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昭和のプロレス:王道のアイドル

2022-12-02 06:29:49 | 日記
コワルスキーの評価

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役になれなかった脇役達
を振り返っています。
 今週登場する「野生児、バディ・ロジャース」はアメリカマット界では
主役中の主役。
力道山も直接来日交渉に臨んだ程の超大物でしたが、残念ながら一度も
来日せずにレスラー人生を終えています。

 ロジャースとはどんな選手だったか?
<美しい金髪、彫りの深いハンサムな顔、鍛え上げた肉体、スピード豊か
で華麗なテクニック、派手でゴージャスな雰囲気、2万人余りの観客を
圧倒する威圧感。
全ての面で世界最高のレスラーであった。>(勝手気ままに書いてるコラム より)
 高い評価はレスラー仲間からも寄せられます。
コワルスキーは<どんなに下手くそな新人でも長所を引き出して、最後には
観客が満足する試合に仕立てた。>(伊賀プロレス通信 より)と語って
います。
 客が満足すれば次の試合も会場は満員に。
当時の最高となる38622人の動員記録を樹立しています。

力道山と馬場

 力道山はアメリカマットで大人気のロジャースの招聘を目論んでいました。
「日本プロレス70年史」には、来日交渉をするために62年12月9日
にアメリカに向けて出発したと記されています。
 交渉の詳細は伝わっていませんが、結果は不発。
招聘は叶いません。
 落胆する力ですが、翌年の5月24日にはロジャースの存在を忘れさせる
出来事がありました。
東京体育館で行ったデストロイヤーとの戦いが日本中を熱狂させたのです。
テレビの平均視聴率は64%、歴代4位の記録を樹立。
 この時ばかりは頭の中からロジャースの存在が薄れたでしょう。
選手生命が長く続けば来日の再交渉も行われた筈ですが、同年12月15日
に力道山は急逝してしまいます。

 後を継いだジャイアント馬場はロジャースに対する強い思い入れを語って
います。
<アメリカ修行時代に見た中で人気と実力を兼ね揃えた最高のレスラー。>
(Wikipedia より)
 馬場の強い憧れが察せられますが、それだけにプロレスファンとしては
一縷の不満を覚えます。
 全日本プロレスのオーナーたる馬場は89年に「OLDIES BUT GOOODIES」
の名のもとに、往年の名レスラーを招く企画を立ち上げました。
ジョナサン、コワルスキー、イヤウケアなどそうそうたるメンバーを招いた
のですが、何故か本命が出てきません。
 企画が始まった頃は68歳。
どうして招いてくれなかったのか、そう思ってしまいます。
92年の6月26日にロジャースは71歳の生涯を閉じたのでした。
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