自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

狭山事件/性交はなかった/なぜ精液が・・・

2022-12-27 | 狭山事件

承前 
私が狭山事件にのめりこむきっかけとなったのは、一審判決中の強姦体位である。ズロースを膝の上までおろして、手拭いで後ろ手に縛った被害者の喉頭部を右手で絞めながら正上位で遂行したことになっている。自己欺瞞的司法関係者以外の成人であれば、十人中十人がありえないと答えるであろう。二審当時わたしは青年教師たちに集まってもらって見解を聞いている。
殺意については、致死するかも知れないことを認識しながら一層強く右手で圧迫して姦淫を遂げ、よって窒息させて殺害した、と
判決文にある。
発掘された死体の状況はといえば、靴を履いている。ズロースを膝の位置で半ば身に着けている。抵抗して傷ついた痕跡が
確認できない。B型の精液が確認された。これからは、強制(強姦)とも合意(和姦)とも判定できない。
殺害の時刻、場所の探求を踏まえて、わたしは、どちらでもない、性交はなかった、という結論に至った。
上記のすべての条件を満たすのに十分な場所は広めの車内である。長兄が使用していた車がたまたま条件にかなった。日野ブリスカの
キャビン内の広い映像を掲げる。


出展 前掲ブログ「新  懐かしの旧車カタログ館

強姦偽装工作は、人目を考えると雑木林の木陰の道に車を停めて殺害した直後の可能性が高いが、移動後と仮定してストーリを描くことにする。いずれにしても仮説である。
主犯は、死体を埋める農道を事前に何度か自転車、オート三輪で試行して、芋穴(次章で必須条件として記述する)を確認し、近くに死体を一時隠す茶垣、繁みに見当をつけておいた。
移動先の農道でただちに計画通りに強姦偽装工作に取り掛かった。車内の広さを利用して死体を寝かせて、スカートをまくりズロースを膝までおろして、スポイト(あるいは注射器本体)に吸い込ませて用意していた精液を膣内に注入した。死体を隠す作業をふくめたとしても10分少々で完了した。強姦偽装により自分が疑われる危惧がなくなった。この一点に限ってだが、犯人が不道徳な人間でないことが認められる。
死体を一時隠した場所はどこか?
埋蔵箇所の写真を掲げる。発掘・調査で麦畑が踏み荒らされている。
出典   亀井トム『狭山事件』 



写真にある背後の雑木林は、判決で殺害場所とされている「4本杉」(埋蔵現場から道なりで200m) がある平地林(見分調書では50~70m)である。そこからだと人力による死体と付属物の運搬が不可能である。私はこの農道写真の右奥の曲がり角に見える茶垣背後の高いしげみ(桑畑?)に隠したと推測する。埋蔵現場の目と鼻の先である。
「農道は俗にいう農家の馬入れであり、幅2.1メートル、東西に走り、農道の南側、つまり民家のあるほうには茶の木の垣があり、その垣を境として南側も北側も麦畑である、と[実況]見分調書は書いている。」
茶垣の高さは背丈を越え農道で作業をしても民家のある県道方面からは見えない、小型トラック[日野ブリスカの幅は142cm]を乗り入れ可能、と亀井さんは続けている。
その後開示された航空写真を基に甲斐仁志氏が運搬経路と手段について高度な考察をしている。
「リアカーで運んだ死体」(『新推理・狭山事件』より)
【東側からリアカーで運んだ場合】                                

