雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

今日のことば(5)  「嘘」(2) 「嘘のスパイラル」

2024-04-17 06:30:00 | 今日のことば

 今日のことば(5)  「嘘」(2)
  「嘘のスパイラル」 
「嘘の誘惑に対して」(前回続き)
嘘は一つでは終わりません。
嘘を隠すための嘘
嘘を正当化するための嘘をつくことに必ずなるからです。
そして、やがて何が本当の自分なのかわからなくなってしまう。
それほど寂しいことがあるでしょうか。

嘘をついても見抜かれなかったと
ほくそえんでいる人がいるなら
それは大変な錯覚というものです。
なぜなら
嘘をつくたびに
心は傷つき
魂はカルマを深くしているからです。
やがて
嘘をつくことにも慣れ
恐れもなく痛みもなく
嘘と同化してしまうのです。
         ※ カルマ(Carma)  人間が持つ心の奥に存在する「業」で、宿命とも訳され、「因果応報」という言葉がある。
                  善悪どちらのカルマも、それぞれの応報(結果)が導かれる。

  「
嘘」についての考察がわかりやすく、ていねいに述べられてきた。
このあと、著者が最も言いたかった言葉が続く。

人は誰でも
自分に嘘をつけない心を持っています。
良心――。
あるがままの事実を温かく見守の心
あらゆるものを大切にする心
あらゆる存在の前に謙虚に自分を置く心
嘘はこの良心の働きを奪い、眠らせてしまいます。
嘘は良心の窓を塗りこめてしまうのです。
愛の光
いのちの光
そして
生かされている事実を見失わせてしまうのです。

   「嘘依存症」という病気があるのなら、水原一平氏の行為は最も信頼に値する大谷翔平を裏切り、
  申し訳なかったと謝罪する気持ちではなく、不正が露見しても「口裏合わせ」を依頼して、
  この期に及んでなおも自己保身を図ろうとする行為は正に、「ギャンブル依存症」以前に、
  「嘘依存症」の最たるものと思わざるを得ません。

  「あるがままの事実を温かく見守の心」を喪失し、「あらゆる存在の前に謙虚に自分を置く心」
  を見失ってしまい、嘘によって「良心の窓を塗りこめてしま」った愚か者の末路を見るような思いです。
  
  私たちに一番大切なことは、
  「生かされている事実を」忘れない生き方ではないかと思う。/
  私たちは、生きているのではない、この世界に「生かされている」のだ。
  自然に生かされ、人と人の絆に生かされ、決して傲慢になってはいけない。
  
   日照りの時は涙を流し/寒さの夏はおろおろ歩き/
   みんなにでくのぼーと呼ばれ/
   褒められもせず/苦にもされず
   そういうものに/わたしは なりたい
                 (宮沢賢治・雨ニモ負ケズ)

       どこかで、宮沢賢治の生き方に繋がるような高橋佳子氏の言葉です。
  世間のしがらみの中でたくさんの余分と思われるものを背負いながら生きている私たちには
  なかなか難しい生き方かもしれませんが、そういうものにわたしはなりたい。

   (今日のことば№5)           (2024.04.16記)

 

 

 

 

 

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今日のことば(4)  「嘘」(1) 

2024-04-14 06:30:00 | 今日のことば

 今日のことば(4)  「嘘」(1)

 嘘の誘惑に対して

  何気なくついてしまう嘘。

   責められるのが嫌で
   馬鹿にされるのが嫌で
   除け者になるのが嫌で
   愛想をつかされるのが嫌で
   誉められたい一心で
   認められたい一心で
   立場を守りたい一心で
   つい、言ってしまう嘘
   ないものをあるがごとく、やったことをやらなかったごとく
   吹聴したり、隠したりする。
   恐怖心からの嘘
   虚栄心からの嘘
   投機心からの嘘
   嘘は、何気ないものであっても
   最も恐ろしい誘惑の一つでしょう。
        (新祈りのみち 至高の対話のために 高橋佳子)
著者・高橋佳子氏について私は知らない。
 引用した「ことば」は800ページ以上もある単行本のなかから引用した。
巻末のプロフィールによると、幼少のころより、人間は肉体だけでなく、目に見えないもう一人の自分――魂からなる存在であることを体験し、「人は何のために生まれてきたのか」「本当の生き方とはどのようなものか」という疑問探究へと誘われる。現在68歳。
 哲学者、宗教者、霊感の強い人などそのどれにも属するような雰囲気があるけれど、
一定の枠におさまり切れない人のように思う。

  何気なくついてしまう「嘘」は、人間の感性の「最も恐ろしい誘惑」の一つでしょう、
と読者に投げかける。窮地に陥ったとき、何とかそこから逃れたいという思いで「嘘」をつく。
一度ついた嘘に、これをカバーするためにまた嘘をつく。
嘘のスパイラルに陥ってしまえば、取り返しのつかない人生の破滅が待っている。
 嘘によって窮地を脱出したように思えても、嘘はもつれた糸をほぐすようにほころび、
心の傷口を大きくしてしまう。
 
多くの政治家が、嘘の轍(わだち)に足をとられ政治生命を絶たれるのを見てきた。
「記憶にございません」ということばに託された「嘘」。
「嘘をついているのではありません。記憶にないのです」という大ウソ。
人間として恥ずべき行為で政治姿勢を問われ、倫理観を問われているのに、
「記憶にない」と、人間として政治家として絶対に忘れてはならないことに記憶は味方しない。
都合の悪いことを忘却の彼方に追いやるほど、人間の心は便利にできていない。
 嘘をついてでも、
名誉と地位を守りたいと何ともあさましい人間の自己防衛本能だ。
「嘘の誘惑に負ければ、破滅が口を開けて待っている」


♪せめて一夜の夢と 泣いて泣き明かして 
 自分の言葉に嘘は つくまい人を裏切るまい
 生きてゆきたい 遠くで汽笛を聴きながら♪
              
(アリス 「遠くで汽笛を聴きながら」)

