武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

〈小説〉 『ある同窓会』

2024年03月15日 04時01分33秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど
〈故・鳥飼浩二君の思い出に・・・ これは小説だからフィクションである〉
 
村上行雄が仕事から帰宅すると、妻の日向子(ひなこ)が1通の封書を渡して言った。
「これが来ていたわよ」
彼がそれを受けて裏を見ると、差出人は徳田誠一郎になっていた。なつかしいな~、彼は元気にやっているんだなと思った。封書を開けると、大学時代の同窓会の案内である。
「20年ぶりかな、いやそれ以上だよ。大学の同窓会の案内だ」
行雄が独り言のように言うのを日向子は黙って聞いている。案内状には10月某日、東京・六本木のフランス料理店で同窓会を開くと書いてあった。幹事は徳田と、同じくクラスメートだった鳥山慎吉の2人だ。
行雄はもちろん出席しようと思った。同時に、なつかしい2人と事前に会えないものかと考えた。本来なら、クラス委員だった行雄も幹事に加わって当然である。そう思いながら彼は妻と夕食を共にした。
 
明くる日、行雄は出席の返事を同封のハガキに書いて出した。彼はそのころ、Fテレビの報道局に在籍していたが、担当は政経デスク兼農林省(今の農林水産省)の記者である。この日は、自宅から農林省の記者クラブに直行した。
午前中は役人のレクチャーなどがあって忙しかったが、午後になってようやく時間がとれた。そこで行雄は、徳田の連絡先(事務所)に電話をかけたのだ。すると、彼がすぐに電話口に出てきた。
「やあ、久しぶりだね。その後、元気にやっている?」
ひと通り挨拶をしたあと、行雄が同窓会出席の意向を伝えると、徳田は早い返事だと言って喜んだ。
「本当は僕も幹事をしなければならないが・・・鳥山と3人で近く会えないかな」
「うん、いいよ、六本木のここで会おう。鳥山の都合を聞いてから、あとで連絡するよ」
行雄の申し出を徳田が快諾した。2人はなお雑談を交わしたが、電話を切ると行雄はすぐに、クラスメートの中野百合子のことに思いを馳せた。彼女は結婚して名字が『梶原』に変わったというが、はたして同窓会に来るのか? 
もし来なかったら出席してもつまらない。徳田や鳥山の力を借りて、なんとしても中野百合子に会ってみたいものだと行雄は考えるのだった。
 
それから数日して、徳田から行雄の自宅に電話がかかってきた。
「鳥山が週末なら六本木で会ってもいいと言ってきたけど、君はどうなのかな?」
「うん、土・日の午後ならいつでもいいよ。おまかせする」
徳田の問い合わせに行雄が応じたので、3人は週末の土曜日に会うことになった。
 
そして、その日の夕方 行雄が徳田の事務所を訪れると、鳥山はすでに来ていた。
「やあ、久しぶりだな。村上は相変わらず若々しいね~」
鳥山がお世辞半分に言うので、行雄は苦笑した。
「さあ、もう少ししたら街で食事でもしようよ。僕は一つ仕事を片付けなければならないんだ」
徳田はそう言って、受話器をとりどこかに電話をかけた。やがて彼は相手とフランス語で話し始める。
「徳田はフランス語が上手いな。大したものだ」
鳥山が感心したように言ったが、この3人はW大学のフランス文学科を卒業している。行雄はもうフランス語に疎くなっていたので、徳田の会話に側で聞き惚れていた。しばらくして彼が仕事を終えると、3人は六本木の街中へ出かけたのである。
そして、徳田がとあるレストランへ案内したので、3人はそこでアルコール類を飲みながら食事を始めた。
「もう8人から出席の返事をもらったよ。われわれを入れてだが、幸先がいいな」
「そうか、高村は来るの?」
「うん、来るよ」
徳田と鳥山が話すのを聞いていて、行雄は女性の出席者のことが気になってきた。中野、いや梶原百合子は来るのだろうか・・・ しかし、自分からは聞きにくい。
「女性はどうなの? 山西さんとか」
「うん、今のところ堀込さん1人だな。女性は様子をうかがっているところがあるから、こちらからプッシュしないとね」
「じゃあ、電話をかけて誘おうよ。村上も手伝ってくれるか?」
「ああ、いいよ」
鳥山が行雄に振ってきたので、彼はもちろん同意した。
「そうだ、君は学生のころ、中野さんに夢中になっていたじゃないか。彼女を誘うチャンスだよ。どうだ、やってみないか?」
 
