あの日から始まっていた (24 音という奇跡) | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Teturo

音という奇跡

 

 耳が誰よりも敏感というわけではないと思うが、学生時代など一人暮らしをしていた時には、騒音・雑音には敏感だった。一人で居る時には、食事を摂ったり音楽を聴くとき以外には、ひたすら読書していた。徹夜で読むこともしばしばだった。そんな時、音は、どんな音も邪魔だった。音が微かにでも耳に入ったら、読書はたちまち中断させられてしまう。

 

 そんな時、音の出処に怒ってみたりする。が、同時に、たまに、自分は本当は読書が好きではないのではないか、本の世界に読み浸っていないのではないか、本当は外の世界へ出ていきたい、なのに、外部から、読書とは無縁な生きた、現に動きつつある、生の世界の、その突端が自分を、読書より、そこには本当の世界がある、読書よりも豊かな世界がある、読書というより書物のネタ元となる現実の世界がある、お前は、そんな世界にこそ、立ち会うべきなのではないかと耳元で囁かれているようで、それで、雑音に過敏になってしまっているのではないか…、そんなことを思ってみたりする。

 

 音。音楽。自分には、好きな音は全て音楽である。音楽が、音を楽しむという意味合いで構わないのなら。別の何処の誰かが作曲した、誰かが歌っている、そうした人の手により形になっているものこそが音楽であって、自然世界の音の海は、音楽ではなく、あくまで音(騒音・雑音…)に過ぎないというのなら、別に音楽と称さなくても、いい。
 自分は自分なりに音を楽しむまでである。
 どんな音が一番、自分の琴線に触れる音なのか。

 

 風の囁きを中心とした自然世界の音の大半は好きなような気がする。
 それは、絵画についても、写真芸術についても、あるいは文学などについても、同様で、自分がこの肉眼で皮膚で脳髄で胸のうちで感じ取り聞き取り受け止める生の世界の豊穣さを越えるようなものなど、ありえようとは思えないし、実際に、そうだったのだ。

 

 蛇口から垂れる水滴の、その一滴でさえ、どれほどの幻想と空想とに満ちていることだろう。そしてやがて、瞑想へと誘い込んでくれる。その様を懸命に切実に見、聞き、感じ、その形そのままに受け止めようとする。そこには、音楽も文学も写真も絵画も造形美術も舞台芸術も、凡そ、どんなジャンルの芸術も越えた、それともその総合された世界がある。

 

 その水滴一滴から、幾度となく掌編を綴ってきた。形は掌編という文章表現だが、それは自分には絵を描く才能も、音で表現する能力も、どんな才能もないから、最後に残った書くという手段に頼るしかないからであって、しかし、創作を試みながらも、そのまさに描いている最中には脳髄の彼方で、雫の形や煌き、透明さや滑らかさの与えてくれるまるごとの感動を、その形のままに手の平に載せようという、悪足掻きにも似た懸命の営みが繰り広げられている、想像力という自己増殖する渦巻の根っこが真っ赤に過熱している。

 

 要は自分は文学に限らず多くのことに無知だったに過ぎないのだが、自分にはシュトックハウゼンの音楽を聴いた時、頭の中に宇宙空間が広がっていくような気がしたのである。

 

 絶対零度に向かって限りなく漸近線を描きつつ近付いていく宇宙空間。裸で空間に晒されたなら、どんなものも一瞬にして凍て付いてしまう、恐怖の空間。縦横無尽に殺人的というより、殺原始的な放射線の走っている、人間が神代の昔から想像の限りを尽くして描いた地獄より遥かに畏怖すべき世界。
 感情など凍て付き、命は瞬時に永遠の今を封じ込められ、徹底して無機質なる無・表情なる、光に満ち溢れているのに断固たる暗黒の時空。

 

 その闇の無機質なる海に音が浮き漂っている。音というより命の原質と言うべき、光の粒が一瞬に全てを懸けて煌いては、即座に無に還っていく。銀河鉄道ならぬ銀の光の帯が脳髄の奥の宇宙より遥かに広い時空に刻み込まれ、摩擦し、過熱し、瞬時に燻って消え去っていく。

 

(拙稿「音という奇跡」(2004/10/27)より抜粋」 冒頭の画像は、拙稿「秋薊のこと」(2004/11/03)より)