親子で共依存 カウンセリングにて
お久しぶりです。
久々にアメーバアプリを開いたら、下書きにコレが残っていたのでアップすることにしました。
共依存者(イネイブラー)って知ってますか?
共依存は、基本的にはアルコール依存者と、それを助長させる共依存者(主に夫婦、家族)のことを指します。
たとえば、
泥酔した夫から連絡を受け、毎回怒りながらも迎えにいく
二日酔いで会社に行けない夫の代わりに、休みの電話をかける
酔って迷惑をかけた相手に、代わりに謝罪する
などです。
相手の問題を代わりに解決してしまうため、その人は酒と家族に依存することをやめられません。
結果、お互いにとってメリットにならないのに、傷つけ合ったり、足を引っ張り合ったりしながらも離れられない状態となり、依存は悪化していきます。
依存者自身の治療だけでなく、共依存者との関係性も見直さないと、依存状態から抜け出すのは難しくなるのです。
さて、私の母は、病気になった私を甲斐甲斐しくお世話してくれました。それはありがたいことです。
でも、私が回復途上にある時、私の成長を喜びませんでした。
上の漫画に描いたように、
「私、もう一人で病院行けるよ!」と伝えた時(もう7.8年前の話です)、
母の反応は
「なんでそんなこと言うの…(泣)私も行く」
でした。
普通なら、娘の精神状態が良くなって、一人で頑張って病院に行くと言うようになったのならば喜ばしいことですよね。
多少の心配はあったとしても、その時点ですでに2年も自分で運転している私でしたから、特に危険もないはずです。
でも、
母は、
泣きました。
私の問題(母に依存し、車で送迎してもらう)が、解決しないことを望んだのです。
何故か?
母は、私がだんだん良くなって、
「自分が必要なくなっていくことに、恐怖や不安を感じたから」です。
というのは、弱い私をお世話することに、自分の価値を見出していたから。
弱い私が、弱くなくなってしまった時、それは自分の価値がなくなってしまうように感じるから。
なんですね。
母もまた、心理的に問題を抱えていて、それを私の介助をすることで満たしていたんです。
私は、無意識にそのことを感じていました。
実は、「もう一人で病院行けるんだけどな…」という気持ちは、心の隅っこにあったんです。
ですが、それを「母は喜ばない」ということを、無意識に感じていたのです。
「悲しむだろうな」と、思ったのです。
私は、感受性が高くて、人の感情を読み取りやすい性質があります。
更に顔色を伺うクセがついていました。
うつ病になる人は、このようなタイプが多いと思われます。
相手の望みを無意識にキャッチして合わせてしまう。
長所ではありますが、時に自分の意志をなくしてしまう原因にもなります。結果、自己決断を失い無力さを味わいます。
だから、「もう病院に一人で行けるよ」と伝える時は、なんとなく気が重かったことを覚えています。
そして予想通りというか、予想を裏切ってほしかったんですが、
残念ながら、母は悲しみました。
その後、何日も関係が悪くなったことを覚えています。
でも、それを押し通したことで私は、「自分のことは自分でやる」という行動パターンに目覚めました。
それまで、洗濯物も料理も親に頼っていました。それはラクではあったけど、経験値を積むという大切な時間を失う結果をもたらしていました。
そこから私は、洗濯物は自分でやることから始めて、少しずつ一人暮らしに向けて舵を切って行くことになりました。
母のやってくれたことに感謝はあるものの、ずっと相互にしがみついている状態では、
私のためにならない(長い目で見てメリットがない)
と心底思えたのです。
それは、赤鬼先生の元で友達との共依存関係を断ち切ろうと行動してきたことによっても、相乗効果で納得のいくものでした。
参照→共依存 怒ってもいいということを教えてくれたカウンセリング
私は、母に病院の付き添いに来てもらうのはやめましたが、代わりに、たまにカラオケに連れて行くようになりました。
母は歌を歌うことが好きだったし、私も一人カラオケに行くぐらいで、母とカラオケに行くのはなかなか楽しかったので。たまに奢ってもらえたし。win-winですね。笑
そしてもう1つ、母が私に対して極度の過干渉・共依存となっていた原因、
父親にパートを禁止されていた、ということについても後日解決を図りました。(カウンセリング終了後のことです)
父は定年後、母が家にいることを望み、パートに行くことを渋りました。自分が呼んだ時に、いつでも動いてほしかったからでしょうね。苦笑
いわゆる亭主関白で、妻は夫に従うという宗教上の教義によって更に主従関係が強化されていました。
そんな父に、私は、
「お母さん、最近物忘れ激しくなってるよね。ずっと家にいたらボケちゃうよ。もし認知症になっても私、絶対介護しないからね!お父さん、看なよ」
と言いました。
父は、なにぃ?!と怒ってましたが、後日すんなりパートの許可がおりました。苦笑
父は、自分の利益が損なわれることに対しては敏感な性格なので、今後を想像した上で、パートに行かせる方が得策だと思ったのでしょう。
母はパートをするようになって、少し人間関係も増えて、明るくなりました。
また私が結婚を決めた時も一悶着ありましたが(母の見捨てられ不安が刺激されたらしい)、今はそれなりに良好な関係を築けていると思います。
私は、親に対して自分の意見を言うということがその頃出来るようになっていたんですね。
カウンセリングによって練習した、「ちょうどいい自己主張」が身につき、支配されていない状態になったわけです。
共依存的な行動を減らし、代わりにお互いにとってメリットになる行動を増やす
このことの重要性について、私は認知行動療法(行動療法)のカウンセリングを通して学んだというお話でした。
さて、またしばらく更新しなくなると思いますが、気ままに書きに来ますのでよろしくお願いします。