はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

風の終わる場所 32

2021年06月12日 09時53分05秒 | 風の終わる場所
文偉は、偉度に乱暴にぐるぐると巻かれた包帯を気にしつつ、従兄の費観の屋敷のなかで、偉度たちが休んでいる部屋へと向かった。
孔明と趙雲たちは、劉封、李巌らと共に、すでに先に成都に向けて出立している。
偉度はめずらしく伴を願い出ず、文偉とともに広漢に留まっている
いまや、広漢の治安は、副将の費観が一手に引き受けており、本来は文官であることのほうが似合っている従兄の目の下の隈は、濃くなる一方であった。
偉度曰く、魏の支援がなくなったのであるから、しばらく山賊も大人しかろう、ということである。
そうであってくれればと、願うところではある。

費観の妻によれば、もう元気になっている、ということだった。
そうなれば、出立は早かろう。

文偉は、成都にいた折から、ずっと用意していた書簡を取り出し、よし、と気合を入れた。
馬光年に捕らえられたときに、この書簡が見つからなかったのは幸いである。
休昭にあれこれと相談しながら(かなりウンザリされていたが)懸命に書き上げたものなのだ。

そろそろと足音を殺して部屋に近づくと、芝蘭と、まずいことに偉度もいるようである。
ほかの仲間たちは、それらしく遠慮して、どこかに潜んでいるようだが、偉度が願い出て、手負いの芝蘭と、もうひとりの、孔明を庇って斬られたという青年だけは、費観の屋敷にて手当てをうけた。
文偉が面白くないことには、偉度が、血縁でもないのに、無作法にも、ちょくちょく芝蘭の部屋に出入りし、しかも傷の手当てを自ら買っている、ということである。
芝蘭は、偉度を『兄上』と呼び、偉度も芝蘭を『妹』であると費観の妻に紹介したらしい。
李巌の陣の床下にて聞いたことがほんとうならば、かれらは、同じ細作であり、なんらかの結びつきがあって、義兄弟になっている、ということだ。
だが、片一方が蜀、片一方が呉、というのが解せない。
なにか事情があるのだろうか。
その事情を聞くことは難しいだろうが、いつか判るのだろうか。
とりあえず、文偉は、偉度が嫌がるだろうとおもっていたから、聞きたがっている素振りさえ見せるつもりはなかった。
たとえ偉度が何者であろうと、大事な友人である事実には、まったく変わりはない。
偉度が、なんらかの下心があって近づいてきているというのならば、話は別だが、この不器用で口の悪い青年は、あくまで友として文偉を助けてくれるのだから、その恩義は返さねば、おかしな話だろう。





文偉が、芝蘭の休んでいる部屋へ行くと、やはり偉度がいて、珍しくも、じつにほがらかに会話なんぞをしている。
何も事情を知らなければ、仲の良いほんとうの兄妹に見えたであろう。
そういえば、面差しが似てなくもない。
文偉が部屋の入り口に立つと、偉度は、ようよう、と、からかうように言って、文偉を部屋に招きいれた。
「おまえの従兄殿にお礼を言わねばならぬ。いまはどちらにいらっしゃるだろう? われらは、明日、出立する」
「明日? ずいぶん早いな。二人で呉へ?」
「まさか。ここでお別れだ。わたしの『妹』には、強い仲間がたくさんいるから、道中の心配はない。男も女も、それから四足の友達も」
「軍師将軍さまに御挨拶できなかったのが残念です。わたしが眠っているあいだに、もう成都へ発たれてしまったとは。でも、お怪我がなくてなによりですわ」
と、すっかり元気になった芝蘭は、残念そうに声を落とした。

芝蘭の背中には、四本あまりの矢がつきたてられていた。
とはいえ、芝蘭もただの娘ではない。
薄く見える衣の下に、細かく編みこまれた鎖帷子を纏っていたために、鏃は肉を突き抜けたものの、臓腑の奥まで届くことはなく、一命を取り留めたのであった。

「軍師は、おまえの働きを、たいへんこころよくおもっておられる。呉主に、おまえたちを決して粗略に扱わぬようにと、書簡を書き送ったそうだよ」
「敵国の細作に、そこまで心を砕いてくださるとは、お優しすぎますわ」
「我らのことは、細作とおもっていないのだよ、あの方は。生き別れた弟妹も同様だとおっしゃられていた。もし、おまえに辛いことがあれば、かならず頼ってくるようにとのお言付けだ。ほかの兄弟たちにも、その旨伝えてくれ」
「そのお言葉だけで十分ですのに」
「そう言うな。かならず、頼ってくれ。黙って行かれるほうが、あの方にとっては辛いのだから」
と、偉度と芝蘭は、文偉には、半分も意味の読み取れない言葉を交わし、なにやら笑みを交し合うのである。
なんだ、なんだ、この雰囲気は。
「ところで、文偉、おまえも出立するころだろう。一緒に帰るか。傷薬を塗ってやる手も必要であろうし、わたしがその役目をになってやる。あとで休昭に、どうして一緒に帰ってこなかったのだと恨まれると、面倒だからな」
「まあ、それも悪くないが」
「なんだ、らしくもなく、歯切れが悪いな」
言う偉度の横で、芝蘭が、親しげな笑みをうかべて、文偉を向いた。
「でも、ほんとうにお怪我がひどくなくて良かった。貴方が死んでしまったら、わたしも悲しいもの」