  嘘をついたら楽になれるのに、悔し涙かもしれない辛い涙を流して
若者は「嘘はつくまい 人を裏切るまい」と、青春の荒野をさまよう。
嘘の誘惑に負けない青春の旅立ちを謳う名曲である。

 (今日のことば№4)             (2024.3.13記)

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今日のことば(3)  「目」 観察眼と感性

2024-04-09 11:54:12 | 今日のことば

今日のことば(3)  「目」 観察眼と感性
   最近小説をあまり読まなくなった。
   特に小説部門においては、シリーズ物が多く、
   これはこれで気軽に読めて楽しい読書時間を過ごすことができるが、
   読んだ後何も残らない。
   出版事情にもよるのだろうが、人気作家のシリーズ物は当たりはずれがなく、
   読者が付きやすく、版を重ねる予測がつく。
   人気シリーズになれば、一番労力を使う「主人公」の人物設定など、
   シリーズで培養された人物像に基づいて話を進めることができ、
   ストーリーの筋立てに専念できるメリットがある。
   シリーズものは一定の水準を維持した「小説」を書き、量産もできるメリットがある。
   だが、安易にストーリーの面白さに重点が置かれ、
   深みのない物語が乱造される危険性も持っている。
   
   代わりにノンフィクションをよく読むようになった。
   伝記物もよく読む。随筆などもよく読んでいる。
   これらのジャンルは、執筆者の『感性と観察眼』が見事に結晶し、
   著作に当たっての書き手の本気度が示されるから、
   読者の私もぐいぐい著作の中に引き込まれていく。

   今日のことばは、向田邦子のエッセイ集、『父の詫び状』からとった。
   ありふれた日常生活を見つめる作者の目は、優しくどこかにユーモアを含んでいる。
   読んでいて疲れた気持ちが落ち着きをとり戻し、
   いつの間にか作者の著作の世界に引き込まれている自分に気づくことになる。

   エッセイ集『父の詫び状』から動物の「目」についての文章を紹介します。

    動物園へ行って、動物の目だけを見てくることがある。
               ライオンは人のいい目をしている。虎の方が、目つきは冷酷で腹黒そうだ。
    熊は図体にくらべて目が引っ込んで小さいせいか、陰険に見える。
    パンダから目のまわりの愛嬌のあるアイシャドウを差し引くと、ただの白熊になってしまう。
    ラクダはずるそうだし、象は、気のせいかインドのガンジー首相そっくりの思慮深そうな、
    しかし気の許せない老婦人といった目をしていた。
    キリンはほっそりした思春期の、はにかんしているのかもしれない。だ少女の目、
    牛は妙に諦めた目の色で口を動かしていたし、馬は人間の男そっくりの悲しい目であった。
    競走馬でただ走ることが宿命の馬と、はずれ馬券を細かく千切る男たちは、
    もしかしたら、同じ目をしているのかも知れない。

     このエッセイは、「魚の目は泪」という題で400字詰め原稿用紙で18枚に及ぶ長い内容だ。
    表題から連想するのは芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を連想させる。

    46歳の晩春、平均寿命50歳未満と言われた江戸時代芭蕉は、
    後に芭蕉庵と呼ばれる千住の住まいを他人に明け渡し、
    「前途三千里」の奥の細道の旅へと旅立ちます。
    芭蕉の門弟や友人、芭蕉を経済的に支えた杉山杉風など多くの門人、知人たちが見送りに来た。
    「春が過ぎてゆく千住の別れに、芭蕉を慕う人々が悲しんでいる。春の別れを惜しんで鳥が啼き、
    魚だって目に涙を浮かべている」。
     春の別れを惜しむ芭蕉の胸中にはきっと、生きては戻れぬかもしれない旅寝の健康への不安と、
    俳聖への路を極めたいという決意があったのだろう。
    
     期待を込めながら、冒頭に目を通す。
    「子供のころ、目刺しが嫌いだった」魚が嫌い、鰯が嫌いというのではない。魚の目を藁で突き通す
    ことが恐ろしかった。見ていると目の奥がジーンと痛くなって…

     芭蕉を期待していたのに、いきなり「目刺し」の目が嫌いだと、読者の度肝を抜く。
    で、話は次のように展開していく。
     網にかかったカタクチイワシは、日差しにさらして一気に煮干しにする。生きながらじりじりと陽
    に灼かれ死んでゆく、そう思ってよく見ると一匹一匹が苦しそうに、体をよじり、目を虚空に向けた
    無念の形相に見えてくる。
     さらに、魚の目についての記述が続く。
    目が気になりだすと、尾頭付きを食べるのが苦痛になってきた。
   …鯵や秋刀魚の一匹付けがいけない。母や祖母にくっついて魚屋に行く。
   見まいと思っても、つい目が魚の目に行ってしまう。どの魚も瞼もまつ毛もない。
   まん丸い黒目勝ちの目をしている。
   とれたては澄んだ水色をしているが、時間がたつにつれて、
   近所の中風病みのおじいさんの目のような、濁った目になる。
   焼いたり煮たりするとこれが真っ白になるんだ、と思うと悲しくて、
   なるべくお刺身や切り身にしてもらうように、それと
なく頼んだりただをこねたりする。
   
    次から次へと魚の目についての話が展開される。
   芭蕉さんの有名な句はいつ出て来るんだと思うころ、芭蕉さんが登場する。
   「行く春や鳥啼き魚は目に泪」
   芭蕉大先生には申し訳けないが、私は今でもこの句を純粋に干渉することができない。
   次の文章で作者はさりげなく、その理由を述懐する。塩が振られたざるに並べられた魚の目が、
   泣いたようにうるんでいるように見えるし、
   「鳥が啼く」を思い浮かべれば、祖母の飼っている十姉妹が日差しを浴びてさえずる場景を浮かべてし
   
