読書「未来をつくる言葉」(ドミニク・チェンさん)
2020年ですね。
遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。
さて去年から水曜個人事業主の私は、その日も銀座での午前中のアポイントを終えて、拠点にしている池袋の静かなカフェへ移り作業をしていました。
サンドイッチを食べ終えてメールチェックをすると、1通見慣れない送信元が!
驚きながら内容を確認。
どうやら、昨年のLITALICO研究所OPENLABの鼎談でお世話になったドミニク・チェン先生が、新刊を出されたとのこと!
※こちらはOPENLABの鼎談ダイジェスト動画です
【ダイジェスト動画】LITALICO研究所OPENLAB第2回|「自己知」とウェルビーイング – からだが教えてくれたこと(ドミニク・チェンさん編)
本書が「22日(メール受信の日)発売!」と見た瞬間、「あとで買う!」と決まっていました。
これはたぶん無意識に買うと決めて、その結果だけが意識に上ってきたからでしょうか。
先日直接お会いしたり、いくつかの著書・記事を読むうちに、著者を自身の生存に利する先駆者、つまり模倣の対象だと身体が認知しているようです。
そういえばこんな反応は、ここ2~3年にはなかった久しぶりの感覚…
その後閉店まで作業をしてから、さっそく池袋ジュンク堂で購入。
運良く座れた帰路の電車内で読み始めます。
冒頭の「はじまりとおわりの時」という数ページの文を読み進めるうち、自分の世界になにか私の期待する新しいものが入り込んでくる予感があり、そこからずばっと本の世界へ入り込んでいき、その日のうちに読み終えました。
今回、読み進めていく中で想起されたイメージはひとつひとつメモしましたが、けっこうなボリュームになってしまいました。
以下では特に印象のあるところを書いてみます。
ことばが立ち上げる、それぞれの環世界
第一章「混じり合う言葉」では、発達障害当事者の感覚と一般の方の違いを伝える前提の知識として私もよく講義の中で使う言葉「環世界」について、まず語られています。
環世界とは「それぞれの生物に立ち現れる固有の世界」という生物学者ユクスキュルが発明した概念のこと(本書より)です。
生物学的な意味だけでなく、「時間と空間を抽象化して扱う言語的な環世界」がその上に重ね合わさっている、という表現が本書ではされていて、私には新鮮です。
このように本書では、一貫して言語がその編集対象として扱われます。
まず「おぉ~」となったのは、言語の多様性は世界認識の多様性、という点。
大須賀節雄先生の「思考を科学する」という本の中でも、言語の源は風土にあり、とされていましたが、生成文法論との比較は私には新しい視点です。
私はまだ言語のことは体系的に学べていませんが、個人の環世界を扱ううえで、言語の性質を細かく把握することは必須、という理解に突き当たっていました。
また発達障害に関する研究でも、言語IQが高いほうが社会適応が良くなる傾向にあるという結果が報告されていますが、これは自分とは大きく異なる環世界を持つ多様な他者との摩擦を何らかの方略で低減するには、言語力も影響している、ということを示唆するものです。
自閉スペクトラム症の特性がある私はメール文面が長くなる傾向にありますが、これは環世界の違う他者との「広めの」空白を、無意識に言語で埋めている(言語で埋めていかないと状況の共有ができない)傾向が強いからだと理解しています。
言語の種類が多様、という観点とともに、その語用の在り方も世界認識の多様さに影響していることが示唆されます。
さらに上記に関連して、「サピア-ウォーフ仮説」として紹介されている「特定の言語グループに属する人間にはその言語に固有の現実世界が立ち上がる」という仮説は重要です。
この「世界が立ち上がる」という表現がどんなことを指すのか、具体的な感覚、条件、種類や相互の関係は、私もこれから詳細に分析する必要がありそうです。
今年度の紀要(2002年3月発刊予定)向けに執筆した論文「発達障害のある人の就労継続に向けた主体的自己の発達」では、発達障害のある人の主体性・自律性の発達要因について、先行研究と私の自律性獲得までの経験知を合わせて検討し、4つの要素を抽出しています。
「高次の目的」
「他者を含む環境」
「メタ認知」
の3つとともに、
「固有の認識論」
を要素として挙げ、その構造を探る中で、「知識断片が蓄積・同化され関連世界が立ち上がる」(岡田敬司「自律者の育成は可能か――『世界の立ち上がり』の理論――」、など)という理論も引用していますが、この点はまさにこの要素に関わる論考です。
