MBSさんのちちんぷいぷい金曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第17章『東海道五十三次の旅』52宿目のまとめ。

【51宿目】 2021年03月05日(金)放送 

 

旅の内容:● 石部宿 → 草津宿 ▲第二の馬生?!■新選組の忘れ物を拝見★盛り上がってまいりました・・・東海道


スタートは滋賀県湖南市・石部宿。目標地点は滋賀県湖南市・石部宿。約14キロ?のコース。

 

午前9:00、滋賀県湖南市にある、石部宿からオープニング。天気は良いけど、風が強くて寒い朝。昨日暖かかった分、余計に寒く感じる、いわゆる三寒四温で春を待ち望む。

 

 歩いていると、「なんかその、一歩一歩河田さんの足取りが、冷たい気がします。」と、ぼやくくっすん。「しっかりと一歩一歩噛みしめていただきたいんですよ、僕は・・・。」と最終回まで残りわずかな道のりを、じっとりねっとり歩く。

 

スタートから2キロ、午前9:30、滋賀県湖南市から栗東市へ入る。『馬の町』栗東には、競走馬のトレーニングセンターがある。

 

スタートから3キロ、2019年にオープンした会員制の、『TCCセラピーパーク』を取材する。主に、引退した競走馬の居場所を作る福祉活動を行っている。

 

 代表取締役の山本さんに案内してもらい、サラブレッドのお馬さんがいっぱい入っている、馬房を拝見する。

 くっすんも知っているディープインパクトを父に持つ、『クリアザトラック』がいる。競走馬として、そこそこ活躍した。オスの馬の場合、引退後に牧場に帰って種馬になれるのは一握りで、多くは処分されてしまうのが現状とのこと。

 

 そんなお話しを河田アナがうかがっているときに、後ろでお馬さんと戯れている、くっすん。そのお馬さんは、現役のときに獲得賞金2億を超える『メイショウナルト』で、武豊さんが騎乗して優勝したこともある。

 

 競走馬の平均寿命は、およそ30年。しかし、早ければ3歳で引退してしまう。そこで、引退した競走馬の一時的避難場所・ホースシェルターを担っている。

 全国約30か所の牧場や乗馬クラブと提携し、人との触れ合いや乗馬など、ここから新たな活躍の場に送り出す。

 

 また、ホースセラピーとして障がいをかかえた子どもたちへ、乗馬や飼育などを体験してもらっている。そんなお話しを屋外で聞いていると、つぶらな瞳のポニーさんが見てくるので、2人も心が癒されるのであった。

 

午前10:30、もうすぐ”昔偉”卒業のくっすんは、「あ~僕は誰も、引き取ってくれへんな。」と嘆き、「それはもう、自分でなんとかしてよ。」と河田アナに返される。

 

スタートから5.5キロ、江戸時代に『和中散(わちゅうさん)』という薬を販売していた、『旧和中散本舗』を見学する。

 

 25代目当主の大角さんに案内してもらい、製薬所の中へ。江戸時代のとても大きな木製の製薬機械があって、ビックリ。直径4メートルもの動輪の中に、大人が2人入って回す。連動した歯車も回り、最終的に石臼で薬草が粉砕され薬になる仕組み。

 ハムスターがグルグル回るような仕組み、だと例える河田アナ。今でも動くはずだが、心棒がだいぶすり減っているので、回さないようにお願いしている。

 

 和中散は、痛みを緩和するという意味。徳川家康が腹痛を訴えたとき、こちらの薬を献上して効いたので、『和中散』という名前をいただいた。今は、作っていないとのこと。

 

午前11:50、

ご自宅の窓を開けて、声をかけてもらう。「もっときれいにしてたらよかった。」と言いつつ、窓をバタンと閉める。

 

100メートルほど進むと、病院帰りのヘルメットをかぶった、ファンの方に声をかけてもらう。ちょっと話していたら、どんどんファンの方が集まってくる。先ほど勢いよく窓を閉めた奥様も、追っかけてきた。

 昔偉のコーナーも東海道の旅終了とともに、終わる旨をお伝えする。「僕、春からどうしていったらいいですかね?」と相談すると、「観光ガイドでも、してください。」とアドバイスされる。