鳥山が嵩(かさ)にかかって言ってきたので、行雄は当惑した。百合子とは学生時代にいろいろなことがあったので、彼は複雑な心境になったのだ。行雄が返事ができなくて黙っていると、徳田が助け舟を出した。
「村上はいいよ、僕が中野さんにプッシュしてみる。その方がうまくいくと思うよ」
「そうだね、徳田は彼女の面倒をあれこれ見たからな。相性もいいし、君にまかせるよ、ハッハッハッハ」
鳥山が笑って答えたが、徳田はかつて百合子の就職活動を助けて、彼女がフランス大使館に勤めるのを口利きしたことがある。また、卒業後も日仏関係の仕事などでなにかと相談に乗っていたのだ。
「彼女はフランス大使館に3年近くいたが、その後、通産省(今の経済産業省)の役人と見合い結婚して子供が2人いるよ。まあ、幸せにやっているようだな」
徳田が百合子の近況に触れて言った。そのことは行雄も伝え聞いていたが、最近の彼女の動静についてはまったく知らない。百合子のことをもっと知りたいと思っていると、鳥山が徳田に向かって言った。
「君はフランスの特産物などを仕入れて売っているんだね」
「うん、ワインの販売などに関わっているが、ほかのこともいろいろやっているよ。例えば、ペタンクというフランスの球技を日本に紹介したりしているんだ」
「へえ~、幅広くやっているんだな」
鳥山が感心したように相づちを打ったが、徳田はフランスへもう30回ほど行ったという。一方、鳥山はG出版社に入ったあと、国語辞典などの編さんに携わっているそうだ。彼はどちらかと言うと学者タイプだが、クラシック音楽に関心があって、オーストリアのウィーンには何度も行っているという。
2人の話を聞いていると、行雄はうらやましいと思う反面、自分は自分なりにテレビというマスコミで働いていることに、プライドを持とうと思った。2人の質問に行雄は多くを語らなかったが、当面は同窓会の成功に努めようと思ったのである。
「それじゃ、ほかの人への呼びかけで連絡を取り合おう。なにか情報が入れば、すぐに知らせるよ」
「うん、お互いに友だちの“輪”を広げようということだな」
徳田と鳥山が納得したように言ったので、行雄も気持ちよくうなずいた。彼は旧友に呼びかけると同時に、徳田が百合子から色好い返事を受けることを心から願ったのである。
 
3人が会った翌日の日曜日、行雄は高村宗男に電話をかけた。
「同窓会に出るんだってね。僕も出るよ、よろしく」
「うん、楽しみにしているよ」
行雄の挨拶に高村もこころよく応じたが、2人は政治関係の記者だから取材で時たま顔を合わせていた。しかし、彼と一緒にA新聞に入ったクラスメートの中井保のことはよく知らない。中井は文化部だから接触がないのだ。行雄は念を押した。
「ところで、中井君にも出席してもらえないかな。君から同窓会の件を言ってもらえば、案内状は行っているから出欠がはっきりすると思うんだが」
「ああ、いいよ。それにしても村上は熱心だな」
そう言って、高村は笑い声を上げた。2人はなおも雑談を交わしていたが、同窓会での再会を楽しみにしているということで電話を切った。このあと行雄は、彼が山西美佐の出欠を気にしているのではと思った。クラスメートの山西はかつて、高村の憧れの女子大生だったからだ。
それから数日して、徳田から行雄に電話が入った。
「中野さんは出席OKだよ、良かったな!」
「そうか、ありがとう」
彼の弾んだ声に、行雄もほっと安堵した。ようやく22年ぶりに彼女に会える。百合子はどういう風に変わっているだろうかと思っていると、徳田が続けた。
「この前くわしく言えなかったが、先生方にも2人出席してもらう。中山さんと柴田さんだ。“2人の分”はわれわれが持つということでいいかな? 出席者がだいぶ増えたからね」
「ああ、もちろんいいよ。中山先生らもなつかしいね」
行雄はすぐに賛同した。こうして同窓会の大枠はだいたい固まったが、行雄にとって最も好ましいのは百合子の出席である。彼は心の中で徳田に感謝した。徳田がやってくれなければ、こんなにスムーズに事が運ばなかっただろう。行雄は気持よく電話を終えたのである。
 
