立山に初冠雪 例年より遅め | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Tigaku_20211025102001 ← 鎌田 浩毅【著】『地学ノススメ―「日本列島のいま」を知るために』(ブルーバックス)「プレートひしめく列島上に住む日本人にとって、最も必要なのに最も軽んじられている学問―ー「地学」の知られざる面白さを教えます!東日本大震災を境に、日本列島は「大地変動の時代」に入ってしまった! 複数のプレートがひしめく恐るべき地理的条件にあるこの国で生き延びるには、「地学」の知識が不可欠だ。しかし、高校での履修率は低く、多くの人の地学リテラシーは中学レベルで止まったままである。」

 

 このところブログ日記は週に二回か三回しか書けてない。それぞれの回に二日分、三日分の日記を纏めている。勤務体系…時間帯が変わったこと、そもそも週に5日程度、出勤して日々は慌ただしくてブログに手が出しづらいこともある。実際、読書メーターで毎日随時メモ書き風な呟きをしていて、それをブログに転記できている。この体制に慣れないといけない。

 

 鎌田 浩毅著の『地学ノススメ―「日本列島のいま」を知るために』を読了。仕事の合間に読んできた。
 本書を読むと、東海、東南海、南海地震が切迫している(2030年代か)と、改めて思い知った。桜島の巨大噴火もヤバイ。太平洋側の人口を相当程度に少なくとも巨大地震のなさそうな日本海側に移さないと。
 リニア中央新幹線なんて時代錯誤もいいところ。その前に、新潟と富山を新幹線直通に。日本海側に金沢から滋賀を経由して九州までの新幹線を。大阪などは経由しない。
 中国と北朝鮮の境にある白頭山もいつ巨大噴火してもおかしくない。946年の巨大噴火では、火山灰は偏西風で日本の東北地方に数十センチ積もった。
 高校の理科系の勉強は、地学だけでいいかもと感じた。物理も数学も化学も生物あるいは地理、さらに歴史までが含まれる。地震や気象変動も学べる。地震や火山大国、複数のプレートのぶつかり合う日本は、まさに地学重視の国であるべき。いかが? 大学の受験科目に地学は理系文系を問わず必須。そうしないと、大多数の学生は中学レベルの地理の知識しかないことになる。この日本でのこの惨状はまずい。まずは中学や高校で理系については地学中心に授業のスケジュールを組むべきだと感じた。
 細かいところは最初は流してもいい。後半の日本において切迫している地震や噴火を書く記述には、学者ながら危機感を感じた。経済成長しても、天変地異で一挙に生活の基盤を根底から奪われる。

 

Seidaka ← 庭先にまた謎の植物 発見。野草? …と思ったら、セイダカアワダチソウではという指摘。古来より馴染みのススキの原がどんどん外来種のセイダカアワダチソウに侵食されてます。街道を走るとススキがいよいよ淋しくなってます。我が家の庭からはセイダカアワダチソウは排除する!

 

 我が家の内外にある不要品をまとめて業者の方に引き取ってもらった。ファンヒーター4台。簡易なクーラー(乾燥機など)が4台。トタン数枚。電動自転車、一輪車、リクライニング椅子、パイプ車庫の残骸、ゴルフセット等々。ちょっとスッキリ。
 電化製品はファンヒーターも含め使えるものばかり。あ、電気釜や電気ポットも出した。ご飯 炊くの止めたから。蛍光灯の管 10本余りも出した。未使用品。

 

 回覧板。隣家の方はどうして玄関の戸、足元に置くのか。目の前に郵便受けがドーンとあるのに。

 

Finland ← ミア・カンキマキ著『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』(末延 弘子(翻訳) 草思社)「事にも人生にもうんざりしたアラフォーシングルのフィンランド人「私」は、長期休暇制度を使って日本へ旅立つ。目的は「清少納言を研究する」ため――」 題名が何処となく、往年のヒット曲の歌詞、「京都から博多まで、あなたを追って~♪♪」をなんとなく連想させてしまう…。

 

  ミア・カンキマキ著の『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を21日読了。
 遠い現代のフィンランドからアラフォー女性が「枕草子」そして書き手の「セイ」の魅力に目覚め、ヘルシンキから京都へ。驚くのはフィンランド政府や企業の文化的助成の分厚さ。彼女は日本語が喋れない読めないのに、平安朝の「セイ」や「枕草子」を知ろうと悪戦苦闘する。その日記調ドキュメントタッチの書きぶりが面白い。あの平安朝に何故表立って文筆を含めた言論が出来たのか、その不思議は今の日本人にももっと興味を持っていいのでは。セックスを含めた赤裸々な語り口や活動ぶりが本書の人気の一端なのかな。 楽しみました。

