は〜い!

 

皆さんこんにちは!

 

鈴木教禅で〜す!

 

 

死を感じる事で生きることが出来る

 

今日はちょっと説教がましい話になりますが、ご興味のある方は最後までお読みください。

 

最近では、自殺者が増えていると聞いています。

 

こんな事を書くのも何ですが、私の経験からすると私自身も「死」を覚悟した事は一度や二度ではありません。

 

でもどんな事があっても自ら命を落とす事は無いと決めています。

 

なぜならば私は死を知っているからです。

 

ん!

 

私自身が霊感があり、死の体験をしたからではありません。

 

祖父・祖母・母・父が亡くなり、亡くなった状態を見ているからです。

 

身内以外でも何らかのご縁がありまして、死を目にした事はあります。

 

 

死を目にしたとしても具体的に書いた方が実感が湧くきますので、一例づつ書いていきます。

 

ある人がこんな事を言っていました、「人は亡くなるまでいろんな事を教えているのですよ!」

 

まずは、祖父ですが私が小学校5年生の時に亡くなりました、人が亡くなるという初めての経験でした。

 

もう40年以上の前ですが記憶しています。

 

学校に連絡がありまして、病院に私が行った時には冷たくなった祖父が寝ていました。

 

白い着物を着て寝ていました、その祖父に「足袋をはかしてあげてください」と私は言われたました。

 

何も分からない私は普通に足袋を右の足袋は右足に、左の足袋は左足にはかせようとした時に、「亡くなった方は逆にはかせるのでのよ」と言われ逆にはかせた覚えがあります。

 

今まで遊んでくれていた祖父が冷たくなって寝ている姿を見て、何か感じる事があったかと言えば正直何も感じませんでした。

 

その後、私が就職しまして25歳の時に祖母が亡くなりました。

 

長く祖母は寝たきり状態でありまして、病院からもうすぐに命が危ないという時に夜でしたが親戚の人も病院に来て頂き、祖母が寝ている場所が狭い為皆んなでそばにいる事が出来ず交代で祖母の様子を見ていました。

 

そんな時に私が祖母の様子を見ていた時でした、心臓を心拍数を測る機会が0になったのです。

 

それを看護婦さんに知らせまして、身内にも知らせました。

 

病院から家に祖母と帰ったのですが、何故か私がもう息を引き取った祖母の横に私が座り車で移動しました。

 

その時は何か「ご苦労様でした」という言葉が出る感覚がありました。

 

そして、介護疲れで長く苦しみ病院を入退院繰り返していた母が私が33歳の時の話です。

 

母は病院でもう命が危ないと言われたのが夜12時くらいの事でした、その時は父親もご親戚の方達も母と一緒にいましたが、時間が経つにつれ「何かあったら連絡してね」と言い残し一人一人帰っていきました。

 

最後、父親も介護疲れもあるので私が居るので家に帰しました。

 

家は病院からさほど離れてはいませんでしたので、携帯電話で連絡をすればすぐに来れるとしていました。

 

朝4時くらいから母親の心拍数は減り始めもう何分もないという時に、父親に連絡をしたのですが電話に出る事が無かったのです。

 

仕方なく「母ちゃん今まで色々ありがとうね!」と声をかけて、看護婦さんの言う通り苦しまないようにと、母親の首の後ろに私の手を入れて少し持ち上げた後に、ゆっくりと下に下ろしました。

 

母親の顔を見ると何だかやっと楽になれたと言う感じがしました。

 

最後父親の最後ですが、つい最近の事ですが私が50歳になった時の事です。

 

病院から「父親がもう危な状態です、息子さんが来るまで延命治療をしますか?」と言いう連絡がありました。

 

病院までは自転車で20分くらいの場所でしたので、延命治療をしなければ間に合わない状態でしたが、私は「延命治療はしないでください」と言いました。

 

死に際に合うのは目的はありませんし、延命治療をして父親を苦しみせる事はしたくありました。

 

病院に着きますと父親はもうすでに心拍数は0になっており身体は冷たくなっていました。

 

まあこんな時に霊感のある私便利なもので、父親に話しかけました「じいちゃん来たよ!じいちゃん来たよ!」と何回か言った後、父親は霊感で聞いたのですが「ちょっと黙ってよ!今疲れているから寝てるんだよ!」と返ってきました。

 

私は霊感でこう言いました、「いやいや違うよ!じいちゃんもう死んじゃたんだよ!」

 

霊感で父親は「え!」と言って起き上がって気がついたようでした。

 

無論起き上がっても自分の肉体は寝ていますからね。

 

看護師さんに聞きましたら亡くなる前はリハビリをしたそうです、その疲れもあって寝ていた所亡くなったそうです。

 

その後、父親は霊体にだけになりましたが、49日までは家で楽しそうに踊っていました。

 

この経験は理屈ではありません。

 

何か私が生きると言う感覚を得た経験でした。

 

「生きなければならない」と言う感覚では全くありません。

 

どんな事があってもただ生きる!

 

今の人はこうやって亡くなった方の身体を触ったり、見ること感じる事が無くなっている感じがします。

 

最近では「パンデミック」があり、亡くなった方とは会うこともせず遺骨になってしまう。

 

生きると言う事のカテゴリーが失われてしまったと私は感じています。

 

人は亡くなるまで教えてくれているのです。

 

亡くなられた方を感じる事で、生きると言う事が理屈ではなく知る事が出来るのです。

 

最後までご購読ありがとうございました。