同窓会の出欠の締め切りは9月末だったが、しばらくの間、行雄はそのことを忘れ仕事に追われていた。彼は報道局に上がって政経デスクをやったり、農林省クラブに出向いたりしていたのだ。
そして10月に入って間もなく、行雄はまた徳田に電話をかけた。
「出席者はだいたい決まったでしょ?」
「うん、全部で16人だ。男10人、女6人だよ」
「けっこうな人数だね。盛会だな~、ご苦労さん」
行雄は徳田の労をねぎらった。しかし、彼は次のように言う。
「だけど3~4人からまだ返事がないんだな。山西さんとか・・・」
「そうか、山西さんは鳥山も仲が良かったから、聞いてもらえばいいじゃないか」
「うん、そうしよう」
「中井君はどうなった?」
「出席だよ」
「それは良かった」
こんな話をして、2人は10日の同窓会に思いを馳せながら電話を切った。この会はフランス文学科のB(ベー)クラスのもので、名字が“五十音順”で下位の者の集まりなのだ。だから、青木や久保田、佐藤といったA(アー)クラスの者は含まれていない。
Bクラスの約50人のうち16人が出席というのは、それほど悪くない人数だと行雄は思った。彼はそんな思いを妻の日向子(ひなこ)に語ったが、彼女は無関心でなんの反応も示さない。しかし、中野百合子に会えるという期待感が高まって、行雄は日一日と同窓会を待ち望むようになった。
 
(注⇒ 当時はA・B両クラスを合わせると、一学年でだいたい100人ぐらいの学生がいたが、フランス文学科の学生は自由気ままな者が多く、日頃の講義に出る者は少なかった。また“留年組”もかなりの人数いたようである。) 
 
そして、待ちに待った10月10日(金曜日)がやってきた。この日は『体育の日』と言って、1964年(昭和39年)に東京オリンピックの開会式が行われたのを記念した祝日である。
行雄が六本木のフランス料理店Fにやって来ると、幹事の徳田と鳥山はすでに来店していた。徳田は馴染みの店だけあって、店員たちに何かと話しかけている。
「やあ、ご苦労さん、落ち着いたいい店だね」
行雄が言葉をかけると、2人は笑いながら手を挙げて応えた。
「結局、16人なの?」
「うん、あとは山西さんが来るかどうかだ。もう一度 聞いてみるよ」
鳥山がそう答えたが、やがて元クラスメートらが次々に顔を出した。行雄がなんとなくそわそわしていると、中野百合子が渡辺悦子と連れ立ってやって来た。みんなは挨拶したり雑談をするなど、にぎやかな雰囲気になってくる。
そして、招待した中山、柴田の両教授が姿を見せると、まばらだが拍手が湧いた。最後に高村が少し遅れて来たが、それを待ち兼ねていたかのように、鳥山が山西美佐の自宅に電話をかけた。
「どうして・・・駄目なの? 来るって言ったんじゃないの・・・」
鳥山の声が聞こえる。すると、高村が受話器を取り上げて何やら話している。結局、山西は来ないようだ。
鳥山と高村が残念そうな表情を見せたが、すぐに徳田が声を張り上げた。
「さあ、同窓会を始めますよ~! みんな、好きなところに座って。先生方は真ん中の席です」
旧友たちは思い思いに席についていく。行雄は準幹事役なので端の方に座ろうと思っていた。すると、ほぼ埋まった座席の片隅に百合子が座り、その「右横」の一席が空いているではないか! 
幸運とはこのことである。いや、百合子が意図的にそうしたのか? それは分からないが、行雄は“しめた”とばかりに、そして恐る恐る彼女の横に座った。
「久しぶりですね」
彼が声をかけると、百合子は黙ってうなずいた。
「今は“梶原さん”と言うんですね」
「ええ」
「22年ぶりだな~、あなたに会えたのも」
行雄がそう言っても、百合子は無言だった。彼は卒業式のことを思い出していた。百合子はその時、鮮やかな水色の振袖を着ていた。あの振袖姿は美しかった・・・その情景がいま蘇ってくるのだ。
 
