ノンデュアリティを理解し初めてから
引き寄せ本などをもう一度読み返したり
まとめスレ(懐かしい)などをみたり
今ならわかるかも!と思って整理しています。
できるだけ、多くの人に幸せになってほしい
それが、ノンデュアリティ的であっても
願望成就であってもいいと思っています。
どっちも最終的には同じところに行くだろうと思うからです。
今、見直して思うことは
引き寄せの法則というのは、
ノンデュアリティの感覚を
部分的に切り出して説明している
または
それを先取りして体験した感覚になっている
ということです。
思考をなくす、完璧と考える
ワクワクする感情を感じる
願いではなく意図する
願いを手放す、忘れて過ごす
こういう言い方は全てノンデュアリティの感覚になると
そのまんま起きてきます。
その感覚ではない状態で、なんとか頑張ろうとすると
齟齬が起き、叶ったり叶わなかったりするのは
思考の上に、思考でコントロールしようとしているため
実行できないことも多く、そのためまた思考に戻りやすい
今、幸せを感じるという「幸せ」の意味が捉えにくい
過度な努力がむしろ「辛さ」を感じさせる
などがあるからかと思います。
実は体の感覚、「事実」と向き合って
その瞬間しかない
ただ起きていて、全て自動である
苦しみは思考が造る
起きていることに「嫌なこと」はつながっていない
良い悪いの判断をしなくてもよい、完璧に起こっている
などが体感できていくと
あれ?
思考をなくせばよい、
全ては完璧である
ワクワク、至福しかない
これって引き寄せの話じゃん!
ということになるわけです。
ですが、
このノンデュアリティの状態になると
すでに「願望」はありません。
それも勝手に起きてくることだとわかるからです。
なので、
引き寄せは法則であるけど、方法ではない
ということが、わかったりします。
願いすら、願わされていたんですよね。
面白いなー
引き寄せやっていて辛い場合は
それは
真実を知ったときには結果的にそうなりますよ。
ということを先取りしているのだな
ということなんだと知った上で
息抜きしつつ、自分に合った方法で
幸せを求めて欲しいなと思います。