連載126回 韓流時代小説 罠wana*秘された王子と麗しの姫
君に、出逢えた奇跡。俺は、この愛を貫いてみせる~
第二部 第一話「十月桜」
~十月桜が咲く頃、笑顔で家を出ていった夫は二度と妻の許へ戻ってこなかった~
韓流時代小説「裸足の花嫁」第三弾!!
今夜も咲き誇る夜桜が漆黒の夜空に浮かび上がる。
桜の背後にひろがる夜のように、一人の男の心に潜む深い闇。果たして、消えた男に何が起こったのか?
「化粧師パク・ジアン」が事件の真相に迫る!
****王妃の放った刺客から妻を守るため、チュソンは央明翁主を連れ、ひそかに都を逃れた。追っ手に負われる苦難の旅を続け、二人が辿り着いたのは別名「藤花村」と呼ばれる南方の鄙びた村であった。
そこで二人はチョ・チュソン、パク・ジアンと名前を変えて新たな日々を営み始めるがー。
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要は心のありようなのだ。チュソンは今、都にいたときとは比べようもない粗末な道袍を着ているが、それでも、彼の内面の輝きは色褪せていない。
眼の前の男は、その意味で何か絹製の衣服と彼自身の雰囲気が食い違っているように見えてならないのだ。
うずくまる妻が小さく呻いた。ジアンは我に返り、妻の方に近づいた。今は些末なことにかかずらっている場合ではない。
「奥さま、どうされましたか」
ジアンは地面に片膝付き、若い夫人を覗き込んだ。夫人は良人に抱き起こされている。
こちらは良人に比べると、生来の品の良さを感じさせる美人である。美しいのも美しいけれど、可愛らしい人と言った方がふさわしい。しかし、今は顔色はすごぶる悪く、殆ど血の気がなかった。元々色白なのだろうが、不自然なほど透き通っている。
ジアンに問われ、夫人がうっすらと眼を開けた。良かった、意識を失っているわけではないらしい。
「急に目眩がして、気分も悪くて」
消え入るような声で呟き、ウッと気持ち悪そうに手のひらで口許を押さえた。
ジアンは夫人の膨らんだ腹を見た。この出ようでは今、五ヶ月くらい、漸く安定期に入ったくらいだろうか。悪阻はそろそろ終わっている時期だけれど、人によって違う。中には長引く人もいると聞く。
薬草に詳しいジアンは、多少であれば医学の知識があるのも幸いした。
「失礼します」
断った上で、夫人の額と手に触れる。案の定、夫人の身体は不自然な熱を持っていた。
眼は辛うじて開いているものの虚ろで、焦点が合っていない。呼吸はかなり速かった。
良人は不安げに妻を見ている。ジアンは彼に向いて言った。
「暑気あたりです」
良人が大仰なほど愕いた。
「暑気あたり? 馬鹿な、今は夏ではないぞ」
自らが優位であることを誇示するかのような、尊大な態度だ。
ジアンは無表情に良人を見た。
「暑気あたりというのは、何も夏だけになるものとは限りません。例えば、今日のように真昼はかなり気温が上がる春にもよく起きます。殊に奥さまはご懐妊中です。ゆえに、普通の人よりは抵抗力も弱く、暑気あたりにもなりやすい状態なのです」
良人が判りやすく反応した。
「四の五の言わずに、何とかしろ」
ジアンは内心で苦笑した。医者でもないジアンに何ができるというのだろう? この男の頭の中は田んぼの案山子よりもお粗末らしい。
だが、男への軽蔑はこの際、側へ置いておこう。困っている妊婦を見過ごしにして良いはずがない。
ジアンは腰に下げた小さな竹筒を外し、蓋を開けた。携帯用の水筒である。そろそろ日中はかなりの陽気になってきたため、外出の際は持ち歩いているのだ。
蓋を開けた竹筒を夫人の口許に当てる。
「奥さま、冷たい水です。少しでも良いので、飲んで下さい。楽になりますよ」
良人が物凄い剣幕で怒鳴った。
「おい! 妻は妊娠しているんだぞ? 怪しげなものを飲ませて、もしものことがあったらー」
言いかける男に、ジアンは振り返らずに断じた。
「ただの水です。毒ではありません。このまま放置する方が奥さまはかえって危険ですよ?」
男が鼻白み、黙った。ジアンは優しく言った。
「さあ、お水を飲んで下さい」
夫人は素直に水を飲み、ジアンはゆっくりと時間をかけてすべて飲ませた。夫人はしばらく眼を瞑っていたが、やがてジアンを見上げた。
「随分と気持ち良くなりました。胸のつかえが取れたみたい」
存外に声もしっかりとしている。この様子であれば大丈夫だろう。たいした事態にならなかったことに、ジアンは心から感謝した。
念のため夫人の手に軽く触れると、やはり異様なまでの熱は引いていた。軽い熱中症のようなものだろう。
そろそろ三月も終わりである。今朝はかなり冷え込んだけれど、太陽が真上に来た今、温度は急上昇している。妊娠して身体が弱っているところにこの急な暑さで、参ってしまったのだ。
「気分の悪さは、いかがですか?」
訊けば、夫人は呟いた。
「まだ少し」
「悪阻がまだ終わらないのでしょうか。失礼ですが、今、何ヶ月ですか」
ジアンの問いに、彼女は頷いた。
「五ヶ月に入ったところです。定期的に診て貰っている先生は、そろそろ終わっても良い頃だとおっしゃるんですけど」
ジアンは袖から小さな紙包みを取り出した。
「これはいわゆる一般的な滋養強壮のお薬です。妊娠中のご婦人でも飲めるもので、医師が悪阻防止に出すときもあるものです。良かったら、お飲みになりますか?」
またも良人が割って入った。
「おい! 医者でもない小娘の癖に医者を気取るのか」
と、妻が良人を制した。
「あなたは少し静かにしていて下さいな。この方は私たちの子どもの生命の恩人です。恩人たる方に対して感謝を示しこそすれ、失礼な物言いは慎まねば」
どうやら頭の軽い良人には似合わない妻のようである。
夫人が弱々しい声で言った。
「ごめんなさい。折角ご親切に助けて戴いたのに、気を悪くなさらないで」