まう。
    ここまで話を進めるのにまだ、全体の五分の一しか進んでいない。
   漁師に打たれて木の枝から落ちて死ぬ直前の猿の目の話になり、
   日本人形の目の話になり、鳥の目の左右上下に動く目が嫌だと言い、猫の目の観察になる。
   最後はある男の足裏に出来た「ウオの目」の話で落をつける。
   最後の二行は次のようにつづられている。
     行く春や鳥啼き魚は目に泪 
    この人にとって、俳聖芭蕉のもののあわれは、わが足元なのである。 
  向田邦子は話の展開がうまい。言葉が紙の上で踊るように生き生きとしている。
  鋭い観察眼と感性が読者を捉えて離さない。
  芭蕉の句が、魚の目の話になり、動物の目の話に進み、最後の落は足裏に出来た「ウオの目」
  で落ちをつける。ウイットにとんだ筋運びは、読者を飽きさせない。

   
映画雑誌編集記者を経て放送作家となった作品には「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」
  「阿修羅のごとく」などいずれも庶民の暮らしを描いて人気ドラマになった。
  1956年8月航空機事故で急逝。才能の花開きを予感させる作家の惜しまれる死だった。
  享年51歳。     
                              (2,024.4.9記)

 

 

 

 

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能登半島地震 (13) 二次避難所から一次避難所へ戻る

2024-04-06 06:30:00 | ことばのちから

「やっぱり地元で…」戻る一次避難所 朝日新聞2024.03.06

ホテルなどの二次避難所から、
「一次避難所」に戻りたいと希望する被災者が増えている。(リード文より抜粋)


 能登半島地震の被災地では、一次避難所の小学校の空き教室や体育館、
公民館などに避難した人などのうち、高齢者や病気療養中の患者、
プライバシーに制限のある集団生活を送るのが難しい被災者を中心に、
二次避難所としてホテルなどの比較的生活環境の落ち着ける場所を、
希望者に提供してきた。しかし……

住めば都にはならなかった

 珠洲市のMさん(85歳)は、被災後金沢市の姉の元に身を寄せた。
しかし、2月末には一次避難所の小学校に戻ってしまった。

 「金沢は水もトイレも使えるし、あったかい寝床もあった。
 でも、知り合いも話し相手もいない。珠洲なら知った人ばかりだもの」

 珠洲市は人口減少により、過疎の進行が進む町である。
若い人たちは珠洲の町を出ていき、高齢者比率が高い町になってしまった。
でも、そのような街だからこそ、人と人とのつながりが深く、
近所づきあいの中に、助け合いの精神が色濃く残っている。
残った者同士、幼なじみの気心の知れた仲間たちの集まる地域だった。

 震災の被災者になり一次避難所に生活の場を移したが、
集団生活になじめず、金沢の姉の家に移った。
住み慣れた珠洲と違って、Mさんにとって見慣れぬ風景の街で暮らすことは、
一歩外に出れば、知らない人ばかりのご近所さんに、故郷珠洲の風景が思い出される。
「帰りたい。珠洲の街に」。
望郷の思いに耐えがたく、Mは故郷珠洲に帰ってきた。

 被災した家に住むことはできないから、
また一次避難所での集団生活が始まった。
ここの生活には、規則があり、気疲れもする。
だが、ここには震災で激変してしまった故郷の風景だが、
それでも生活の匂いがあり、この土地に根っこを下ろした安心感があった。

 避難所での朝食が終わると、傾いた自宅に戻り、
瓦礫の片付けや、畑の野菜の世話をする。
自宅は傾いてしまったけれど、やらなければならない仕事があり、
それが何より生活の張りになり、生きがい対策にもなる。

 「明日の自分もわからない。でも、わたしは珠洲にいたい」

珠洲市のTさん(69歳)は、親族のいる大阪府に避難した。
3月上旬には、大谷小中学校の体育館の一次避難所に戻ってきた。
自宅の荷物整理や罹災証明の再申請が目的だという。

「近所では家が倒壊し、亡くなった人もいた。
 そんな中で、大阪での不自由ない暮らしはうしろめたい」

珠洲市長
は、二次避難所から一次避難所へ戻ってくる被災者を、
「お戻りいただけるのはありがたい」
と収容人数に比較的余裕のある一次避難所への斡旋をしている。

石川県輪島市の場合
 震災から3カ月経過して、最も多い時で167ヵ所あった一次避難所は、今50ヵ所に減少している。
4月からは倒壊家屋などの公費解体の手続きが始まる。
 市職員の避難所への通しが付き、
解体作業に関連する職務に職員を配置する段階にきている。
「そこでまた一次避難所に人が増えると対応が必要になる。
戻りたいという人を受け入れたらきりがない。心苦しいが断るしかない」
(担当職員)
 対応職員の不足がまねく、苦渋の選択なのだろう。
だが、住み慣れた故郷の避難所に戻りたいという被災者を戻ってくるな、
と言わないまでも、対応職員が不足しているから一次避難所に戻るのはご遠慮願いたい、
という方針がよいのかどうか疑問は残る。

一次避難所になっているある公民館の現状
「輪島に戻りたい」
「家が倒れて、帰るところがない」
 いずれも、切実な問題だ。
 一次避難所から、二次避難所に移ったものの故郷から離れ、
 知らない人達の中で暮らすのに疲れ、故郷帰還の願望が高まる。
「家が倒れて、帰るところがない」という表現のなかにも、
二次避難所に移った生活がうまくいかなかったための
故郷願望の切実な願いがあるに違いない。

県はどう考えているか
 県の担当者は、「(二次避難から一次避難への逆流を)断る想定はしていなかった」
と想定外であったことを明かす。
一次避難の運営は各市町村の対応で、判断の統一は難しい。
従って、避難所の開設に期限などの決まりはなく、
仮設住宅の促進など支援を急ぐ必要があると、歯切れの悪い回答が返ってくる。

遠くの避難所、能登特有の地形
 県はいち早くホテルや旅館などを二次避難所として確保した。
能登半島の被災地では、
二次避難所とするみなし仮設として活用できる住宅が少ないという事情もあり、
二次避難所は県内の別の自治体や県外が採用された。
住み慣れた土地を離れ、見知らぬ人たちとの生活に疲れ、
望郷の念に駆られた人も少なくはない。
「一次避難所に戻るということを念頭に置いた避難、
生活再建の計画づくりを進めることが重要」(京都大学教授・矢守克也 防災心理学)
と指摘する。
 能登半島の復興は、日本の半島や離島などの地域づくりに関わる重要な課題を示している。
地震災害の教訓を、今後検討されるであろう「創造的復興プラン」に反映し、未来への教訓としたい。