前菜やスープから始まり、フランス料理が次々に出てくる。みんなはワインを飲んだりして会話を楽しんでいた。無口だった百合子も気持がだいぶほぐれたのか、行雄の問いかけに答えるようになった。
「ご主人は通産省のお役人でしょ?」
「ええ、通産省の“キャリア”です。昨夜もY新聞の記者が取材に来ましたよ」
百合子はそう答え、夫がエリート官僚だということをはっきりと言った。彼女は化粧品などに興味がありいろいろ話していたが、無粋な行雄にはほとんど理解できなかった。
同窓会は各人が近況を語るなど盛り上がったが、最後に中山、柴田の両教授が締めの挨拶をすると、百合子と渡辺悦子が用意した花束を2人に贈って閉会した。
両教授はここで退席したが、徳田がみんなに呼びかける。
「この近くに、いい喫茶店があるから行こう。女性方もどうぞ」
そんなに遅くない時間なので、男性たちが誘ったところ4人の女性がついて来た。その中に百合子もいたが、色白で背が高く、大柄な彼女はひときわ目立つ感じがする。
一行は喫茶店に入ると思い思いの席に座り雑談に興じた。行雄ははじめ百合子と離れていたが、彼女の前の席が空くとそちらへ移動した。すると、側で見ていた鳥山が声をかけてきた。
「村上、中野さんと握手しろよ! 彼女とまだ握手したこともないんだろ~」
行雄は照れた。しかし、周りの者もはやし立てるので、彼は右手を差し伸べついに百合子と握手した。柔らかい手である。行雄が彼女と“接触”するのはもちろん初めてだが、特になにも感じなかった。周りの旧友たちが騒ぎ立てただけである。
こうして喫茶店でにぎやかに二次会を開いたあと、みんなは再会を約して別れたのである。
行雄は鳥山と高村に「また会おう」とだけ言って、タクシーで四谷(よつや)へ向かった。このまま家路につくのは勿体ないような気がしたからである。彼は以前よく通ったバーSに立ち寄ると、顔なじみのホステスと楽しく話し込んだ。なにか浮き浮きした気分になるのだ。
その店を出ると、行雄はまたタクシーに乗り込んだ。帰宅するにはちょうど良い時間だ。彼は運転手とどうでもいい話をしながら、すっかり上機嫌になっていた。今日一日がとても充実していたように思う。
所沢の自宅前に着くと、行雄は1万円札を2枚出し「今日はとてもいいことがあったから、お釣りは要らない」と言って、何千円かの釣りを受け取らずそのまま家に入った。
 
大学時代の同窓会が終わり、行雄は日々の仕事に追われるようになった。しかし、百合子のことが忘れられない。彼は同窓会での彼女の印象が風化しないうちに、何かしなければと思い百合子に手紙を書くことにした。
とは言っても、特段に書くこともない。行雄は“ありきたり”かもしれないが、久しぶりに会えたことが嬉しかったとか、幸せな毎日を送ってくださいなどと書いて百合子に手紙を出した。
すると数日して、彼女から簡単なお礼のハガキが届いた。行雄はそれを読んで納得し、あとは高村と鳥山に会う予定を考えたのである。しかし、彼らに連絡をとっても、3人の都合の良い日取りが決まらずじまいになっていた。
そのまま10日ぐらいたっただろうか、今度は徳田から電話が入った。
「中野さんと話したら、君と3人で会ってもいいと言っていたよ。どう? 中野さんと3人で会わないか?」
「えっ、3人で会うの・・・」
「うん、どうだ、いいじゃないか」
徳田は妙に積極的である。行雄は少し戸惑ったがこう返事をした。
「会ってもいいけど、時間があまり長くとれそうもないな」
「分かった分かった、君も忙しいんだな。とりあえず彼女の都合を聞いてみて、また電話するよ」
そう言って、徳田は電話を切った。こんな話が出てくるのは、百合子が自分に会いたがっているのかと行雄は臆測した。あるいは徳田が音頭を取って2人を会わせたいのか・・・とにかく彼からの連絡を待とう。
そう考えていると、11月になって徳田からまた電話が入った。
「今週の6日は空いている?」
「ああ、いいよ。どうにか都合をつけるから」
行雄の返事で、3人は6日に六本木のレストランSで落ち合うことになった。
そして、その日の午後、行雄は原稿のまとめで少し遅くなったが、農林省の記者クラブからレストランSへ向かった。すると徳田と百合子が待ち構えている。
「やあ、すまん、遅くなって」
「よく来たな、さあ、食事にしよう」
徳田が快活に返事をして行雄を案内する。百合子はというと“普段着”のままの様子で彼を迎えた。彼女は打ち解けた感じで、少し笑みを浮かべながら2人の後についてきた。
 
