以前、『オーラの泉』というテレビ番組がありましたが、サイキックな能力を持つ人に霊視してもらいたいと思ったことはありませんか?

 

もう30年近く前になりますが、訳の分からない強すぎる恐れを癒すため、それが生じた過去生を思い出したいと思っていた私は、結構な料金を払って、そういった能力を持つ人のセッションを受けました。

 

詳しくは、

未来を問う「子供は持てますか?」前半

という記事に書いていますが、

あの時、彼が教えてくれた、愛情の無い結婚をするが女の子を一人持つという未来は訪れませんでした。

 

もしかしたら、本当に、パラレルワールドと言われているものが無数に存在しているのかもしれませんし、

教えられた未来を変えたくて、続けざまに受けた他の人のチャネリングセッションでは、

人生は液体のようなものなのです。

 

あなたにはいろんな選択があって、

それを自分で選ぶだけの資格があります。

 

だから、あなたが言われたという内容に私は同意しません。

と、言われました。

 

こちらも、

未来を問う「子供は持てますか?」後半

という記事に書いています。

 

 
 
 

2016年に公開された映画『君の名は。』を思い出した「かわたれどき」という言葉。

 

それが出てきた本山博先生の『チャクラの覚醒と解脱』。

 

この本にも、“人間は、多重次元で同時に存在している(P.7)"と、書かれています。

身体をもった存在というのは、私たちがこの物理的な次元で知っている身体つまり肉体と、その奥にある、死んだらだれでも行ける世界、そういうアストラルの霊の世界でのアストラル体、それからもう少し修行をして知的なものとか愛とか自由とかというものが主となって働くようになったカラーナの次元の霊の世界が、感情的な、それから想像力とかイマジネーションというものが主になって働くアストラル次元を超えた次元にあって、そこにはカラーナ体という身体がある。そしてこういう三つの次元の存在は、それぞれの心の働きや身体というのは違うのですが、共通しているのは、身体をもった存在であることなのです。この三つの次元での人間の存在全体が、一つに人間をつくっているわけです。

 

(P.7-8)

身体の場合、コントロールセンターは神経系や内分泌系。

そして、アストラルの身体にも、カラーナの身体にも、それぞれ、コントロールセンターであるチャクラがあるとも書かれています。

 

カラーナの更に上にはプルシャ(純粋精神)というものがあり、

“ここでは、自らの存在を維持するために身体を必要としない(P.ⅳ 序)”

そうで、当然、チャクラも無いそうです。

 

サイキックな能力は、アストラルの次元でチャクラが目覚めても出てくるそうですが、

アストラルの次元でチャクラが目覚めた時には、感情とか想像力というのが非常に盛んだけれども、わりあい利己的なのです。

(P.282)

など、結構厳しいことも書いてあります。

 

けれど、一方で、

水蒸気になろうと思ったら、いっぺんに氷の状態から水蒸気にはなれない。氷の状態からやはり水にならないと、水蒸気にはなれない。そのためにチャクラを目覚ましてアストラルの次元、カラーナの次元をこえてゆかないと、いっぺんには行けない。そういうふうに神様が造ったのだから、これは仕方がない。

(P.286)

とも、言っています。

 

少々長くなりますが、この日記の本題、本を読み返していて、もしかして私も⁉︎  と、思った箇所を引用させて頂きます。

 註釈がついている言葉もありますが、そちらは省略させて下さい。

 日本に来てから禅というのは、瞑想に走り過ぎた。精神的なものに走り過ぎた。日本に来る前に、仏教そのものが、大乗仏教が五〜六世紀頃からできて、そのころから、竜樹もその一端をかついでいるわけですが、やはり絶対無とか無量光というようなことに偏り過ぎたように思うのです。だけど、実際はそこ(絶対無)に行くのには途中に階梯があるのに、その階梯のアストラルの次元とかカラーナの次元というのを魔境と称して、観音様がみえたり仏様がみえたというようなことにこだわっていてはいけない。そういうものをこえなければいけないと言う。それは確かにそのとおりなのです。観音様がみえたりいろいろな霊がみえたりするのはアストラルとかカラーナの次元、つまり形のある世界で、色のある世界ですからね。

 だけど、梯子段抜きで、氷の所からいきなり水蒸気にはならないのです。どうしても、水となって、それから水蒸気になるわけです。それなのに途中が怖いから、弟子共がろくでもないことになるからというので、なるべくそういうものをよけて通ろうというわけです。というのは、今のいろんな新興宗教で、一生けんめいに信仰して気が変になる人が多い。(後略)

 

(P.287)

私も、臆病だし、頭固いし、想像の産物に引っかかってはいられないという思いが結構強かったように思います。

 

でも、最近は、ネドじゅんさんもそうですし、宇宙人と交流している人、結構いますよね。

 

空を見上げて自分を救ってくれる存在があらわれるのを待っていた昔とは違うし、超えていく過程の一つなら、私も、次元を超えた世界を楽しんでみたいと都合良く解釈した訳です。

 

 

 

散歩がてら『君の名は。』の聖地と言われている須賀神社に初めて行ってみました。

けれど、この坂の写真を撮ったあと神社を通り過ぎてしまい、そのまま四谷に出てしまいました。

 

 

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