            (ことばのちから№13)              (2024.4.5記)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




                     









 

 

被災の奥能登4市町、人口減に拍車 前年比3倍超
産経新聞2024.4.1

支援活動で福岡県から訪れ、「輪島朝市」付近で手を合わせる男性=1日午後1時53分、石川県輪島市(渡辺恭晃撮影)

市町別の減少数は珠洲市が227人で前年同時期(24人)の9・46倍に達した。輪島市336人(前年同時期150人)、能登町129人(同20人)、穴水町71人(同28人)だった。

2月の転出者数は珠洲市が115人で前年(11人)の10・45倍となった。輪島市は239人(前年132人)で、能登町79人(同15人)、穴水町55人(同16人)。県人口は前月比0・15%減の110万4587人。

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喫煙のけむり

2024-03-31 06:30:00 | つれづれに……

煙草の煙

【1966(昭和41)年11月11日 朝日新聞朝刊掲載

   何やら偉そうな訪問客をサザエさんが迎え入れる。
  サザエさんの接待にも終始無言で、あろうことかテーブルに置いた灰皿には目もくれず、
  床の上に灰をまき散らす。怒り心頭、サザエさんは客がかぶってきた帽子を灰皿代わりに床に置いて、
  姿を消す。傍若無人な喫煙者に対するささやかで、しかも怒りの鉄槌だったのでしょう。

  昭和24(1949)~25年ごろだったと思う。東映の時代劇・笛吹童子だったり、紅孔雀が劇場をにぎわし、
 嵐寛寿郎の鞍馬天狗などが一世を風靡していた。
 小学生が一人で映画を見に行くことは禁じられていたが、
 わたしは一週間の小遣いをためて日曜日にはいつも映画を見に行っていた。
  当時は3本立で、映画が終わるとブザーがなり、場内が明るくなる。
 小学生が一人で映画を見に行くのはご法度だった。
 わたしは明るくなると座席の下に身を隠し次の映画が始まり、
 場内が暗くなるまで背中を丸めてうずくまっていた。

  懐かしい思い出だが、場内はたばこの煙で目が痛くなり、涙が出てくる。
 のども痛く、大好きな映画を隠れてみることの罪悪感と、
 たばこの煙に悩まされていたことを鮮烈に覚えている。
 
 漫画が掲載され1966(昭和41)年の成人男性の喫煙率は、
約84%で喫煙率が最も高かった年だそうです。

1971(昭和46)には五木ひろしが四度も芸名を変え、「よこはま たそがれ」で一躍売れっ子になった曲。
  よこはま たそがれ ホテルの小部屋
  くちずけ 残り香 煙草のけむり
甘く切ない失恋の歌だが、未練のないすっきりした今風の歌謡曲に仕上がっている。
小道具の『煙草のけむり』が効果的に使われている。
 
それから3年後の1974(昭和49)年には、中条きょしの「うそ」が一世を風靡した。
  折れた煙草の 吸い殻で
  あなたの噓が わかるのよ
冒頭の歌詞である。女心を機敏に捉えた歌が大ヒットした。
無造作に灰皿にもみ消された煙草をみて、男の嘘を敏感に捉える女心がなんとも切なく哀れである。
どちらも山口洋子の作詞である。
煙草が歌謡曲の小道具として、重要な位置を占めていた懐かしい時代の歌である。
煙草を小道具として作詞された歌。
〇 カサブランカダンディ (沢田研二 作詞・阿久悠) 2005年発売
    
ききわけのない女の顔を 一つ二つはりたおして
    背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない
〇 ブルーライト ヨコハマ (いしだ あゆみ 作詞・橋本 淳)2013年発売
    あなたの好きな タバコの香り
    ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ

〇 15の夜 (尾崎豊 作詞・尾崎豊) 2019年発売
    
    落書きの教科書と外ばかり見ている俺
    超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
    やりばのない気持ちの扉破りたい
    校舎の裏 煙草ふかして見つかれば逃げ場もない

 煙草は長い間、時代を象徴するように、状況や雰囲気を代弁するような役割を担ってきた。

1900年代に入っても煙草はどこでも吸えた。喫煙禁止の場所などなかったようだ。
病院の待合室、レストラン、新幹線や飛行機などどこでも喫煙可能だった。
駅のプラットホームは、線路で投げ捨てられた吸い殻でいつも景観を汚していた。
大学の部室は汚れた灰皿に吸い殻が山のように盛られていた。
大学生にして、すでにヘビースモーカーが何人もいた。

冒頭に示した漫画が掲載された年に、日本で国際ガン会議が開かれ、

煙草の有害性とともに、日本では禁煙運動が進んでいないと指摘された。

週刊誌はこれを受け「われわれはタバコを吸いすぎるか」(週刊朝日)、

「緊急特報 タバコ飲み必読の最新ガン自衛策」(週刊現代)などの特集記事が組まれ、

売り上げに貢献した。現在で考えられないような、

喫煙習慣に対するなんともおおらかな対応でした。

受動喫煙の害
 煙草が及ぼす健康への害は、時代の流れと共に理解が進んでいきます。

 単に喫煙者が煙草を止めるだけでは、

 喫煙の害は防ぎきれないことが研究者の努力で世間的に認知されてきました。

 喫煙しなくても、喫煙者が吐き出す煙草の煙を吸うだけで、

 喫煙した時と同等の害を及ぼすことが分かってきました。

 2003年には健康増進法が施行され、その後法改正を経て喫煙による健康被害問題は、

 喫煙のマナーからルールへと変わっていった。

改正の概要は次の通りです。
 基本的な考え方 第1 「望まない受動喫煙をなくす」
   受動喫煙が他人に与える健康影響と、喫煙者が一定程度いる現状を踏まえ、室内において、
   受動喫煙にさらされることを望まない者が、
   そのような状況に置かれることのないようにすることを基本に、「望まない喫煙」をなくす。
 基本的な考え方 第2 受動喫煙による健康影響が大きい子ども、患者等に特に配慮
   子供など20歳未満の者、患者等は受動喫煙による健康影響が大きいことを考慮し、
        こうした方々が主たる利用者となる施設や、屋外について、受動喫煙対策を一層徹底する。
 基本的な考え方 第3 施設の類型・場所ごとに対策を実施 
   「望まない受動喫煙」をなくすという観点から、施設の類型・場所ごとに、主たる利用者の違いや、
   受動喫煙が他人に与える健康影響の程度に応じ、禁煙措置や喫煙場所の特定を行うとともに、
   掲示の義務付けなどの対策を講ずる。
   その際、既存の飲食店のうち経営規模が小さい事業者が運営するものについては、
   事業継続に配慮し、必要な措置を講ずる。
                         
