昨日愛犬をトリ―ミングに連れていった。
お迎えに行った際、
スタンダードプードルのオス1歳ぐらいのわんこがシャンプーをしていた。こちらを見てくれるので・・・
店員さんには失礼なことをしたのだけれども・・・
プーちゃん鼻先に手を・・・
怒ることもなく・・・受け入れてくれたプーちゃん。
そんな体験をして朝のいつもの散歩で考えていた。
なぜ??
対立するようなことが起こるんだろうか???
私たちって・・・何かを知りたいっていう好奇心がある。
それはいいのだけれども・・・
どこかでその知ったことを軸に物事をとらえてしまうようなことをしてしまう。
このことって多分誰もが当たり前のことなので‥不思議にも思わない。
例えば、血液型性格判断
これってたしか??科学的には証明されていない。
けれども多分多くの日本人は信じている。
信じても信じなくともどちらでもいいのだけれども・・・
その知識から人を判断する。
ここで考えたいのは・・その学問が教えてくれていることは正しいとかそういうことではなくって・・・
その学という知識をえたら・・・
それ以外の見方があるのにその見方やとらえかたについて
私たちは安易に手放していることについてだ。
例えば身近なことで
男性と女性
男女均等法なる法律はあるけれども
何処か私には平等というよりも日本的文化なのか・・風習なのか???どちらも対立的な思考が強い様に感じる。
そしてどちらの立場が変わるだけで何の進歩も進展もしていないのが現状じゃないのかなって考えてしまう。
これも
どちらか・・どちらか一方が正しいとか??どちらの立場にいるかで変わったりだけで・・・・
「お互いに」「お互いの良さを持ち合ったら」
そんな視点でみることを手放していたりもする。
夫の役目と妻の役目。
育児メンという言葉も実は同じようなことが起こっている。
たぶん??その家庭家族によって役割とか役目という考え方は異なっていて…その枠組みで考えることは難しいと思う。
逆に何かしらの枠組みにはめたことによってもっと柔軟で大切なことを見落としてしまうことを生み出すと思う。
簡単な何かを手放してしまうようなこと・・で・・・
例えば男性、女性もあると思う。
男ってさぁ~こうだよね。
女ってさぁ~こうだよね。
このような言葉を耳にしたことがある人はいっぱいいる。
この枠組みで多分・??人間を測ることはできないと思うんだけれども・・・この枠組みから見てしまったら・・・
その知識という情報からしか男性や女性を知ることがあるのにそのことは・・・手にすることはできない。
もしかしたら・・・男や女という性別の前に人間ということで見ることも・・・もしかしたら難しくなってしまう。
またその人ぞれそれの性格や生い立ちからくる感情やら・・・いろんなことを考えた時・・・
それらを感じることも向き合うこともできなくなることがただある。
例えば、あなたが変わり者だ。
このことだって少なくとも変わり者=普通じゃないという意味だけはここにあるわけではない。
変わり者とは・・一般的な人と違う解釈や考え方を持っていると考えた時・・それが違う知識がある‥他の見方を持っている。そんな風に考えることもできて・・もしかしたら一般的に見ている考えとは別のもっと良い考え方や別のやり方や別の解釈をすることでもっと楽にとか???
いろんな考え方が生まれるかもしれないことを
私たちは安易に・・・変りものという意味で片づけてしまう。
この変わり者・・・発明者とか???著名な経営者とか??って多くの人たちが変わり者って言われている人たちは多い。人とは違う視点で考えてみていたりするから。
このような意味を与えると・・・
最初の変わり者の意味は異なっていく。
けれどもこのような解釈や考え方さえも・・・
最初の変わり者=おかしい人、普通じゃない人と意味を与えてしまっただけで・・・わたしたちは考えることを放棄してしまう。
実は同じような言葉に私たちが普通に使っている
問題という言葉にも同じようなことが言える。
間違っている。おかしい
これらにも同じようなことをいえる。
さて最近精神疾患などのような診断名について話題になっていることを知っていると思う。
実は診断名が与えてしまっているよろしくないこと。
簡単にいったら診断された人たちはその意味を貼られて
逃れられなくなっていて・・それ以外に見てもらえなくなっていることにより影響を及ぼしていることがあるということ。
例えば認知症の母は母として観るよりも認知症の母として見ていて、母や人間としてむきあっていることが少ないですよね。
さて考え方はこのあたりにして・・・
考えてもらいたいことは
KOKONOKOKOだけ
いま考えている考え方以外の考え方があることについて
いまあなたがこうおもったということ一つだけを信じるのではなくって・・・別の考え方もあるのではないかと・・・
考えてみようということ。
実は簡単に言ったらセラピーはこのようなことをしていたりする。
私たちってどこか一つのことを考えて思ってしまうと
その意味や考え方から抜け出すことは難しかったりする。
例えば「できない」「うざ」「だる」
この時って多くがどちらかという選択をしている。
このどちらかの選択だけが選択ではないのだけれども・・・
どちらかという選択を強要されてする。
結局は一つを選ぶのだけれども・・・
いま浮かんだ感情や考えから選ばないといけないわけではないのだけれども・・・・。
ここでは・・・
ひとつの考え・・・その考え方が生まれた時・・・・
それ以外の考え方がないのかという他の選択に含まれるだろう考え方はないのかと考える空間を与えてみようという提案。
最後に・・・
あなたは男性って・・というとき悪口的なことを話す。
あなたは女性って・・というとき悪口的なことを話す。
こんな時人間としての性別的な良さについて話したことはあるのだろうか???そして性別から離れた・・・人・人間としてはどうなのだろうか???
ここで言いたいのは・・・
安易に簡単に結論(まとめる)を急がなくてもいい。
それよりもあなたが少しでもこの考え方は・・とか??
この考えって私には好きだなとか???
そんな考えと向き合ってほしい。
二者選択を迫られたとき・・・
本当にどちからしか答えはないのだろうか??