 

午後0:20、お昼ご飯を食べる店を探す。午前中の診療を終えた、とある病院で、オススメの場所をうかがおうとしたら、食べ物は関係ないけど、院長が趣味で作っている、能面を見せてくれる。

 病院の待合室に、本格的な能面が飾られている。もともと日曜大工が好きで、その延長で能面作りにハマってしまったとのこと。白衣脱いだら、能面に全部を注ぎこむほど・・・。

 

 せっかくだから、先生お手製の能面を、それぞれかぶらせてもらう。よく分からないが、たぶん似合っている。能面を付けたまま歩く・・・のは、視界ほぼゼロなので無理。

 島流しにあって、他の人は赦免されて帰ったのに、赦免されずに島に取り残された残念さ・悔しさを表したお面。「これ、いただいていい?」と気に入っている、くっすんであった。

 

 結局歩いていてもお店は見つからず、

午後午後1:00、滋賀県栗東市から草津市へ入る。

 

スタートから11キロ、草津市の大通りに入り、お店は選り取り見取り。ちょっと高級そうな『近江スエヒロ 本店』を覗く。ランチにしてはちょっと贅沢だと見送ろうとしたが、ビジネスチャンスを逃したくないという店長さんが追っかけてきて、どうですか?とお店へいざなわれる。

 

午後1:30、近江スエヒロ本店にて昼食。河田アナ・くっすんともに『シェフの気まぐれランチ』を食べる。メインデッシュのタンドリーチキンに舌鼓を打つ。

 

午後2:30、近江スエヒロ本店から道を渡ってすぐ、『うばがもちや 本店』を取材する。約450年愛され続けたという名物・”うばがもち”の名前の由来を、店内で河田アナが説明する。

 

うばがもち

 戦国時代の話し、近江国を六角義賢が治めていた。ところが、織田信長に攻め滅ぼされた。義賢には、3歳になるひ孫がいて、なんとかひ孫だけでも逃がしてやりたいと、乳母に預けて逃げるように言った。

 乳母は草津に身を潜めながら暮らした。そこでお餅を作り、旅人に売ってそのお金でひ孫を大切に育てた。

 

 その話しが後に広まり、乳母が作ったお餅を、うばがもちと呼ぶようになった。河田アナの後ろで、うばがもちを食べていたくっすんが、「これひょっとして、乳母の・・・ですか?」と言葉を濁す。「なんやねん。」と理解できない河田アナ。おっぱい大好き?のくっすんには、乳母のおっぱいに見えるそう。「マジで嫌われんで。

」と河田さん。しかし店長さん曰く、「乳母の母乳がじんわり染み出してきている様子っていうのを想像していただけると、実際に近いのではないか。」。

 くっすんのおっぱい発言が、正解だった。

 

 餡に包まれたお餅は、滋賀県草津市で有機栽培されたもち米を使って、求肥餅に仕上げる。

 

午後3:10、52番目の宿場・草津宿 [本陣跡]に到着。江戸時代には、本陣2軒・脇本陣2軒・旅籠が72軒建ち並んだ。

 2019年に、本陣跡で新選組の忘れ物が発見された。草津宿の本陣は、全国に残る本陣の中でも最大規模を誇る。

 

 館長の八杉さんに案内してもらい、展示されている宿帳を拝見する。

 そこには、『新選組 土方歳三 斎藤一 伊東甲子太郎 藤堂平助』と、そうそうたるメンバーが連なっている。4人の他、32人が1865年5月9日に宿泊した。

 新選組がここに泊まったと思いをはせて、盛り上がる河田アナ。小説などで知る歴史の世界が、実際にここに実在したという証しを、心に刻む。

 

 普段は非公開の新選組の忘れ物を、特別に拝見させてもらう。ぱっと見なにか分からないが、煙管(キセル)入れとのこと。煙管を収納し、今はないがフタがあったと思われる。『新選組 五月九日御泊 壱番間ニ御失念物』とタグが付いている。

 現在でいうところの『フロントでお預かりしてます』で、結局取りに来なかった。誰の煙管入れかは分からないが、身分の高い人物が宿泊した”壱番間”の忘れ物なので、代表4名のいずれかと考えられる。

