人は

「立場」や「役」を演じている限り

一生幸せにはなれない

「立場」や「役」を演じる限り、どこにいっても幸せにはなれない 安冨歩さんと考える今からできる働き方と幸福論 


わたしはアスペルガー症候群ですから、
幼少時から「らしく」から逸脱していた。
  • 「子供らしくない!」
  • 「女の子らしくない!」
  • 「学生らしくない!」
  • 「社会人らしくない!」
  • 「母親らしくない!」
果ては今では「障害者らしくない」とか「ASDらしくない」とまで言われます(笑)

子供の頃、

自称「子供好き」な大人ほど警戒していて(笑)

だって奴ら「ワタシの考えた子供らしい子供」

じゃない子はあからさまに嫌うんだもん!

だから、
どこまで行ってもひとりだし
誰の仲間になったこともない。

そして編み出したのが
定型発達女子演技✨
皆さんに誤解されるのですが
わたしは
意思を持って
  • 「自分らしく」
  • 「マイペース」
  • 「ステレオタイプからの脱却」
をしているのでは無く
事実は逆で
少しでも人様の迷惑にならず
人間社会と調和しようと必死なのです。

現実的に

「立場」や「役」を捨てるのは難しい

演じることは大変だし

本当のわたしに誰も気づかない

もちろん、立場主義を捨てて人として生きる

ことができれば幸せかもしれない。

しかし、
「立場」や「役」をまっとうしたら
ご褒美(居場所・賃金・賞賛等)
があり、
うまくできなかったら…
よほど社会的地位が高かったり
特別な技能でも無い限り、
処罰が待っています。
「立場」や「役」を持たない人間に居場所はありません。
(日本は確かに極端だと思う
特に迷惑をかけていなくても
少し、らしさから逸脱しただけで
肉体的な暴力や人格否定等の暴言が余裕で飛んでくる
しかも相手は集団…)

「立場」や「役」に固執している限り

そこにわたしはいない

そもそもASDなので演じることは上手じゃない。

だからなかなかうまく行かないけど

演技が上手くできて褒められると嬉しい。

でもそれは演技が上手くできただけ。

もっと上手い人はいくらでもいるし

ミスしたら終わり。

それに…

誰もわたしを見つけなかった。


実母の理想の子供を演じることはできなかった。

彼女は理想の子供について勉強はもとより

生まれついての体型や

プライベートの趣味・思想に至るまで

しっかり持っていて

わたしに自由を与えなかった。

彼女の思想では

自由とは「義務」を果たした者だけに許される権利

それは夫とも共通している。

実のところ、わたしはそうは思わない。

だがしかし「みんなが他人の迷惑を省みず好き勝手やって良い」という意味ではない。

わたしと彼らでは「自由」の定義が異なるのかも知れない

「自由」無しでどれだけ「その人らしさ」がわかるのでしょう?

そこでわたしが考えたのは

実母比で

本当のわたしに近い役割を与えてくれる人に近づき

その役を演じよう!

これは多くの人が行っている生存戦略に思う。


義母ちゃんの友人兼介護者。

これはハマり役だった。

というか、何も演じてなかった(笑)

周りの人はそれを偽物だと言う。

「義母ちゃんが晩年だったから」

「どうせ褒められて嬉しかっただけでしょ?」

その人がそう思うなら別に。

その人のホンモノだろうがニセモノだろうが別に。

わたしとしては人生で初めて感じた

暖かい人間と人間の心の交流でした。


話そうとはしたのですよ。

診断もされていなかったし、

「発達障害」という言葉もメジャーではなく

わたしも知らなかった頃から

  • わたしは脳だか心だかに困難を抱えていていくら努力しても「みんなと同じ」になれないこと
  • そのため幼少時から辛く苦しいことしかなかったこと
でも誰も聞く耳を持たなかった。
みんな、人の話を聞かずに話し始めで遮る。

「わたしが小学生のとき…」

⇒1分も話していないのに

「なんだ、たかがイジメか!!俺が子供の頃は(以下自分語り)」


「実はわたし人の顔を見分けるのが苦手で…」

⇒1分も話していないのに

「あー!!私もそうなの!そういう人多いよ!!(以下自分語り)」


こういう意味でも定型さん、「会話ペース早!」

なんですよ。

わたしがゆっくりすぎるのですが

こちらは本題に入っていないのに一足飛びに

「自分の知っている結論」が出てきてお説教か自分語りが始まるので目が回ります。

でも、書いてて、この話法わたしも時にするよな、

気をつけよう!と反省しました(^_^;)


しかし、もし好意がある相手、興味や関心がある相手の話なら聞きますよね?

※誰にでもそんな話する訳ではなく

相談しておくべき長い付き合いの(になる)人か、

自分がクライアントのときくらいです……。


役から逸脱して

わたしらしさが顔を出すと

みんな嫌な顔をする。

「夫の良き妻」

「子供の良き母」

本当のわたしを誰も知らないし

知らないのだから愛など知らない。

わたし自ら「定型発達女子演技」「良き妻演技」「良き母演技

をしているのだから相手に非はないのですが…。

まあ、真相を語ろうとしても遮られるけど。

あとそもそも、役割さえこなしていれば

「中の人になど一切興味ない」

人が殆どですよね…

興味・関心の無いものを押し付けるつもりもないし。

逆に、共感しやすくて

仕事に困難を感じている人などは(HSP?