徳田がテーブルの真ん中の席に、行雄と百合子が向かい合って席に座った。
「お見合いみたいね」
百合子が冗談を言うと徳田は笑ったが、行雄は押し黙っていた。3人はスパゲッティなどの軽い食事と、飲み物を取りながら話し始めた。と言っても、もっぱら話しているのは徳田と百合子である。
2人はフランス大使館の思い出や、最近の日仏関係の話に花を咲かせた。行雄は黙って聞いているしかない。すると百合子が、夫や家族と赴任したオーストラリアの思い出話しを始めた。百合子たちは昨年まで、オーストラリアにいたらしい。
「安倍様には参ったわ。みんな大変な神経の使い方なのよ。安倍様、安倍様だったわ」
「安倍様って、安倍晋太郎のこと?」
行雄が思わず聞いた。彼はFテレビの報道局で政治記者を長く担当していたので、安倍晋太郎の家には夜回りなどでよく訪れたことがある。安倍が当時の自民党“福田派”の幹部だったからだ。
「ええ、そうです」
百合子があっさりと答えた。安倍は通産大臣や外務大臣を歴任している。そうか、エリート官僚である彼女の夫は安倍の世話になったかもしれない。それで皮肉まじりに安倍様、安倍様なんて話になるのか・・・
「いや、そんな政治家の話はやめよう。中野家は安倍さん、岸さんとも深い縁があるらしいな、ハッハッハッハ」
徳田が中に割って入ったので、この話は終わった。2人は百合子の趣味である香水や化粧水の話題に移っていった。フランスの香水や化粧水など行雄には興味がない。彼はまた黙って2人の雑談を聞いていた。
こうしてレストランSでの会食は終わったが、2時間近く続いただろうか。行雄にはあまり面白くない会合であった。そこの会計は徳田と行雄が半分ずつ持って3人は別れたが、百合子は満更でもないという様子で立ち去った。
独りになると、行雄は安倍晋太郎の話が気になってきた。どうして彼女はあんな話をしたのだろうか・・・ 別に他意はなさそうだが、政治記者である彼は気になって仕方がないのだ。
 
明くる日、行雄は百合子の親友である渡辺悦子に急に電話をかけたくなった。悦子はAクラスの会沢邦彦と結婚して姓が変わっている。彼女なら百合子の“実家”のこともよく知っているだろう。同窓会をしたばかりだから、聞くのには好都合だ。
そう思って、行雄は午後になって会沢家に電話をかけた。すると、悦子がすぐに出てきた。
「もしもし、あっ、村上です」
「あら、このあいだはご苦労さまでした。同窓会、楽しかったわ」
「ええ、僕も楽しかったですよ。久しぶりにみんなに会えて良かったな」
「そうね、村上君もお元気そうで何よりです。昔とあまり変わっていないじゃないの、ホッホッホッホ」
悦子が笑って2人の雑談が続いた。
 