 

(以下は21日のメモ)
 この数日、朝方に何故か我が家の近隣は、ヒッチコックの映画「鳥」状態になっている。近くの電線に数知れない野鳥が飛来し止まっている。怖いくらいの数。ムクドリだろうか。ヒッチコックの映画では、鳩かフィンチかカラスかな? 日が少し上がると何処へか去っていく。
 原作は言うまでもなく、ダフニ・デュ・モーリエの「鳥」。映画が有名だが、小説はさすがにモーリエ、読み応えある。鳥は最初、主人公には白い波頭と思われたとのことで、海鳥……カモメのようだ。我が家の辺りは海から数キロは内陸だし、鳥の薄汚い(失礼!)色合いからして、ムクドリと思われる(推察)。この朝方な野鳥の雲集現象はいつまで続くのか。…この日記を書いた翌日は、こういった現象は見られなかった。

 

Genji3 ← 『源氏物語 A・ウェイリー版第3巻』(著者:紫式部 英訳:アーサー・ウェイリー 日本語訳:毬矢まりえ+森山恵姉妹訳 エッセイ:島内景二 装幀:松田行正+杉本聖士 左右社)

 

 毬矢まりえ+森山恵姉妹による日本語訳『源氏物語 A・ウェイリー版第3巻』を昨日読了。読み慣れたこともあろうし、その気になれば一気読みもできなくもないが、敢えて日に数十頁ずつ読んできた。主語述語はもちろんだが、誰の語り、あるいは誰についての語りなのか明確なので、吾輩のような古文に苦手でも内容が理解できる。といっても、登場人物群の相関関係は、我輩には入り組んでいるし、男女の縺れ合いも一方ならぬものがあって、各帖毎に冒頭に表示してある、相関図…系図は非常に参考になり、頼りっぱなしといってもいいほど。作者であろう紫式部は頭の中だけで錯綜する図を描けているのだろうが、それだけで感心してしまう自分が情けない。それより、数十年の物語なのに、筋の破綻がないらしいのが、凄い。
 それにしても、主人公のゲンジが不在になってからの、宇治十帖…もしくはその前の「匂宮」辺りからは何処か違う物語に感じられてしまう。別の作者が書いたんじゃないかと思えるほど。あるいはこの辺りで、英訳したウェイリーの訳業は、新たな資料を集めたりして、四年間のブランクがあるとかで、彼の表現の文体に変化があるのかとも感じた(英訳の文体を確かめないと分からないことだが、ジョイスかウルフかプルースト辺りに影響されている?)。
 加えて蛇足すると、「竹河」の帖の冒頭で、原作者の式部(?)が顔を出し、「これから申し上げますのは、そのころまだタマカヅラの御殿に生き永らえていた侍女たちから、わたくしが聞いた物語でございます」とあり、書き手の変更があったことを糊塗する弁解とも憶測したくなる。ま、それはそれとして面白いことに変わりはない。
 早速第四巻…最終巻を読みたいが、第三巻を読了したのが出勤時間の迫る夕方。四巻を読み始めるのは、翌日の楽しみということに。

 

 今朝未明帰宅して部屋の戸を開けた瞬間、ドジに気付いた。暖かい……スチームのスイッチを消し忘れて外出した……。タイマー入れてなかったかな。半日、誰もいない部屋を暖めて……。
 やはり、出勤間際の慌ただしさ。タイマー 入れてたはずなのに。スマホで外出先から確認できたらいいな。帰宅前にスイッチを入れるとか。その前に玄関の鍵を直さないと。
 立山で初冠雪観測。例年より遅いとか。
 秋晴れ。そよ風。自転車を転がして床屋さんへ。四ヶ月ぶり。シャワー後の髪の乾きが遅いなと感じてたけど、四ヶ月はひどい。ついで期日前投票へ。市役所。
 ウイークデーだし、公示されて間もないから、人の出は少ないだろうと行ったのだが、多い! 密! 不在者投票で感染したら喜劇だな。
 投票会場の市役所の前に県民会館へ。展覧会じゃなく、展覧会のチラシ各種を収集するため。音楽会その他のチラシは集めてない(数が多すぎる)。展覧会のチラシ(フライヤー)、少なくとも千枚はある。チラシ展だって出来そう。