 (2018年7月に健康増進法の一部を改正する法律)

何時でも、何処でも喫煙が許され、「受動喫煙の害」などという概念がなかった時代。

上野駅14番ホームは、東北本線の列車の終着・始発駅ホームだった。
金の卵を載せた就職列車が到着したのもこの14番ホームだった。

近隣から東京に日銭を稼ぎに働きに来ているブルーカラーたちが、
仕事を終え一斉に列車に乗り込み、煙草をふかし、
酒を飲み通路に新聞紙を敷いて将棋などを指す風景が毎日見られた。
降車駅に到着するまでの、
仲間たちとの楽しい団らんが一日の過酷な労働を癒してくれる時間でもあった。
生活が豊かになり、長距離鈍行列車が廃止になっていく過程で、14番ホームも役目を終了した。
今、14番線のホームの入り口には、井沢八郎の「あゝ上野駅」歌碑がひっそりと、
忘れられたように置かれている。
むせるような煙草の匂いとざわめきが、生きることに必至だった時代を懐かしく思い出させる
煙草の匂いである。      
     (つれづれに…№138)           (2024.03.30記)  






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能登半島地震 (12) 公衆電話に列

2024-03-26 06:30:00 | ことばのちから

   能登半島地震 (12) 公衆電話に列
    能登の避難所 公衆電話に列
      孤立集落唯一の連絡手段(朝日新聞2024.3/22)
 能登半島の被災地では携帯電話が数日間繋がららず、
公衆電話が外部との唯一の連絡手段になった地域になった。(リード文)

 石川県輪島市の粟倉(あわぐら)地区は周辺道路の寸断により、一時孤立状態になった。
携帯電話は不通になり、被災者たちは身の安否を知らせる手段を失った。
公民館には、地区で唯一の公衆電話があった。
みんながこれに殺到した。電話を待つ行列ができた。

「とりあえず大丈夫だ」。そう伝えると、「よかった、心配していたよ」と安堵の声が返ってきた。
少しでも多くの人が使えるように、みんなと同様に1分ほどで電話を切った。

 発災後の数日間は停電などの影響で、携帯電話も固定電話も使えず、
公衆電話に40人ほどの列がて来たこともあったと記事は伝える。

公衆電話が激減
上野駅前の公衆電話は難題も並んでいて、
目の前の車道を走る自動車の騒音と電話で話す隣の人の声が邪魔をして、こちらの電話の声も大きくなる。
片側の耳に受話器を抑え、反対側の開いた手で耳の穴をふさぐシーンが風物詩になっていた。
 右も左もわからないお上りさんが到着の連絡を取り、相手の迎えを待つ姿がたくさんあった。
十円玉が時間の経過とともに、コトリ、コトリと落ちていく音が、今でも懐かしく耳の奥に残っている。
饒舌な話は時間とお金の無駄遣いになり、
たいがいは、簡潔に要件を話して電話を終わり、後ろで待つ人に電話を回す。

 いたるところに公衆電話があった。
駅のホーム、校門の前、スナックのカウンターの片隅、病院の待合室など。
ホテルのロビーにはボックス型のしゃれたデザインのも公衆電話が並んでいる。
格式を重んじるホテルほど個性的な電話ボックスが並ぶ。

 携帯電話の時代が来ることを誰が予想していただろう。
携帯電話が普及し、いまでは小学生まで持っている時代だ。
携帯電話の普及で公衆電話の利用は激減し、採算も合わなくなっていった。
それに反比例するように公衆電話の数が激減していった。

 1984(昭和59)年、最盛時の台数は全国に約93万4千台あった公衆電話。
 2022年度は約12万1千台となった。最盛時の8割減である。
さらに、NTTは1931年度までに約3万台まで削減する予定である。

「災害時用公衆電話」
 公衆電話激減の対策として、「災害時用公衆電話」の設置が計画されている。
このシステムは、東日本大震災以降に普及が促進されている。

避難所となる公民館や小中学校などに回線を敷き、、小型の電話機も建物内で保管。
災害時は施設の管理者が電話機と回線をつなぎ、無料で利用できるシステムだ。
全国で約8万8千台が配備されている。

「災害時用公衆電話」は今回使われたか

記事によると、2ヵ所に設置された「災害時公衆電話」はいずれも使用されなかった。
市の担当者は
「存在自体を認識しておらず、何処にしまわれているかもわからない。
 いざという時に活用できるようねまずは市職員内での周知に努めたい」
と話している。
 
責任の所在を明らかに 
 周知徹底を図ることは当然のことだが、今回災害時に利用できなかったことの責任はどの部署の誰にあるのか、調査が必要だ。能登地方では2年も前から頻繁に地震が発生していた。この2年間市はどのような対応をとっていたのか検証を行ってほしい。それが、今後の貴重な教訓になる事を願っています。

  能登地震を歌う 二題(朝日歌壇から)
  
    軒ごとの「危険倒壊」見やりつつ水貰(もら)はむと地割れの路ゆく 
                                   (田中伸一)

    
駅前の広場に能登の牡蠣小屋が臨時に出来てラッシュの賑わい 
                              (木村義熙)

    (ことばのちから№12)      (2024.3/25記)                      
               

   

 

 