しばらくして、行雄が話題を変えて言った。
「実は昨日、徳田君と中野さんの3人で会って食事をしたんだ」
「あら、それは良かったわね。で、どうだったの?」
百合子たちの話になって、悦子は急に興味を持ったようだ。
「うん、食事をしただけだけど、気になったことがあるんだ」
「それはどういうこと?」
「教えてほしいけど、中野さんは安倍晋太郎とか、その縁戚である岸家と何か関係があるのだろうか。どうも気になって・・・」
行雄がそう言うと、悦子が黙ってしまった。彼女が気に障(さわ)るようなことを言ったのかと、行雄がやや心配になってきた時に悦子が答えた。
「ええ、中野家は岸家と少し関係があるのよ」
「えっ、それはどういうこと?」
しばらくして悦子が答えた。
「これは内緒にしておいてね。百合子のご両親が結婚した時、その媒酌人が岸信介さんだったのよ。これは彼女から聞いた話だわ」
「えっ! そうなの」
今度は行雄が黙ってしまった。中野家と岸家はそういう関係なのか・・・初めて聞く話だ。すると、悦子の声のトーンが高くなった。
「だから安保闘争の時に、百合子はこのことがあって悩んでいたのよ。あなたたちは安保反対で大声を上げていたでしょ。みんなが『岸を倒せ!』だなんて言ってるから、彼女は気が引けて困っていたのよ」
「そうか・・・でも、それは安保闘争とは直接、関係がないな」
行雄はそう答えたが、振り返って25年以上も前の“60年安保闘争”のことを思い出した。彼はあの頃、全学連の安保反対闘争に賛同し、国会などへの抗議デモに率先して参加していたのだ。
「ありがとう、このことは内緒にしておくよ。もちろん、彼女にも言わない」
行雄は悦子にそう言ってなお雑談を続けていたが、やがて電話を切った。すると、彼にはなつかしい思い出が蘇ってくるのだ。
 あれは1960年(昭和35年)の6月3日だった。行雄たちが国電・品川駅で徹夜の座り込みを始めた時、夜8時頃だったか「村上さん、ご苦労さま」という声が聞こえた。
行雄が振り返ると、そこには百合子と悦子の姿があった。彼女たちは抗議行動に参加するのではなく、学生たちを激励するために来たのだろう。いや、行雄に好意を示すために来たのか。そして、アメやチョコレートを彼に手渡し去っていったのだ。
その思い出が蘇ると、行雄は百合子と悦子にいっそうの親しみを感じるのであった。
 
それから数日して、徳田から農林省の記者クラブに電話がかかってきた。
「どうだった? この前の会食は。中野さんは喜んでいたようだが」
「うん、ありがとう。良かったね」
「君は2人で会うつもりはないの?」
畳みかけるような徳田の質問に、行雄はすぐに返事ができなかった。戸惑っていると、また彼は言う。
「よく考えてから、彼女に気持ちを伝えた方がいいよ。あとは君と中野さんの問題だ。僕は何も言わないよ」
徳田はそう言って電話を切った。彼の短いメッセージに行雄は好意を感じながらも、どうしたら良いのか分からなかった。百合子を慕っているのは事実だが、そうかと言って、いま何か行動を起こすような気持にはなれなかったのだ。
こうして1週間ほどが過ぎ、行雄はまた百合子に手紙を出す気になった。しかし、その内容は忙しさを理由に、彼女とゆっくり会うのはむずかしいという消極的なものだった。事実、彼は農林省クラブと政経デスクの掛け持ちで慌ただしい日々を送っていたのである。
それと正直に言うと、百合子の実家が岸家や安倍家と親しいことが、どうしても気になるのだ。行雄とはかけ離れた別世界の人たちではないか。
彼は夜回りの取材などで、安倍晋太郎の人柄は好きだった。安倍は親切で愛想が良く、記者たちにいつも丁寧に応対してくれた。しかし、それと百合子との関係は別である。
行雄はとうとう交際を“保留”して欲しいという内容の手紙を百合子に出した。態度が煮え切らない中途半端なものだ。百合子がどう思おうとも、それは構わない。彼女がどう反応してくるか、それを見てみようというものだ。
こんな手紙を出せば、相手が不快に思うことは十分に予想される。しかし、彼はそれで良いと割り切ったのだ。
数日して、百合子からハガキが届いた。案の定、彼女は交際の意思がまったくないことを露骨に記している。そして、もうこれ以上、手紙などは寄越さないで欲しいとはっきりと述べていた。これで百合子との交流は終わったのだと、行雄は悟った。
さらに翌日、彼が出した手紙が封筒に入ったまま送られてきた。手元に残るのを嫌がった証しだ。それなら、すぐに焼却すればいいではないかと行雄は思ったが、百合子は絶交の意志を明確に示したかったのだろう。
彼女の“封書”を郵便受けから持ってきたのは妻の日向子だが、なんとなく怪訝(けげん)な顔つきをしていた。
「同窓会の女の子からだ、大したことじゃないよ」
行雄はそう言って、つとめて冷静さを装ったのである。
 
