藤田元司監督のもとで、優勝(日本一)、2位、優勝、という3年間(1981~1983)を助監督として経験した、王貞治(おう さだはる)さんは、1983年11月8日には、いよいよ、巨人の第11代監督に就任するのですが、そんなチームを受け継ぎながら、1年目、2年目は共に3位に終わってしまいます。

「王貞治は助監督を3年するも監督業には役に立たなかった?」からの続き

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監督1年目はオープン戦は好調も・・・

王さんは、監督1年目の1984年、オープン戦を11勝4敗2分で終え、それなりの手応えを感じつつ、公式戦に入ったそうですが、

4月6日の阪神との開幕戦では、江川卓投手が2年ぶりに開幕投手として登板すると、序盤、4対1とリードするも、3回1死一、二塁で、阪神の4番・掛布雅之選手に右翼席に同点3ランホームランを打たれ(4対4)、その後、勝ち越されて、江川投手は4回6失点で降板。そして、その後も、追加点を取られ、一時は、阪神に4点差をつけられます(8対4)。

ただ、9回に打線が奮起し、なんとか、追いつき、8対8の引き分けとするのですが・・・

監督1年目は優勝の広島と8.5ゲーム差の3位

2試合目は1対2、3試合目は3対5で負け、2敗1分の厳しいスタートとなると、4試合目の中日戦は5対1で初勝利するものの、以降、負けが続き、4月24日の時点で3勝10敗3分と、首位の広島に9.5ゲーム差をつけられます。

それでも、8月の終わりから9月にかけて10連勝するなど、なんとか、首位・広島に追いすがるのですが、最終的には、8.5ゲーム差の3位(67勝54敗9分)に終わってしまいます。

監督2年目は優勝の阪神と12ゲーム差の3位

また、監督2年目の翌1985年も、開幕2カード目、甲子園での阪神戦で、ランディー・バース選手、 掛布雅之選手、岡田彰布選手に、いわゆる「バックスクリーン3連発」を浴びるなどして3連敗を喫し、開幕ダッシュに失敗すると、

一時は盛り返して首位に立つも、最終的には、21年ぶりに優勝した阪神に12ゲーム差をつけられて3位(61勝60敗9分)に終わってしまいます。

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自身の55本塁打記録にあと1本と迫ったランディ・バースに4四球して非難される

ちなみに、この年、王さんは、自身のシーズン55本塁打記録にあと1本と迫っていたランディ・バース選手に対し、巨人投手陣が4四球で勝負を避けたことから、非難を浴びているのですが、

王さんは、その前の試合で、江川卓投手がバース選手に真っ向勝負を挑んでいたこともあり(結果は2打数1安打1四球)、「勝負するな」という指示は一切出していなかったそうで、巨人投手陣が自主的にバースとの勝負を避けたようです。

(王さんは、走者を出して負けることが一番嫌いだったそうです)

また、王さんは、2013年、ヤクルトのウラディミール・バレンティン選手が、王さんのシーズン55本塁打記録を破った際にも、

2試合にほぼ1本のホームランは驚異的なペースであり、プロ野球新記録といった話題をも超越した圧倒的な数字です・・・この数字がどこまでいくのか、ファンとともに楽しみたいですね

と、コメントしており、記録に対する考え方は、ずっと変わっていないとのことでした。

「王貞治が巨人監督時代ドラ1を清原和博から桑田真澄に変えた理由とは?」に続く

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