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能登半島地震 (11) 奥能登4病院医療維持に危機感

2024-03-21 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (11) 奥能登4病院医療維持に危機感

奥能登の4病院、
 看護師60人以上が退職・意向 医療維持に危機感
                                 2024/03/04 06:00

 看護師総数の約15%
石川県奥能登地域には四つの公立病院がある。
この医療機関で働く看護師にも疲労が蓄積している。これらの医療機関に所属する看護師の
60人以上の看護師が退職したり、退職の意向を示したりしている。
看護師の総数約400人のうち約15%にあたる。
看護師自身が被災し、生活再建の見通しが立っていない。
退職者が看護師の2割に上る病院もあり、
病院関係者は医療体制が維持できなくなるのではと危機感を募らせている。

市立輪島病院の場合
 
 輪島市唯一の総合病院。
医療機器が損壊し、一時断水したこともあって、100人近くいた入院患者の大半は別の病院へ転院した。
今も20人が入院している。
自分の家は倒壊。時間外勤務をしなければ病院の運営が成り立たない。
疲労感で気力もそがれてくる。
子育てもむずかしい。

1月下旬から外来診療を再開。震災前の3割ほどに減ったものの1日に
約150人が訪れる。 

他の医療機関から看護師の応援を受けなんとか患者さんへの対応はできているが、

約25%が退
職を希望し、10人以上が退職届を提出しているという。

道路の寸断で通勤が難しく、空き病棟で寝泊まりする看護師。

発災当時は、使命感に燃えて、自己犠牲を伴う業務を続けることもできたが、

過度の労働は勤労意識の減退につながり、進退を考えるようになってくると、

それ以上の無理はできなくなってくる。

高齢者率が50%に迫る過疎の町で、市や町の医療機関は危機を迎えている。

地方の医療機関の抱える共通の問題でもある。

だから、「子供が集中して学べる環境が整う金沢で職場を探したい」という希望も
「これから病院がどうなるのか、将来への不安もある」
という考えも当然のことと思える。



 珠洲市総合病院の場合

 約125人の看護師のうち22人(18%) が退職を希望している。
どの病院でも同じように、医療業務に疲れてしまったわけではなく、
地震災害という緊急事態に、自らも被災しながら、
地域医療を支えることの難しさに心身ともに疲弊している状況が見えてくる。
「家を失った人も多く、目に見えない負担は相当ある」 (I事務局長)
さらに、医療の前線で頑張る医師や看護師を支える裏方の医療事務者や調理師にも退職希望者が出ている。
「病院はチームワークで成り立っている。先が全く見通せず、
患者数が増えたときに看護体制が厳しくなるかもしれない」という。(同)

退職の意向を示す看護師数と退職後に運用可能な病床 (読売新聞)
市立輪島病院       約120人の看護師のうち退職希望者約30人
                175床のベッド数は30~40床に減少

珠洲市総合病院             126人のうち約20人が退職を希望
                 163床のベッド数は40床に減少

公立穴水総合病院     約70人のうち約10人が退職を希望 
                 100床のベッド数は35床に減少

公立宇出津総合病院   95人のうち約10人が退職を希望
       (能登町)    100床のベッド数は30床に減少

   奥能登は高齢化が進み、震災前から看護師不足が生じており、
 生活基盤が復旧しても、一度流失した看護師が戻ってくるかは不透明だ。

  県看護協会は、4病院に勤務できる看護師や助産婦の募集を始めた。
 しかし、被災地では断水が続き、家屋倒壊も広範囲にわたり、派遣は思うように進んでいないという。
 「生活拠点がなければ長く続けてもらうことはできない。最低でも住まいを確保することが重要だ」
                                                     (県看護協会会長)
 

  厚生労働省はこれまでに4病院に延べ1264人の看護師を派遣。
 しかし、住環境を整えなければ、長期にわたる派遣は難しく、受け入れ体制の強化が必要と思われる。
 

石川 被災した病院の看護師 離職防止へ 在籍出向を検討 厚労相
                    (NHK NEWS 2024.2.20)

     能登地震潰れた家の傍らに椿咲くのが一入(ひとしお)悲し   森田光子

     古老云う「雪の深さは情けの深さ助け合わねば生きられない」と  柳村光寛

 

 

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今日のことば(2)   電車の中で

2024-03-17 06:30:00 | 今日のことば

今日のことば(2)   電車の中で
 電車で、一人の乗客が鼻水を手で拭いては、座席になすり付けていた。
 わたしはいややなと思った。
 周りの人も、いかにも迷惑やなという顔で見ていた。
   でも、同じ言葉を繰り返し呟いていて、話が通じなそうなその人に、どうしようもなかった。
   
だれもなにも言わず、ただ、いやそうな顔をしながら見ていただけだった。
 そのとき、おばあちゃんが、その人にティッシュを渡して、よかったらこれを使ってくださいと言った。
 その人は受け取って洟をかんだ。
 わたしはびっくりして、恥ずかしくなった。
 迷惑だと思うだけで、その人の気持ちを考えてなかった。
 困っていたのはわたしじゃなくて、その人だったのだと初めて気づいた。
                          (中脇初枝著 小説『伝言』から) 
   
   自分の視点から、視点を変えて相手の立場になってみると全く別のものが浮かんでくる。
   発想の転換である。
   自分を主体にしてものを考えることを習慣化してしまうと、
   ものの見方がや考え方が偏ってしまう。
   習慣は惰性になり、いつの間にか他人を傷つけていることに無頓着になってしまう。
   そういう過ちを私たちは、日常生活の中で何度も繰り返し経験しているのかもしれない。

                 
                 小説『伝言』について。
                 満洲・新京で暮らす女学生、ひろみの視点で語られていく。
                 「尽忠報国」。女学生でありながら、お国のために勉強もせずに、
                 精を出し、お国のために辛い労働に従事する。でもどこか変だ。
                 「五族協和」と言いながら、中国の人が築いた土地に「満州国」を無理
                 やり築く。「長春」という素敵な街があるのに、「新京」という名前
                 に勝手に取り換えてしまう。やっぱり何かが変だ。
                 永遠に失われた、もう、どこにもない国、満州国

