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昭和のプロレス:闘魂が黒くなかった頃

2024-04-12 06:29:29 | 日記
欠場明けの復帰戦

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を引き立てた脇役達を
振り返っています。
今週登場するのは「猪木の復帰戦の相手を務めた、ジャック・ルージョ」です。

 闘魂アントニオ猪木と言えば黒のショートタイツ姿。
鍛え上げた肉体と飾りを排除した黒が強さの象徴でした。
 ところが長い戦歴を見るとロングタイツで臨んだ試合がありました。
ウイルス性関節炎で欠場を続けた後の1975年9月19日の復帰戦です。
 <相手を務めたルージョはセオリー通りに猪木の膝を攻撃。
エルボースマッシュで流れを変えた猪木はキーロックに鎌固め。
しかしルージョは膝をエプロンの角に叩きつける猛攻を見せ、バックドロップ
を仕掛けられると体を入れ替えて浴びせ倒し。
ドロップキックから再度のバックドロップで漸く猪木が体固め。
11分13秒に復帰戦を勝利で飾った。>(伊賀プロレス通信24時 より)
 こうしてルージョは猪木の戦績に名を残したのでした。

 来日回数は3回で、再来日は73年10月の新日の闘魂シリーズでした。
パワーズ、シン、パターソンの豪華メンバーに次ぐ4番手として紹介記事が
パンフレットに掲載されています。

好みの色

 初来日は67年9月の日本プロレスのダイヤモンドシリーズとなっています。
猪木と馬場が初めてインタータッグ王者になった歴史に残るシリーズですが、
不思議なことにシリーズパンフにルージョの名前は見当たりません。
 パンフにはエースのビル・ワット、ターザン・タイラー以下ラシアン、
ロメロ、ネルソン、マクナッティ、オーガーと続きます。
 実はルージョ、名前を拝借していたのです。
当時は無名の若手、そこでレスラーとして先輩格の叔父が使っていたエディ・
オーガーを名乗って初来日していたのでした。

 開幕戦の9月23日のメインは6人タッグマッチ。
1本目は19分54秒に両者リングアウトの引き分け。
2本目に奮起した馬場が3分44秒にオーガーを仕留めて勝利しています。
 シリーズ中の10月4日、ルージョは猪木と初のシングル対決を行い
ましたが8分ちょうどにアバラ折でギブアップ。
3週間後の25日に雪辱戦に臨みましたがこちらも9分18秒にまたも
アバラ折にギブアップ。
 8年後の闘いと全く同じように猪木の軍門に下ってしまいましたがただ
ひとつ大きな違いがありました。
日プロ時代の猪木は黒のショートタイツとは無縁、好んで使っていたのは
黄色かオレンジ色のショートタイツでした。
 ルージョは猪木の黒いショートタイツ姿とは縁の薄いレスラーだったのでした。




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