のサー・アントニー・セルドンは言う。

ハリー王子とメガン妃は今後、数々の善行を行うことができるはずだとサー・アンソニーは言い、「賢い思いやりを優先させるなら」、今後ただその力を消耗させるのではなく、王室にとっても「素晴らしい未来」の原動力になり得ると話す。

「誰かが、大人らしく振舞わなくてはならない。兄と弟がそれぞれ深い傷を負っているのは、とても理解できる。このままいけば、これは果てしなく続き、深刻な害をもたらすようになる」

「まだ回復可能だが、兄弟はお互いを認めあって譲り合わなくては。今のこの争いに、勝者はいない」と、サー・アントニーは警告する。

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