                 欺瞞だらけの戦争。
                 あの場所で見たこと、聞いたこと、
                 そして、わたしに託されたことを、わたしは忘れない。
                 『伝言』とは、作者が小説に託した中脇初枝氏の思いである。
                                   講談社 2023.8 初版
   

 

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今日のことば 国際女性デー いまだ残る女性器切除の習慣

2024-03-13 06:30:00 | 今日のことば

今日のことば 国際女性デー いまだ残る女性器切除の習慣
  新しいカテゴリーです。新聞、雑誌、本、ドラマなどで
  心に響いたことばをアップし、できればアップした理由などを載せたいと思います。

  国際女性デー 3月8日
    女性の地位向上、女性差別の払拭等を目指す国際的な連帯と統一行動の日。
   1975年に国連が記念日として制定しました。
   そのルーツは、1900年初頭にアメリカ・ニューヨークで起こった、 
   女性の参政権や女性労働者への差別撤廃運動にまでさかのぼるようです。
    女性の権利を主張し、女性差別を払拭する運動は、時代の変遷の中で各国で起きましたが、
   国連が1975年に『国際女性デー』として提唱し、局地的な女性の地位向上運動ではなく、
   国際的な運動として認知されるまでに、70数年の時間がかかったということです。

    さて、それでは我が国の女性の地位は世界で何番なのか。
   これをジェンダーギャップ指数と言います。
   日本は146カ国中125位(2023年)ということになります。
   残念なことに2022調査の116位から順位を9つ落としています。
   指数は、「政治」「経済」「健康」「教育」の4項目で査定されます。
   項目別の日本の指数を見てみましょう。

   【政治】138位 【経済123位 【健康】59位【教育
】47位 総合で125位
   政治社会ゃ経済社会への女性の進出が低いということは、
   日本では男女平等と謳いながら、社会通念が家事や育児がまだまだ女性の役割と根強く残り、
   男性が子育てなどで育児休業を取りずらい労働観なども、
   男性優位の考え方が払拭されずに残っていることの表れと思います。
    
    封建時代から明治時代へと新しい国家が誕生したが、
   維新を牽引した社会は従来の男社会の中で育ってきた男達だった。
   それでも、近代社会の中でほんの一握りの女性たちではあるが、
   女性の社会的地位向上に活躍した女性がいたことを忘れてはならない。
   樋口一葉、平塚らいてう、与謝野晶子、津田梅子たちである。
   
G7(主要7カ国)の順位を見てみましょう。
  ドイツ(6位)
  英国(15位)
  カナダ(30位)
  フランス(40位)
  米国(43位)
  イタリア(79位)
  日本(125位)は最下位。

 ここまで調べてくると上位の国が気になります。
   1位 アイスランド 
   2位 ノルウェー 
   3位 フィンランド 
   4位 ニュージーランド 
   5位 スウェーデン  

  ニュージーランドを除く上位国は、北欧の国々です。
 北欧は寒いけれども自然環境の豊かな国々が多い。
 4位のニュージーランドは日本の年間平均気温よりは低いが、自然が豊かである。
 女性の位置が高いのはどうも、自然環境と関係がありそうです。
 ただし、ニュージーランドは犯罪率が高く安心して住める国かどうかという点では疑問が残ります。
 日本の犯罪発生率と比べてみましょう。
  強盗……38倍 侵入窃盗……20倍 性犯罪……21倍 (日本大使館発表)
G7の国々が意外と女性の地位が低いのには驚くます。
文明や経済が発展し豊かになっても、
豊かさに比例して女性の地位向上が上昇するというものでもないようです。

 女性器切除 2.3億人が経験(ユニセフが報告)
                   (朝日新聞2024.3/10)
 ユニセフ(国連児童基金)8日、国際女性デー合わせて報告書を発表。
記事の内容は残酷で悲惨である。
2億3千万以上の少女と女性が、女性性器切除を経験している。
しかも、2016年比で約15%増しで、約3千万人の増加だと記事は伝えている。
こうした行為は出血が続き、感染症や不妊に苦しんだり、最悪の場合死亡のケースもある。

 国連総会は2012年に禁止する決議を採択したが、報告書が示す通り、改善の兆しが見えない。
 女性性器切除(Female Genital Mutilation)=(FGM)は、
 アフリカや中東、アジアの一部で現在も行われている習慣(社会的規範)だが、
 古代エジプト時代にはすでに始まっていたようです。
 年齢的には幼児期から15歳までの少女に行われるようです。
 大人の女性になるための通過儀礼とされ、結婚の条件になっている場合もある。
 しかし、FGMには医学的な根拠はなく、女性への肉体的、精神的な損害が大きく、
 利益はないと言われている。
  地域別FGMの例は次の通りです。
   アフリカ 1億4400万以上
   アジア  8千万人以上
    15~49歳の全女性を国別にみた場合、ソマリアが99%と最も高く、
                     ギニア95%
                     ジブチ90%となっている。

   「女性は結婚するまで処女を保ち、結婚して家庭に入るもの」

         という観念が根付いているようです。
  男性の妻となる資格を得るためにはFGMを受けなければいけないという、
  女性を男性の従属物として考えるような男性優位の思想も見え隠れしているのです。
  また、次のような考えもあるようです。
  FGMを行うことで、女性の性的衝動を抑制し、
  女性のセクシュアリティを管理するという目的もあります。
  女性が性行為に快楽を感じることを悪とし、
  FGMをすることで女性が結婚するまで純潔や処女を保てるという考えのもとに行われてようです。

法律で禁止されている……
 現在、アフリカのFGMが行われている28か国中22か国では、法律により禁止されています。
 しかし、法律を作るだけでは、
 長い歴史の中で人々の間に根づいた意識を変えることができていないのが現状です。
 さらに、女性が結婚を通して男性に経済的に依存することで生計を立てていくことが常識となっている地域では、
 FGMは女性が生きていくための手段にもなります。
 FGMを受けなければ女性は経済的にも生活できないのです。