【西側に車をとめてリアカーで運ぶのは目撃者多く不可能】

私の仮説では、もちろん日野ブリスカ750kg積載車の乗り入れである。「4本杉」は殺害現場でない。農道は運搬手段の進化(リアカー→オート三輪→軽トラ)に合わせて拡張される。当時は生産台数で軽トラックがオート三輪を完全に凌駕していた。
畑の農道は踏み固められるだけでなく陽が当たるので固くしまる。晴雨にかかわらず、農用車が入る程度では凹みがつかず平らである。実際平らだった。
車を入れると一時的に車輪の跡がつくことは自明である。当日の雨が轍を搔き消した。さらに死体発見の農道は阻止線を張るまでに大勢の若い群衆により踏み荒らされた*。日野ブリスカが入ったのは本降りになる4時半よりかなり前である。
*当ブログ「狭山事件/現場と運搬の推理」に写真がある。
死体着用の衣服等とその上に重ねてあった荒縄の濡れ方があまりにも対照的だったことが見分調書を作成した警部補の注目を引いた。荒縄だけがぐっしょり水を吸っていたのである。
繁みに死体を隠した状況を想像するに、死体は農用ビニールシートで包んで仰向けに寝かし、嵩のある荒縄、玉石、スコップは濡れるにまかせた、と考えられる。
車の荷台にはまだシートをかぶった自転車が横たわっている。通学時のカバンは自転車の後ろキャリアーからゴム紐を解かれて車の座席の足元に移動している。ゴム紐は殺害直後に上述雑木林の(道端でなく)奥深くに投棄された。帰宅途中不良達に襲われたと見せかけるためだ。
主犯は農道から帰宅途中、かばんを開けて中身もろとも本降りで増水した不老川に投じた。出会いの時間と場所が何かにメモされていたら万事休すからである。ただしこの一節は、石川さん逮捕後自白によって発見されたとされているかばん・教科書類の検証を私自身が次章でするまで保留としておく。
激しい雨の中、帰り着くと車を車庫に入れ扉を閉めた。時刻は5時ごろである。次に「迎えに」出かけるまでの2時間、アリバイがない。警察、検事は毫も家族を疑わなかった。

死体の埋蔵は計画通り5月2日の真夜中3時から行われた。初日の空振りだった零時の佐野屋張り込み騒ぎと長い降雨も収まった時間帯である。草木も眠る時間帯である。そのころ近所の犬がいっせいに異様に吠えたという付近住民の証言がよく知られている。
主犯はあたりを探すという口実を設けて家を抜け出して、家のオート三輪で現場に駆け付け、手提げライトを点灯してスコップで穴を掘り上げた。そして間近なところから遺体を引きずって穴まで運んでタオル、手拭い、細引き紐、風呂敷と荒縄を使っていくつもの細工を施し*、うつぶせにして埋めた。顔の下にビニール片が敷いてあり、頭の右上に玉石が置いてあった。これらの物はすべてあらかじめ密室である車庫に集められ用意されていた。
*当ブログ「狭山事件/祝い用ビニール風呂敷のミステリー」&「狭山事件/玉石、棍棒、紐と荒縄のミステリー」で詳細を確認できる。
事件にかかわった助手がいたことは確かであるが、穴掘りが一人でしかも25分でできることは実験で証明されている。大事なのはその場に助手がいたかどうかより、長兄が現場に居たことである。長兄抜きでは前述の複雑怪奇な偽装行為が不可能だからである。
残土の処理については、土葬を見たことがある人は難しく考えない。土葬の跡にかなり大きな盛り土ができる。それでも歳月を経て死体は水分が抜けて土に還る。掘り返すと骨の断片や髪の毛がわずかに残っていることがある。私はそういう情景を見ている。土盛りは限りなく平らになり、玉石とか墓標だけが目印となる。
当事件の場合、農道だからしっかり踏みつけてあった。米2~3俵の残土があったと推定できる。車を使えばさして処理が困難とは思えない。荷台にビニールシートを敷くかして残土を積み込んだ。土だから処分は容易であろう。
最後にスコップを現場以外の物陰に遺棄する作業があった。農具汎用品の一種だから足がつく心配はまずない。助手が持ち去って投棄したことも考えられる。
主犯は一睡もしないであたりを探し回った、と周囲に思わせた。夜明けに脅迫状封筒の「切れ端」をガラス戸の前1mの所で発見し、翌々日警察に届けたと証言している。二審で切り口が合わないことが証明された。これも理由付けのために小細工をしすぎた一例である。

謎が謎を呼ぶ。次の謎は隠匿の場所に危険を冒してまで何故農道を選んだか、である。単なる営利誘拐殺人なら雑木林奥深くの物陰に隠蔽、遺棄するだろう。



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