はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

臥龍的陣 番外編 空が高すぎる その26

2023年05月28日 10時03分55秒 | 臥龍的陣番外編 空が高すぎる
徐庶が劉表へ仕官をしようとした件は、内密にしていた者であったのだが、それがだれからともなく漏れていった。
それはやがて知らぬ人のいないこととなり、司馬徳操の私塾の生徒の、いちばんの話題とまでなった。
司馬徽の塾の生徒たちの大半は、裕福な家庭の子弟であったから、徐庶の挑戦を酒の肴にしては、どこがどう駄目なのかと、他人事のように勝手なことを話し合った。


司馬徽の塾に来てだいぶ経ち、その理解者も増えては来ているももの、一定数の徐庶の『敵』は存在する。
その『敵』と犬猿の仲の孔明が、徐庶の悪口をたたく者たちの場に居合わせると、かならず喧嘩となった。
以前は孔明と『敵』の喧嘩が始まると、仲裁に入っていた司馬徽であったが、最近では、どちらかが気絶するまで放っておくことが増えた。
きりがないと思われてしまったのだろう。


孔明のこのところの機嫌はすこぶる悪かった。
それには理由がある。
徐庶は、劉表の仕官への話が流れたとはっきりすると、待っていたかのように、すぐ旅に出てしまったのだ。
旅の行き先は、だれにも告げなかった。
徐庶がそのように、だれにもなにも言わずに旅に出てしまうことは初めてであったから、それがまた、さまざまな憶測を呼んだ。
将来に絶望して、ちがう土地へ去ってしまったのだとか、故郷にもどるのだとか、いいや、別な君主をもとめて旅に出たのだとか。
信憑性の高いものから、低いものまで、あれこれと出てきたが、確かなことは、本人しかわからない。


孔明は徐庶がなんでも打ち明けてくれると思い込んでいたので、そうではない態度をとられたことで傷つき、機嫌を悪くしていたのだ。
素行の悪い亭主を待つ女房のようだ、と軽口を叩かれることもあった。
裏で言われるならともかく、面と向かって言われると、孔明は果敢に戦った。
そして、たいがい、からだのどこかに青痣を作って家に帰り、黄家から来た女房にひどく叱られた。







旅の行き先は、じつのところ、徐庶にもわかっていなかった。
ともかく思いつきで、北ヘ行ったり、南へ行ったり、東、西へと自由きままに足を伸ばした。


かつて大虐殺のあった徐州が、ほかならぬ曹操の治下で立ち直りつつあるのを見た。
大海原とやらがどれほど巨大なのかを確かめに、東の涯てまで行ってみた。
それから公孫氏の治める土地にまで行って、辺境の民と蛮族との攻防の様子を見た。
曹操の膝元である許都の栄華を見た。
さらに西へ行き、かの張騫のように、汗血馬を探そうと思ったのだが、これは途中で熱病を患ったので、引き返した。


そのまま南下して、険阻な蜀の大地を目の当たりにし、荊州よりもはるかに平和で、多くの民族の交易が盛んな成都の様子を見た。
途中、道連れもあったし、たった一人で、何日もだれとも口を利かないこともあった。
足の豆をひたすら潰し、路銀がつきると、その土地で働き口をもとめて工面した。


中華と呼ばれる地域のほとんどをくまなく回り、最後に交州を抜けて揚州へ入り、江東からふたたび荊州へもどってくるのに数年を要した。


つづく

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さて、「近況報告」は、この記事を更新した後にアップします。
お時間ありましたら、ついでに見てやってくださいませ。
終わる、終わると言っていて、なかなか終わらない「臥龍的陣」も、今週でほんとうに終わります。
続編は、まだ半分くらいしか書けてないという状況ですけれども、間を置かずにつづけて連載を開始します。
何曜日に更新する、という情報も「近況報告」に書きました。
それにしても、今朝から右目からの涙が止まらないんですが、なんですかねー、これ。
身体には気を付けて創作を楽しんでまいります。
ではでは、みなさまの日曜日が、よりよい日曜日になりますように('ω')ノ


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