とたん、文偉は、ぱあっと目の前が明るくなったような気がした。
芝蘭は、このうえなく美しい娘だとおもう。
顔の半分にひどい火傷を負っているので、醜い、などとあからさまに蔑む者もいるようだし、従兄の妻も気味悪がっている様子だが、かれらの目はどうかしている。
文偉は、ちらりと偉度を見た。
偉度が出て行かないかとおもったのである。
しかし、偉度は、尻に根が生えたような風情で、まったくそこを動く気配がない。
もじもじと、次の言葉を捜していると、芝蘭が、微笑を浮かべたまま、言った。

「貴方は、わたしの夫に似ているわ」
「……………オット?」
文偉の目が点になった。
文字どおり、視界が狭くなった。
いや、目の前が暗くなった。
無情に、芝蘭は笑顔のまま、つづける。
「ええ。顔はにてらっしゃらないけれど、明るい雰囲気や、しゃべり方や…そうね、おどけているようで、芯のつよいところも似ているかもしれないわ」
これはノロケである。
こちらが誉められているようではあるが、ノロケ以外の何物でもない。
ぐらぐらと眩暈をおぼえているなかで、さらに偉度が追い討ちをかける。
「なんだ、結婚していたのか」
すると、芝蘭は、笑みをわずかに曇らせて、それでも明るく言った。
「結婚していたのです。夫は、昔に亡くなりました。夫といっても、こちらが一方的にそうおもっていただけで、あの方が、わたしを、妻とおもってくださったかどうかはわからないのですが」
「ふむ?」
偉度は、なにやら孔明そっくりの仕草でもって、髪をかき上げると、話の続きをうながした。
「わたしのこの顔の傷は、幼少の頃に、黄巾賊に村を焼かれたときに負ったものなのです。でも、おかげで捕らえられても、売り物にならぬと捨てられて、みじめな境遇に陥ることは免れたのです。そんな中で、孤児を集めている村にたどり着き、そこで夫に出会いました」
「『村』で結婚を? よく許されたな」

ハテ、奇妙な問いである。
結婚を許さぬ村とはなんだろう。
文偉が首をかしげるなか、芝蘭の言葉はつづく。

「許されませんでした。ですから、誰にも告げずに、こっそりと。あの方は、わたしの顔の傷のことを、一度も気にしないでくれた、たった一人のひとでした。村をみなで移動する直前に、お城に呼ばれて、それが今生の別れです」
「そうか」
文字通り、偉度の顔色が変わった。

これほど蒼白になった偉度を、文偉は初めて見た。
いや、さっきから、偉度に関しては初めてづくしだろう。
偉度は、過去のことはほとんど語らぬし、聞かれることもいやがった。
それが、文偉の前で、まったくいやがらず、自然に話しているのである。

「われらをそれでも許すか」
蒼ざめた顔のまま、偉度が問うと、芝蘭は、答えた。
「最初はお恨みしておりました。でも、あとになって、事情をすべて知りました。もはや終わってしまったこと。対決する形になってしまったとはいえ、わたしたちを本気で救おうとしてくださった方を、どうして恨み続けることができましょう。
ですから、お気になさらずに。わたしたちの仲間も、似たような痛みを抱えておりますが、誰一人として、恨んではおりませぬ。そうお伝えください」
「わかった。おまえたちも、さきほどの言葉を忘れてくれるな。かならず、頼ってくれ。軍師が駄目なときは、わたしがかならず助けとなる。約束しよう」
文偉は、すっかり話の輪からはずされている形となっていたが、不平不満を述べるわけにはいかなかった。
なにせ、偉度の目が、なんと、涙目にすら、なっていたからだ。

邪魔者なのは、もしやこちらか、と腰を浮かしかけていると、ほかならぬ偉度が声をかけてきた。
「ところで文偉、おまえ、用事があってここに来たのだろう。わたしはおまえの従兄殿を探しに行くから、席をはずす」
なんだ、唐突に。
文偉が返事をする間も与えず、偉度はさっさと立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。
そのうしろ姿を、ぼう然と見送っていると、芝蘭が言った。
「あの方は、わたしたちの中でも、いちばん残酷な扱いを受けた方なの。それでも立派に立ち直られて、軍師の主簿を勤め上げてらっしゃる」
「そうなのか?」
芝蘭は、今度は、文偉に目を真っ直ぐ向けて、言った。
「兄のことは、もう判ってらっしゃるのでしょう?」
「おぼろではあるが…」
「では、約束してくださいませんか、文偉さま。兄の助けになって下さい。あの方は、裏切らない相手には、きっと誠を尽くします」
「それは勿論だ。もとより、偉度はわが命の恩人だからな」
「よかったわ」
と、芝蘭は、まるでおのれのことのように、文偉の言葉を聞くと、うれしそうにした。
命の恩人は、目の前にもいる。
一度や二度ではない。
三度も助けてくれたのだ。
このままでは、偉度の話ばかりになってしまう。
文偉は、ずっと手にしていた書簡をぐっと握りしめた。こんなときばかりアレだが、休昭、力を分けてくれ。
「つ、ついでといってはなんなのだが、わたしも約束をしてほしいことがあるのだが」

つづく……

(旧サイト「はさみの世界(現・牧知花のホームページ)」 初出 2005/10/12)

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