新型コロナウイルスに思う加害恐怖 前半から続く

 

まだ新型コロナウイルスが他国の話しのように思えていた頃、私の勘違いでなければ、テレビの画面に、手を縛られ犯罪者のように連行されていく感染者の姿がうつりました。

 

そして、日本でも、今のように感染者が増える前は特に、僅かな人から感染が広がっていく様が繰り返し報道されていました。

 

皆んながどのような感情を抱き、それを誰かにぶつけたかどうかはわかりません。

 

けれども私は、感染により親しい人を亡くした人や、経済的に大きな打撃を受けた人の悲しみや怒りが、自分に向かってきた時に生じる罪悪感や恐怖を想像せずにはいられませんでした。

 

少し話しがそれますが、一昨年、ポリヴェーガル理論やトラウマに関する優れた著書と出会い、 交感神経が興奮した危機的状況で迷走神経が発動しシャットダウンが起きると、解放されぬ過剰なエネルギーを抱えてしまうことがあると知り大興奮しました。

 

尋常ではない過剰な恐れの原因は乳幼児期のトラウマによるものだったんだ!って。

 

けれど、私たちが目に見える肉体のみの存在だとしたら、全てを説明するのはやはり難しいように思います。

解放されない過剰なエネルギーが神経系統に留まり続けるとは考えにくいし、自分の場合でも、トラウマが生じた幼児期と、過剰なエネルギーが一気に流入したかのように強迫性障害を発症した小学校の高学年ではタイムラグがあります。

 

受け入れられない人が多いのはわかっています。

それでも、私は、私たちが目に見える肉体のみの存在ではないと思っています。

 

そして私たちは、意識に上るか上らないかはともかく、沢山の思い込みや恐れや感情をフィールドに抱えていて、それらは、今生に留まらず人類の長い歴史に繋がっているように感じるのです。

 

たとえば、幼児の病が赤ん坊である弟にうつってしまい、そのことで両親が感情的になったなら、幼児は罪悪感と恐れを抱くかもしれません。

 

けれど、理不尽なほど大きな恐れや感情は人類の歴史と繋がっている…。

 

繰り返されてきた感染症との戦いの中でどれほど悲惨なことが起きてきたか、今であれば想像することが出来ます。

 

でも、私自身は、長い歴史の中で取り込んだ思い込みや、恐れや、不要な感情を、この生において、出来るかぎり手放すことを決めてきたような気もしているのです。

 

 

恐れや不安がウイルスを引き寄せてしまう等という話しを聞き、余計パニックになってしまう方がいらっしゃるかもしれません。

でも、恐くて引っ切り無しに手を洗っている人の方が、自分が感染するとは思っていない人よりも感染率が高いなんて思えません!

 

どうぞ、自分に優しくしてあげて下さい。

今、恐くてたまらないことは自分に強いなくても良いのです。

 

昔の自分には受け入れ難いことですが、恐れやネガティブな感情が浮上してくるときというのは、それがもう昇華されていく時なのです。

 

浮上したエネルギーに少々面食らっても、確かなタイミングで事を起こしてくれる大いなる自己に導かれていることを信じていたいと思います。

 

重いエネルギーを昇華させていこうとしているのは自分一人ではないのですから。

 

3月30日の国立競技場

 

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