人生終わったなって感じるとある日曜日【鬱と就活末期】
再投稿シリーズです。
以下、就活ミスって人生が詰んだ僕の不幸をお楽しみください。今回は就活末期の春休み感じた僕の1日の記録です。
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今日髪を切った。東京の洒落た美容室だ。
新年度のことを聞かれ、胸の中がどす黒い気持ちで一杯になる。
もう正直に四月から過労死しますとでも言ってやろうか、それともニートが良いです、と本心のままに答えたえてやろうか。でも傲慢で見栄っ張りの僕はそれが出来ず、先生なるために世界を知りたいと嘘をつく。一年前なら嘘では無かったが、もう誰かに生きることで希望を見せることは出来なさそうだ。
目を覆う髪が無くなった僕の顔は少し扱けて見えた。
少しだけやつれたかもしれない。
親に会うのが、家に帰るのが、億劫で駅のラーメンに入ることにした。
小学校の頃、ラーメン屋さんになりたいと言う友人が居た。
当時の僕はそんな生き方馬鹿らしいと思っていた。
数年前の成人式で彼がどこかの店で修業していると風のうわさで聞いた。
今になってそんな生き方を羨ましく思った。
殆ど味が覚えていない。
ただタオルに汗をかきながら、麺の湯切りをする店主の青年が眩しく見えた。
外はすっかり暗くなった。日が長くなったかもしれない。
春の訪れが怖い。胃に穴が開きそうになる。
この文章は夜風の吹く、駅のベンチで書いている。
寒い。とても寒い。日が落ちて街に明かりが灯る。
帰宅を迎えた人々が家路に就いたり、携帯電話のセールスをしている人がいたり、喫茶店にはまだ明かりが灯っている。皆生きているのだ。
彼等にとっての幸福とはなんだろうか。生きがいと何だろうか。
何が彼らを生き長らえているのだろうか。彼等の人生の先には何があるのだろうか。
寒さをしのぐため、ショッピングモールに入る。
遠くからGreeenの曲が聞こえる。
僕は愛とか家族とか感謝とかそんな歌が嫌いだ。
でも、ふとありふれた幸福を謳った声に僕は思わず泣きそうになる。
”隣に立って居れることで 僕が生きる意味になって 君に捧ぐ この愛の歌”
こみ上げる涙を堪え、目を赤くしながらキーを叩く。
僕には「君」は存在しない。
自分の命の灯すら消えかけている今になってはもう誰かを愛することは出来ない。
あと三日とない僕にはもはや文章を残すことしか出来ない。
僕の人生は失敗だった。この文章を誰か見てくれるだろうか。誰か救えるだろうか。
かまってほしいのかもしれない。それくらいの贅沢は大目に見てほしい。
もうどうしたらいいのかもわからない。
生命の残滓も潰えかけて息が苦しくて、吐きそうで、何も考えられない。
思考が真っ暗になり、圧力がかかり、叫びたくなる。
僕はおかしくなってしまったのだろうか。
何も変わらない。意味なんて無い。意味なんて無いのはわかっている。
どうしようもなく立ち込めた将来への不安と待ち受ける絶望は終わりでしか救済できない。命の終わりとはこうも儚いモノなのか。
女学生の集団がシュークリームを頬ばって楽しそうに談笑している。
小学生くらいの男の子が走り回っている。失った時間は決して取り戻せない。
ただただ前を向いて時間を忘れて笑っている彼等の未来を羨ましく思う。
これだけの絶望を抱えても僕は健常者だ。
いっそ障がい者だったら、病気だと認めてくれたらどんなに楽だっただろう。
君は病気だから、少し休もう。そう言ってくれたらどんなに楽だっただろう。
誰かにもう頑張らなくていいって言ってくれたら…
でも、僕はただの無能で、無気力で、意志薄弱な健常者だ。
この苦しみも痛みもただの甘えで、歪み切った自己愛の賜物なのだ。
その事実は一層僕を落胆させる。
蛍の光が聞こえる。もうすぐ閉店だ。
踏切の音が聞こえる。あれほど怖いと思っていた列車も、暴力的な轟音と質量を美しいとさえ思う。
痛いのは嫌だ。苦しいのも嫌だ。
首が折れるのも。血が吹き出るのも嫌だ。息が詰まるのも嫌だ。
でも生きているのはもっと嫌だ。
わかってくれわかってくれ。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああごめんなさいごめんなさいごめんさい
今の僕にとっての希望はこの前祖母が無くなった際のお坊さんの言葉だ。
7年前に祖父に先立たれた祖母は今、極楽浄土とか言う暖かな日の差す、花が沢山咲いた小道を祖父とどこまでも歩いていると言っていた。
きっと僕にとっての幸せとはそういうものなのだ。
生きて得るものはどこまでも続く転落人生。失意。劣等感。
自分の居場所はこんなところではないという奢り。傲慢。
つまり、僕の幸福はもうこの世には存在しないのだ。
だから、今ならきっとあっち側へ行けると思う。
もう少し。もう少しだから。
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