“インドの山奥で 修業して
ダイバダッタの 魂やどし”
1972年から73年にテレビ放送された『愛の戦士レインボーマン』。
最近、その主題歌を口ずさんでいることが多くなりました。
気づくと思わず笑ってしまうのですが、過酷な修行を繰り返すヨーガ行者は自分とは違う世界の人だと思ってきました。
けれど、彼等ほど、自分の内側を見つめ続けた人はそうそういないのでしょう。
ヒマラヤ山中でヨーガを行じ続け悟りの境地に達したスワミ・ヨーゲシヴァラナンダの著書『魂の科学』。
ヨーガの中の王者といわれる、ラージャ・ヨーガの本格的解説と実践的指導の書がついに日本で紹介されました。
人間の身心を、(1)食物鞘、(2)生気鞘、(3)意思鞘、(4)理智鞘、(5)歓喜鞘の五つの階層にわけ、その機能と役割の霊的意味を格調高く説いています。
と、そでに書かれていますが、著書自身が霊視により確認しているこの『人間五蔵説』。
それが記されている古ウパニシャッド聖典群は、紀元前1000年にさかのぼるとも言われているそうです(『ヨーガ療法マネージメント』参考)。
スピリチュアルに関心のある方は、肉体・エーテル体・アストラル体・コーザル体と、高次になるにつれ肉体から外へと広がっていく図を目にしたことがあるでしょう。
けれど、人間五蔵説では、肉体である食物鞘が一番外側なのです。
そして、一番内側の鞘である歓喜鞘の更に奥に真我(アートマン)が鎮座しているというのです。
歳を重ねるにつれて、身体の内側に意識を向けることの大切さを感じるようになってきた私には、それも気に入ったのです。
この五種の鞘は、“いずれも人間の肉体と同じ形をしており、肉体の内面を満たしている(P.196)”そうです。
でも、一方で、
意思鞘と理智鞘の集合体は、動物の脳の内部にあるブラフマランドラに納まっています。
P.312
心臓を縦に切り裂いてみれば解りますが、そこには小さな種なしブドウのような形をした楕円形の空間があります。この空間全体に歓喜鞘が納まっているのです。
P.428
とも書かれています。
全身に血液を送り出している心臓は単なるポンプではない、ということが言われはじめています。
けれど、古い聖典に、真我(アートマン)が鎮座しているのは、心臓・ハートの奥だと記されていることなんて、全く知りませんでした!
同じくよく耳にするようになった、ハートと脳の深い繋がりにも、脳を居処とする意思鞘・理智鞘とハートを居処とする歓喜鞘が関係しているのかも知れませんね。
また、奥に真我が鎮座する歓喜鞘には、心素(チッタ)と我執(アハンカーラ)という付属器官があるのですが、これらも、とても興味深いのです。
心素は真我を被い包んでいるのですが同時に、潜在化した種子の状態で多くの行や残存印象、記憶などをその内部に貯えてもいます。
P.251
ちょっと難しいのですが、『魂の科学』の翻訳者である木村慧心氏の著書『ヨーガ療法マネージメント』には、“心素(チッソ)こそが記憶の倉庫(P.19)”と書かれています。
そう、今もまだ足を引っ張り続けているもの、それは何かしらの記憶なんだと感じるのは、私だけでしょうか?
宇宙心素というのもあるようですが、自分の加害恐怖が何処からきたのか、やっぱり、この生で知りたいと思うようになりました。
我執とは、自分の行なう知覚や行動、心の中の感情や自分に所属する事物に対して、〝私の〟とか、〝私のもの〟といった、利己的で排他的、個人主義的な考えを付与させる原理のことを言います。
P.238
心素を包み込んでいるという我執。
自分も、過去の行き詰まった状態は〝私が〟が極まってしまった結果だったと感じています。
それでも、私たちに無駄なものは備わっていない…。
ヨーガ大師が残してくれたこの本からじっくり学ぶとともに、更に自分の内側を見つめてみたいと思っています。
千駄ヶ谷の『はるのいざない』は、
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