岡田は、言語世界も幾つかに区別されることを紹介しています。
例えば自閉スペクトラム症の特性との関連で示せば、自閉スペクトラム症の特性がある人は
「対人的親密さと依存・依頼を表現する感情表現」
「相互的依存と親密さ、つまりは仲間同士を強調する表現」
の発達が弱く、対人関係世界(一次的言葉)が立ち上がりづらいとされます。
一方で技術的、合理的な世界を立ち上げるための
「事態の精密で脱感情的なコード」
である二次的言葉は比較的発達しやすいため、後者の世界の中で
「疑似心理・社会的世界」
を構築して他者との関係を維持している、という情緒ー客観世界の区別がその一例です。
ともかく、ある「世界が立ち上がる」には、その文脈に関する情報や経験の絶対量と、それらを関連付ける力が大きく影響すると理解していましたが、言語はまた別の角度でその質を形成する要素かもしれない、ということになります。
本書の第1章(P28~29)でも、言語の「受容体」としての性質や役割について語られていて、「知覚された情報が言葉という受容体によって意識の俎上にあげられることで人間の環世界が立ち現れる」と表現されています。
「固有の認識論」のベースである言語について詳しく分析を進める際には、本書で論じられている切り口をまず当たっていきたいと思います。
伝わらない構造を理解して場を編集する
他にもたくさんの気付きメモを取りましたが、まだ何度も読み返して熟成させたいこともあります。
例えば、言語以外の「表現」(芸術や写真など)も受容体の一種として論じられていますが、これも情緒ー客観世界の立ち上がりの状況により、情報の受け取り具合は大きく違いそうなことなど。
そのあたりのことは、また情報を自分の中でも補っていきながら追々ご紹介できればと思います。
本書を読み進めて詳しく事情が分かりましたが、著者もいくつかの国・言語の狭間で居場所をなくしていた時期があったそうです。
以前にもここで書いた通り、私も定型発達者と発達障害当事者の世界どちらにも浸りきれないがための難しさに苦しんだ時期があります。
(一時期は、著者ほどではないにせよ吃音にも悩まされました)
その「差異」の翻訳の方法を学び、日々少しずつ実践をしていく中で自律的な意識の世界が突然立ち上がりました。
その経験のあまりの衝撃の大きさから、主体性・自律性の発達メカニズム解明にかなりの時間をかけてきています。
当初、そうした自身の主体性・自律性の研究を、発達障害当事者のサバイバルスキルとしてだけではなく、現代は新しい価値創造という観点から主体的・自律的な主体を増やさなければならない時代ということ、そしてそれが実現すれば結果的に「他者の環世界を推し量ることができる」人間が増え、発達障害当事者にも利するだろう、と考えて取り組んできました。
領域や動機は異なりますが、これは著者の世界的な視野での問題意識からのアプローチと、結果的には近いのかもしれない、と感じています。
そしてそうした中で本書を読み解くにあたって、著者の来歴が詳細に語られていることが非常に大きな助けになったことは、まさに本書が第6章で示した「個々の存在の辿ってきた来歴、プロクロニズムに注意を傾けることによって、自他が関係する地平が切り開かれる」ことを私に強く印象付けました。
このことは、情報のやり取りにおいて予め発信者の背景を情報として取り込むことは、「私の認識論の中では」、それらの情報を私の知識データベースの中へ配置するために有益に働く、ということを改めて実体験し、メタ知識として経験知の中へ配置する得難い機会でした。
また著者が第9章で語る、「わかりあえなさ」をつないだ結び目に生まれる「新たな意味」「新しい意味」を扱うための技能や態度を意図して養っている人も、徐々に増えてきています。(例えば、「インターミディエイター」など)
ビッグデータやAIなどテクノロジー関連スキルの必要性が喧伝されますが、このようなヒト、動物、自然、機械の環世界同士を結ぶ役割は、これから益々必要になります。
そのような立場を目指す人にとっても、本書は非常に精度の高い道標になるはずです。
このように、本書は今後私がこの研究を続けていくうえで大きな助けになるたくさんの示唆に富み、またこの途を進み続けることに更なる価値を与えてくれました。
いつか近い将来、今のところ読書好きに育ってくれている私の娘にも、自分の著書と一緒にこの本を渡してあげたいと思います。
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