サッカー業界のことを知らない私は、

この記事(下記)をよんで少し・・・・・悲しくなってしまった。

 

 

プロのスポーツ選手は必ず訪れますものね。

 

違った意味では・・・・これはスポーツ業界だけの話ではないような???

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

らいふす^~~^と^^~り研究所

こころ相談

こでぃひろゆきです。

 

 

身近なひとならば・・・・会話が成立すると思うけれども・・・

これがなかなか思うようにはいかないってことがありますよね。

 

例えば家族・・・

家庭の問題???ここでは家庭の課題としましょうね。

 

気持ちとは真逆に・・・・

例えば

お母さんに「○○について話したい」と思っていたとしても

過去の記憶がよぎって

「相談したら・・・・・」

 

こんな風に・・・

 

お父さんに

「まるまるについて」相談しようかと思ったけれど・・・・

昔の記憶がよぎって・・・・・

「無理だよね~やっぱ」

 

とか?

 

社内で

あることについて上司や同僚に相談したい・・・・・

けれども・・・・・・

「どうせ、受け入れないだろう・・・聞いてくれないだろう」

 

とやめてしまう。

 

 

 

いろんな意味で・・・・・

同じ時間を共有していくと・・・・・

そこにはいろんな感情が重なって交わっていたりする。

 

家族の場合・・・

夫婦は夫婦になってから・・・・

子供は生まれた瞬間から・・・ともに時間を過ごしてきている・・

その中でいろんな感情が育ちいろんな感情が交差しては・・・・

いろんな感情を与えあっていたりする。

 

ここでは細かく書かないとしても

いろんな感情がそこにはあって・・・・

それが対話・会話をするときに

いろんな場面で顔を出しては

 

会話を趣旨や会話や対話で話したいことがらについて

はなせなくなってしまったりする。

 

そして

これまでの力関係などが影響を与えて・・・・・

会話は・・・・どちらかパワーが強いものがその会話の主導権を握って会話を進めてしまったりする。

 

そして会話に参加しながらも自分の意見をのべられないものは・・・無言で聞いていることが、黙認していると勝手に理解されて・・・・解釈され・・・・会話が進んで行ったり・・・

もしくは、無言に関して確認と称して・・・・確認する側の考え方を受け入れて尊重するように知らずにさとすようにしていたり・・・・

 

 

このように会話がなかなか進まなかったり

会話が成立しないような状況化には・・・・・

 

 

 

他者を参加さえるといいことがある。

 

この他社が会話の参加者すべてを平等にあつかい

会話の進行役的な役割を担う・・・・いい。

 

 

 

バラエティー番組など・・・・

例えばさんま御殿などを見ているとよくわかる。

 

 

 

 

ただし、

この進行役がだれでもいいというわけではない。

 

 

家庭や会社というのは・・・

いろんな感情が染みついていたりするので・・・・

 

例えば・・家庭、会社の文化・・・・からの影響だったり・・・・

会社であれば・・役職や上司、古参のひとたちやら・・・

家庭であれば、親だったり、祖父母だったり・・・・

 

 

こころの悩みや問題が家庭で起こった時って・・・・

皆が通常の感じで冷静に話し合えるかといえば・・・・

 

どこかで外への

ご近所の気遣い・・・・だったり

学校への・・・・知られたくないなどなど・・・・

いろんなことがそこに含まれているために

話したくとも話せないでいるって状況が続く

 

もしくは

こんな解釈はいけないことではあるけれども・・・・

人によっても問題に巻き込まれたくないという価値観を持っている人たちもいる。

 

そして都合のいいように意味を与えて・・・・・

自己責任ということで済ませてしまったりする。

 

 

いろんな原因があると思うけれども・・・・・

それらのいろんな感情やら・・・世間体やら・・・・

家庭の中でのそれぞれの役割によるプライドや個人のプライドやら・・・・いろんなことがそこに重なっているので・・・・・

それらを慎重に尊重しながら・・・・

会話を開いていかなければ‥‥会話という会話が話されることが少ない。

 

 

 

 

会社の上司が飲みニケーションというけれども・・・・

その席では‥‥多くの規則的なことがあったりして・・・・

その会社や上司によってはその場を借りて

部下などの状況を観察していたりする。

そんな感じの飲みニケーションであれば・・・・

若い人たちや部下たちはあまり行きたがらなくなっていく・・・

 

飲みニケーションというならば・・・

同じ場でともに働くものとして

楽しく飲むために・・・・これまでの頑張りを

皆で分かち合って…疲れを癒そうというような感じであったとしたら・・・・もしかしたら・??少しだったら参加してもいいかな?という若者たちや中年の人たちもいるかもしれない。・・・・

 

当たり前のように・・・・

その場が会話をしても大丈夫な・・・・空間でなければ・・・・

誰も話を語ることはない。

 

もし語ったとき・・・それがあとまで根強く響いていくとわかっていたら・・・誰も本心を話そうとはしないはず。

 

 

 

会話、会話、 相談、

と簡単にスローガンのように言うけれども・・・・

 

簡単なようでなかなか難しかったりするのが

ここでいう会話だったりする。

 

ただ日常的に障りのない会話ができるから

会話をしていると考えやすいけれども・・・・

それだけでお互いの意思が通じあっているとは限らない。

 

 

そして・・・現在文化が発展していて・・・・

お互いにそこに参加して会話をすることが少なくなってきている

現代は・・・・この会話の持つ可能性について・・・・・

少しだけでも耳を傾けてもいいのかもしれない。

 

 

会話を当たり前のことであるかのように錯覚しないためにも

 

らいふす^~~^と^^~り研究所