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あみの3ブログ

朝日山城@富山県氷見市幸町 令和三年(2021)10月21日、16日、2日

お城検索は→こちら


2021年3月石川県にある「加賀朝日山城」の資料を検索していると、富山県氷見市にも「朝日山城」が存在していたことがわかりビックリしました(@_@)
子供のころから親しんでいる「朝日山公園」がお城だったなんて全く知りませんでした(;^ω^)
加賀朝日山城の記事は→こちら

朝日山丘陵にある「朝日山公園」と「朝日山城跡」との位置関係
谷を挟んで一体と見ることもできますね。



越中のお城と言えば、いつもお世話になっている私の聖書
「佐伯先生著 越中中世城郭地図」を引っ張り出しましたが、ナント!!!記載がありません。この本に載っていないという事は幻の城なのか????

そこで今回も氷見市立博物館を訪ねることにしました。



朝日山城に関する資料として
「氷見の山城」(氷見市教育委員会 平成13年1月発行)と、同じく氷見市教育委員会発行の埋蔵文化財調査報告第26冊「朝日山城跡」(平成10年3月)の2冊を入手することができました。


【埋蔵文化財調査報告】
朝日山城跡は、朝日山丘陵の東西方向に伸びる尾根上に立地し、南側は緩やかな谷を挟んで丘陵が広がり、北側は急峻な崖で平野と接しています。
この尾根の途中に「堀切」があることは古くから知られており、昭和38年発行の「氷見市史」にも写真が記載されています。また、江戸時代後期の氷見町役人田中屋権右衛門の日記「応響雑記」にも、場所は特定できないが『朝日山ののろし台』の記事がみえます。しかし、堀切以外の防衛施設は確認されておらず、内容の不明確な城です。
平成9年、急傾斜地崩壊防止工事に先立つ発掘調査では合計213点の出土品があったが、中世以前の遺物や城に関する遺構も確認されなかったそうです。
まとめとして朝日山城跡は、一時的な「砦」あるいは見張り場所として利用されたものと結論付け、文献にみえる「氷見城」の候補地の一つであることを再確認しておきたい、としています。


【氷見の山城】
5・上庄川流域の城(一)朝日山砦 によると
朝日山の一画に堀切の跡が一か所残っている。位置は氷見高校の北側の崖のヘリで、西から東に伸びる尾根を斬る形で設けられている。堀切の上幅は10m、西側が一段高く、こちら側では深さは5mを測る。今のところ周辺に明確な城郭遺構は見出し難いが、おそらく過去の氷見高校建設などに際し、失われたものであろう。付近では1996年に発掘調査も行われたが明確な遺構は確認できなかった。(上記調査報告のことです) 堀切の形状からみて、遺構はコの西側に存在していたと考えられるそうです。
14世紀の半ばには、「氷見(城)」がたびたび軍事拠点として登場しするが、この遺構にあたるかどうかはなお検討を要する。としています。
しかし、朝日山の位置、地形は南北朝時代にとどまらず、戦国時代を通して重要であったことから、必ずしも南北朝時代の遺構とは限定できず、戦国の頃にも改修の上使用された可能性が強い。たとえば、朝日山に近い鞍川を本貫地としていた室町・戦国時代の神保氏家臣、鞍川氏に関わる城郭であったかもしれないそうです。


氷見漁港から朝日山を望む
14世紀半ばには成立していたとみられる「氷見湊」にも近い。



市内のSC屋上より朝日山城跡を望む
朝日山丘陵の東西の伸びる尾根上にあったと考えられる



朝日山城跡から北方向の眺望
氷見漁港から阿尾城・石動山、灘浦海岸が見渡せる



同北西方向
千久里城・木谷城など周辺の山城も一目瞭然



立地としては北側の眺望に優れ、重要拠点の「湊」を眼下においていることがわかります。



現状
朝日山城跡は現在、
大型遊具や休憩所を供えた芝生広場と、氷見市内や有磯海(富山湾)が一望できる「見晴らしの丘」として整備され、2021年3月14日にオープンしました。



新たにできた見晴らしの丘は朝日山公園とも近く、県立氷見高校の北側に造成されました。
朝日山公園と見晴らしの丘相関イラストマップ



航空写真(googleマップより転載)



明治41年に現在の朝日山公園が開園し、大正15年には氷見町の火葬場が、さらに昭和3~6年にかけて県立氷見中学(現県立氷見高校)の校舎・グラウンドが建設され、一部住宅化も進行した。これにより、朝日山城の遺構は破壊されたものと思われます。



また、唯一残っていた堀切も、急傾斜地崩壊防止工事や見晴らしの丘造成に伴い、消滅したのでしょう。




堀切
当時はこんな見事な堀切が残っていたんですね。
平成10年 調査報告書より



北側の市街地からでもハッキリと痕跡が見えたそうです。
「氷見の山城」より




堀切からの眺望(北方向、市街地から阿尾城址が見える)
平成10年の調査報告書より



同一ヶ所からの現在の眺望
丸印で囲んだ阿尾城址の位置、崖下の民家の重なりや屋根の向きなどから、ここに堀切があったと考えられます。


堀切は崖の工事に伴い、階段が設置され


尾根上は公園化により削平、もしくは埋め立てにより消滅していました。



ただ、尾根の東側にはいまだに雑木林が残り、一部耕作地となっていますが、往時の雰囲気を感じさせます。



また、尾根の西の端にはこんもりとした盛り土と、段になった法面がみえ、いかにも土塁か物見の櫓台跡にも感じられます(妄想ですw)




では幻の「氷見城」は何処???

朝日山公園の頂上部にある展望広場(神武天皇像がある広場)が本丸、その下にある遊具広場が二の丸、旧誉一山荘(ホテル)がある場所が三の丸
な~~んてね??
どうしても削平地の配置がお城を思わせますよね。



①展望台
昭和42年(1967)に完成、高さは18mもあり、幾何学的デザインで展望広場のシンボル的存在でしたが、2021年7月に老朽化が激しく解体開始。もう影も形もありません。
解体の記事は→こちら



③展望広場
神武天皇像


市内が一望できる展望休憩所。「見晴らしの丘」ができるまではここがイチオシのスポットでした。



⓹遊具広場



⑥噴水広場
小便小僧の氷見versionは「氷見寒ブリ」を抱えた小僧です。おしりプリプリ💛



氷見が生んだ幕末の剣豪「斎藤弥九郎」の銅像がある広場



旧誉一山荘のある削平地
氷見で一番格式の高いホテルだったが。。。。先月予約したんですがね残念です→こちら



今後の研究に期待しましょう(^^)/

【朝日山城】
《》
名称(別名);朝日山砦
所在地;富山県氷見市幸町
城地種類;山城
標高/比高;45m/30m
築城年代;南北朝時代
廃城年代;天文19年(1550)?
築城者;鞍川氏?
主な改修者;
主な城主;鞍川氏?
文化財区分;
主な遺構;
近年の主な復元等;


※出典、、、
地図;
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