 

午後3:50、本陣跡を後にしようとしたとき、「忘れてはりませんか?」と館長さんに声をかけられる。くっすんが菅笠を、下駄箱の脇に置いたままだった。

 

スタートから14キロ、目標地点で歌川広重の草津宿に描かれた場所・『瓢泉堂』(ひょうせんどう)に到着。江戸時代には、この場所にうばがもちを販売する茶店があった。浮世絵に描かれている道しるべが、今も残っている。

 

 現在は茶店の代わりに、創業約200年のヒョウタン屋さんになっている。いろんな種類のヒョウタンを、取り揃えている。

 

 お店の御主人・瀬川さんにお話しをうかがう。

 昔は旅人が水筒代わりに使っていたので、たくさんあったヒョウタン屋さん。今は、実用品から装飾品になっている。

 

 スタッフさんから「覚えてないですか?」と問われる2人。なんと店内にくっすん&河田アナのサイン色紙が飾られている。ちょうど10年前に昔偉ロケで取材していたのだ。すっかり忘れていた。これも運命。

 そのときは、ヒョウタンの作り方を聞かせてもらった。

 

 最後に10年ぶりの再会となった瀬川さんに、52番目の宿場・草津宿の通行手形を書いてもらい、通行許可をいただく。通行手形の代わりに、2人の新しいサイン色紙を進呈する。さっそく、10年前のサイン色紙の横に飾られた。

 こうして、東海道五十三次・52宿目の草津宿への旅を無事終えた。

 

 ここでロケ終了・・・かと思われたが、53宿目の大津宿、そこからゴールの京都・三条大橋まで距離にして28キロと、残り1回のロケで歩くには、ハードな距離なので、ちょっとでも進んでおきたい。

 最後にゴールしないまま終わるのだけは御免だと、くっすんも前へ前へ。

 

午後5:00、日没までとにかく歩く。

 すると、河田アナも2度見する人物が、背後から迫ってくる。ひらがなの”け”と大きく書かれた、菅笠を鞄にぶら下げた男性である。

 

 和歌山県にお住まいで、自営業をされている原山さんで、”け”の菅笠について語り出す。

 昔偉が東海道を歩く前から、一人で東京から東海道を歩いている。あるときテレビを見て、河田アナとくっすんが歩いているのを知って、一人で歩いている寂しさをどうにかする何か欲しいと思っていたところ、コレやと思って作った菅笠。ニックネームがけびんなので、『け』。

 

 もともと和歌山から東京へ自転車(ママチャリ)の旅に出かけ、復路は東海道を歩くことにしたそう。京都に着いたら、今度は熊野古道に行こうかと、とにかくアクティブ。

 「僕ね4月から、することなくなるんですよ。一緒に歩こかな・・・。」と身の振り方を考えるくっすん。試しに、くっすんとけびんが並んで歩いてみる。その後ろ姿を見て、しっくりきていると河田アナ。

 

 すごい出会いに、浸っている場合でもない。けびんとお別れして、なお前進。

 

 地元の方々から温かい声援をもらいつつ、

スタートから16.5キロ、滋賀県草津市から大津市へ入る。

 

 河田アナ・くっすん・スタッフさん、全員クタクタだけど、感動のフィナーレへ向けて歩き、

スタートから17キロ、『東海道立場跡』の石碑の前に到着。分かりやすい目印なので、次回はここからスタートということで。

 「けっこうがんばってくっすん歩いたんじゃないですか?」と労う河田アナ。「いよいよ次回が最後かと思うと、なんというか・・・。いやもう終わりたくないという気持ちが強いですけど・・・。」と、十年の日常が唐突に終わりを告げる、気持ちを言葉にできない。

 

 次回の最後の旅路に、盛り上がってまいりました・・・東海道。

 

■簡易チャート
スタート:滋賀県湖南市・石部宿 → 『TCCセラピーパーク』(3km) → 『旧和中散本舗』(5.5km) →『任医院』→ 昼食:『近江スエヒロ 本店』(11km) →『うばがもちや 本店』→ 草津宿 [本陣跡]  → 目標地点:『瓢泉堂』(14km) →『東海道立場跡』(17km)