ある程度「立場」「役」と割り切ると

心の痛みを軽減できそうに思う。

ここだけの話、ズルい人は情に訴えて過重に役を押し付けてきたりします!

そんなときは「決められた役以上できません!」という顔をするのはアリ。


結論を言うと

プライベートでは「立場」とか「役」捨てちまおう!

と思う。

他人にも求めない。

仕事や子供関係でも

業務に関係の無い謎の「らしさ」はもういいや!と思いますし、

その「ムラ」内の正義より人道や合理性だろと思います。

わたしはきっと愛されていなかったのだと感じます。

(少なくともわたしが受け取ったという意味で

人として愛されたことが…)

「役」として愛されたことはあるけど

「役」として大切にされたこともあるけど

(わたしには

それすら滅多に無いので、

役にしがみつくことを捨てがたいのです

素の人間性が好かれず、

臆病さや慎重さ、融通の効かないところ

が出ると叱られてばかり。

思想も人間性も否定や批判されてばかり。

お嫌いな人は

「変えなさい!」「合わせなさい!」と叱りつけてくるけど

基本的な性格は8割型先天性であり…

性格を変えさせるのは殆ど不可能なので

基本的な性格が嫌いな人からは離れるか

違いを認め、嫌うのをやめるかどちらかしかない。

逆に

根本的に性格を嫌われている場合も

いくら相手にサービスしようが

どれだけ「自分磨き」(笑)しようが

時間の無駄

だいたいそんなことすればますます嫌われます。

人生は嫌い人

過ごすほど長くない

「いい子」はやめて

自分らしく!

あまり固執せず、サラッと生きましょう。


このLIVEのBlu-rayで

わたしは初めて「人の心の暖かさ」を感じた。

「さみしい」って何?

「愛」とは何か?

「夢」はまだよく知らない。


いつかきっと輝く笑顔に出会える

…よね?


本当のわたしを愛してくれる人は居ないと思うが(笑)

気に入ってくれる人や

受け入れてくれる居場所のひとつくらい

世界中探せばあるだろう!

ハラッサーはしばしば

「お前は一生誰からも愛されない」

「行くとこなんてあるのか(笑)ナマポか(笑)」

などと脅してきますが怯えてはならない

元祖ハラッサーの実母は小さな頃から

「お前のご面相じゃお嫁の貰い手はないから勉強しろ」

と言い続けていましたが嘘だったし(笑)

嘘じゃなくてもそいつがそう思ってるだけですね。

モラハラ男が女性を精神的に縛り付ける恐ろしい手口 

騙されちゃいけない!
本当に愛する相手には生きる勇気や自信を持たせたいはずだし
素直に相手の幸福、成功、成長を祈れるはず、喜べるはずです
これに気が付き、
罪悪感に負けず毒親と決別できたのも
布袋寅泰さんのおかげです。)


リスクをおかしても

人は「恐怖」や「不安」を

乗り越えなくてはならない

無理に役にしがみつく人の成れの果てがこちらです。

それどころか沢山の無辜の生命を奪って…。

大口病院連続点滴中毒死事件の犯人は自閉スペクトラム症? 

この犯人は、わたしには確かに自閉症スペクトラムに見えます

(わたしは医師ではないので見えますというだけです)

思い当たる節が多くあります。


※ASDだからといって擁護する気はゼロです

定型発達/ASDどちらの人間にも

臆病さや保身のため凶悪犯罪をおかす輩は存在します。

臆病さ・保身が動機の犯罪や人権侵害は非常に残虐で許しがたいことが多くあります。

臆病さ・保身が動機の犯罪だからといって同情的な判決をしてはならないと思います。

わたしは死刑反対派なのですが

今回の事件が同様の他の事件より軽い刑罰であったことに反対です。

身勝手な動機や重大な結果、社会に及ぼした影響を考えると同様の他の事件より重い刑罰でいいくらいと考えています。


※ASDを危険視することにも警鐘を鳴らしたい。

ぶっちゃけ、医療・福祉職に発達障害当事者居ます、見ます、多いかも?

需要が高いのと資格職であること、職場を選べば一般職よりフィットしやすい、自分も病気や障害の方の役に立ちたいとかいろいろあると思います。たぶん多い。

発達障害の看護師は危険という風潮にならないか心配です。

まず、精神障害者の触法行為は低いのと

仕事合わなきゃ普通の発達障害当事者は辞めます

(発達障害当事者の転職回数は多い

不一致や不調を感じるとすぐ辞める人が多い

ゴネて居座るタイプもいるかもしれませんが即辞め率が高いです)

凹凸がうまくフィットすると、

過集中や分析・研究好き、人によっては手先の器用さ等々が生きて社会にも本人にもプラスかと。

差別やステレオタイプ、先入観がなくなるといいな。

差別とは人をカテゴリで異なる取り扱いをすること

「障害者だから頭ごなしに駄目」はもちろん差別ですし「障害者だから大目に見る」も差別で

何であろうと(ジェンダー・年齢・国籍・障害の有無等々)

職に合う素養があればOK、無ければ辞めてくださいになれば良いと。

(合理的配慮はまた別の話になります)