昨日

北浅羽桜堤公園

今月16日に行ったときは・・桜が咲いていないで・・・
イベントが開催されていた。
その時に話をしたキッチンカーで営業していた人が
出店されていて・・・・お店にお客さんがいっぱいいて・・・
こころの中で少しだけ「よかった」そんなことを考えていた。
 
 
KOKONOKOKOだけちょこっと
下記の案内で弱い立場の人そんな表現方法をした。
ミシェル・フーコーという人の解釈を借りた考え方で・・・・専門的な考え方になるかもしれないのだけれども・・・・私たちの関係には力関係が影響していると考えてれている。
 
わかりやすく考えられるようにすれば・・・
 
病人と病人を世話する人。
上司と部下
親と子
兄と弟
姉と妹

 

 

 

これらのように一般的な役割や立場を担っていたりするその場からとらえた時‥そこには力関係が発生する。

 

雇用主と雇われている社員。

お店の人と買い物に来たお客さん。

 

この関係はどちらかのパワーが強いとその関係は逆転する。

 

例えば病人が弱い状況であると限らず、

世話する家族よりも強い場合がある。

その場合は・・・・

病人の力が強く病人を世話する家族が弱い立場のひととなる。

一般的には病人は弱い立場である場合が多い。

病人を世話する家族の方が立場的な位置や状況によって

病人は弱い立場に強いられていたりする場合がある。

 

 

いま一般的に言われているのが

協働とか?共同するという意味で・・・

誰もが同じ平等な関係として・・・というようなお互いの努力の関係という意味あいのことが使われるが・・・

実際にはそこにも力関係は発生していると考えられる。

 

 

例えば、治療でも

治療の専門家である専門職の医療従事者と患者

 

治療をするチームと考えられていたとしても

ココにも力関係が影響している。

また専門職の中でもその関係が生成している。

 

 

ビジネスの世界でも同じようなことが起こっている。

 

上司と部下だけではなく・・・

正規雇用者と契約社員、派遣社員、アルバイト、パート

これらの関係の間でのパワー、力関係が発生している。

 

正??例外的なこともある。

例えば、その部署や職種によっても

正社員よりもアルバイトのおばちゃんやおじちゃんが

長く職場に勤めていたりするとそれらのおじちゃんやおばちゃんのほうが仕事を熟知していることもあり、

力関係がアルバイトのおじちゃんおばちゃんが強い部分もあったりする。

 

また、最近の北海道の家族の事件のように・・・娘が立場が強く親が奴隷のように扱われるというようなある意味の力関係もある。

 

介護という状況でも。

日本の文化では・・・役職や資格などを持っている人とのパワーが強い。

 

 

 

 

ここの誰かを助けるや援助するや・・・サポート

おもいやる・・・などなどには

 

ちょっとした盲点があるといわれる。

それが・・・そのおもいやりはだれのためにあるのか???

 

例えば、アドバイスとか助言って・・・・

その人のことを想って話すことがほぼほぼだと考えられるのだけれども・・・実は…そうとは言えない。

状況によってはパワー関係によっては・・・・

助言者・アドバイザーの自分はいいことをしている(した)と思えるようなことを含めていたりする場合がある。

ちなみにここにも落とし穴があるのだけれども・・・

それは控える。笑。

 

 

立場の弱い人たちの言葉って・・・

消されやすい・・・

もしくは話す場を与えられなかったりする。

 

 

例えば、家族のある人は自分の愚痴を話し、

あるもうひとり家族が愚痴を話そうとすると・・それは違うと注意される。そしてある家族は自分の愚痴を好きなように言ってはあるもう一人の家族が愚痴を話そうとすると・・・

下げぎられたり・・・そんなことはないといわれる。

 

このようにして・・・同じ愚痴なのに・・・

片方は愚痴を言えて、片方が言えないという力関係が生まれている。

本来ならば・・ある家族が愚痴を言えるのであれば、

あるもう一人の家族も同じように愚痴を言える権利がそこにあるはずなんだけれども・・・・

そこにある関係によって・・・注意されてしまう。

「あなたの考え方がおかしい」「変わっている」

 

このように本来ならば普通に同じように提供されるはずの

人間と人間の間の場は・・・・

その場をどちらが優位にしているかより影響を与えていることがある。

 

ここでかんがえたいのは・・・

病を患う本人が弱い立場の場に居させられて・・・

治療に専念しろというのは・・・その治療によっても

本来本人が与えられている権利や権限・・人格や尊厳までも奪いかねない。

 

このようなことは普通に身近で起こっていたりするのだけれども・・・私たちは生活の文化などで・・・それらを不思議には思わないようになっていたりすることがだたただある。

なので‥少しは・・・考えてみたいですよね。

 

お互いがどのようにしたら・・・

お互いに助かりますねとかよかったねとか??ありがとうってお互いのこころに語れる関係にありつづけられるのかを