 長い間の人間の生活習慣の中から生まれてきた社会的通年は、
法律で規制しても、なかなか改善できません。
「生きる」というのはどのようなことなのか。権利の平等などという意識が育たない社会で、
権利の平等や精神の自由を謳っても、人の心は簡単に変わらい。
FGMは減少しているが、ソマリアやギニア、ジブチのようにこの国で暮らす90%以上の
女性が
FGMを受け入れざるを得ない現実をみると、
根絶するためには、更に長い時間を要します。

(今日のことば№1)       (2024.03.12記)

 



    

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能登半島地震 (10) 疲弊する支援員

2024-03-10 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (10) 疲弊する支援員
   
もう辞めたい…自治体職員も被災者 悲鳴あげる心身 

能登半島地震の発生からまもなく1カ月半。住民の支援や復旧の業務にあたる被災自治体の職員から「このままでは倒れてしまう」と悲鳴が上がっている。職員の多くは自らも被災しており、心身の負担を減らすための対策が急がれる。

住宅約5000棟(2/9日現在)の損壊が判明した石川県能登町。
カップ麺や飲料水、消毒液など支援物資がうずたかく積まれている。
各避難所にこれらの支援物質を、各都道府県から派遣された応援職員に指示し仕分けをしていく。
支援物資を行政区域の避難所へ仕分けする作業に、避難所運営の仕事も交代で回ってくる。
「2月に入って週1日だけ休めるようになりました。
 自宅に帰っても片付ける気が起きず、地震発生当時のまま散らかっています」

「避難所から出勤したり、役場に寝泊まりしたりする職員もいる。自分はまだ良い方」
                                 (能登町支援員)
子どもを祖父母宅に預け、食器が倒れたままの自宅から職場に通う職員もいる。

震災直後は気持ちも高ぶっていたが、最近では先行きが見えないことに落ち込むこともある。
「生活環境や子どもの教育を考えると、家族で転居した方がいいのかもしれない」。
退職という選択肢が頭をよぎっている。(女性職員40歳)
 
被災地職員 過労死ライン
       輪島市 残業月100時間超え8割
                     (朝日新聞2024.03.03)
能登半島地震から2カ月が経ち、元旦から災害対応を続ける自治体職員の過酷な長時間労働の実態が明らかになってきた。1月の時間外勤務(残業)が「過労死ライン」とされる100時間を超えた職員が、約8割に達した市町もある。(リード記事)

輪島市の場合 
      管理職を除く事務職の正規職員全部で218人のうち
    1月の時間外勤務が100時間を超えた職員が167人(約77%)、
    時間外の平均……約148時間

    この数字は過労死ラインの100時間をはるかに上回っている。
    災害対応の中軸を担うのは防災対策課だが、
    震災前の昨年1月の
時間外勤務が超えた職員はゼロだった。
    発災直後、多くの職員は多くの職員が家に帰れず、庁舎の床に寝袋を敷いて寝たり、
      机に突っ伏して仮眠をとる職員も少なくなかった。
穴水町の場合
    集計中だが、1月の時間外労働が過労死ライン100時間を超えた職員……8~9割
七尾市の場合
    職員471人中128人が
過労死ライン100時間を超えた職員(約27%)
珠洲市の場合
  
 1月中旬まで全員がほぼ休めていない。
    時間外労務が増えた理由の一つに「支援物資の受け入れ」を挙げている。
道路事情が悪く物資の到着が深夜や未明にずれ込むことが頻発した。
   また、安否確認の電話への応答、避難所運営など、
   24時間対応を迫られる業務が多かった。

   被災後2ケ月を経て、避難者が2次避難場所に移動したり、
   自主避難に切り替えた人、仮設住宅に移動した人などで、
   各市町とも避難者が当初の混乱期から比べると少なくなってきている。
   また、応援職員などの作業効率なども向上し、
   2月の時間外勤務は1月より減少している、と記事は伝える。

珠洲市職員Kさんの場合
   対応に忙殺 12日間連続勤務
「母が無事か確認してくれ」
「親族と連絡が取れない」
震災当所、安否確認の電話が鳴りやまず、電話口で怒鳴られたこともしばしば。
   倒壊を免れた彼の家は、市役所まで車で15分の道のりにあったが、
   通勤路は亀裂が激しく危険な状態だったので、市役所に近い避難所に移った。
   仕事が終われば、避難者と支給された食事を一緒に食べ、
  段ボールのベッドで横になる。
  そんな生活が1カ月ほど続いた。
  3月3日に2カ月ぶりに自宅に戻ったKさんは次のように当時の心境を振り返る。
「この2カ月、本当に大変だった。でも、少しは珠洲の力になれたかなと思っている」

 災害の規模や混乱ぶりを報道するのは、ジャーナリストの第一の目的だが、
 震災から2カ月以上を経た現地で、市町の職員や避難者どのような行動をし、
 考えたかを掘り起こすのも非常に大切な職務だと思う。
 今私が参考にしている記事は、朝日新聞3月3日付の記者により著名入りで報道された
 ルポルタージュ記事である。

過労死ラインの時間外労働100時間を超える先に見えて来るもの
 「燃え尽き症候群」
 人の体力や精神力には個人差があり、過労死ラインの100時間は一つの目安である。
人によっては無理な勤務が続けば、危険ラインを超える前に、体力の限界を感じ、
精神のバランスを欠くことは十分に予測される。
ある日、仕事に対する意欲が急になくなるような症状が現れた場合は、「燃え咲症候群」の可能性もある。
対応が遅れてしまうと、「うつ病」や「アルコール依存症」などを併発し、
快癒するのに時間がかかってしまう。

「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」
被災自治体の職員の心のケアをする専門チームが被災地に派遣されている。
また、産業医科大の支援チームは、スマホなどで疲労度を自己評価する健康管理システムを使い、
リスクの高い人への聞き取りなどの取り組みもしている。
業務でのミスが増えたり、怒りやイライラが仕事中になったりすれば、
肉体的疲労と精神的疲労の蓄積を疑い、適切な医療の措置が必要になる。
      (ことばのちから№10)                     (2024.03.09記)

 

 

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