12月に入ると、師走のせいか慌ただしさを感じる。同窓会のことはほとんど忘れて、行雄は仕事に追われていた。同時に彼は、家の“引っ越し”にも前向きに取り組もうとしていた。
いま住んでいる家が幼い次男を入れて5人家族になり、どうしても狭苦しく感じるのだ。彼は休日になると地元の不動産会社を訪ねたりして、同じ所沢で新居になる家を探していた。
そんなある日、徳田からまた電話がかかってきた。
「その後、どうしてる? また一杯やろうか」
彼は今度は百合子の話題を出さなかった。それを避けるようにして雑談を続けたが、行雄は忙しさを理由に年内は無理で、年が明けたらまた会食をしても良いと答えた。
2人の雑談は10分ぐらいで終わったが、双方とも意識していたのか百合子の話題は結局 出ずじまいだった。こうしてその年は終わったのである。
 
その時から11年余りたった4月(1998年)のある日、勤務地の台場が遠いため、池袋で“アパート暮らし”をしていた行雄のところへ久しぶりに高村宗男から電話が入った。
「おい、中野さんが亡くなったぞ! さっき、徳田が知らせてくれたんだ」
行雄は絶句した。あとは徳田からの伝言ということで、高村は百合子の通夜・葬儀の日取りなどを伝えてくれた。
電話を切ると、行雄はただただ呆然としていた。あんなに元気いっぱいだった百合子が、56歳の若さで他界するとは・・・ 彼は人の一生の“はかなさ”を思い知らされた感じだった。
行雄はすぐに徳田と連絡を取ろうとして電話をかけたが、なぜか不通のままである。どうも変だな~と思いながらも、彼は徳田と一緒に百合子の葬儀に参列したかったから、翌日、あらためて電話を入れた。
すると、徳田がようやく電話口に出てきたが、彼はせわしない口調で言う。
「いや~、参った、弟が心筋梗塞で亡くなったんだよ。しかも中野さんと同じ日なんだ。だから、彼女の葬儀には行けない。こちらも弟の葬儀があるんだ。すまんが、中野さんの葬儀には君一人で行ってくれ」
徳田の息せき切った話に行雄は愕然とした。偶然とはいえ、2人は同じ4月13日に亡くなったのである。
行雄は呆然とした気持になったが、とりあえずお悔やみの言葉を述べて電話を切った。あとは百合子の葬儀の日取りと自分の都合だが、16日の通夜なら参列には支障がないと考えた。
そう思っていると、あの少し高慢ちきだが“ヴィーナス”のようだった百合子の面影が行雄の脳裏に浮かんでくるのだった。
 
彼はその頃、報道局を離れて総合開発局の電波企画部というセクションで仕事をしていた。ここは放送事業全般を見ていく部署だが、地方の系列局と絶えず連絡を取り合うことも大切な任務だった。
明日は百合子の通夜があるという前日(15日)、大阪のKANSAIテレビ電波企画部の丹羽部長から電話がかかってきた。
「明日、東京支社へ行く用があって上京しますが、ぜひお会いしたいですね」
親交のある丹羽からの申し出を、行雄はもちろん承諾した。KANSAIテレビは系列局の中でも最も重要なテレビ局である。その“カウンターパート”と会食するのは望むところだ。
しかし、丹羽の都合を聞くと、彼は夕方6時頃から東銀座の東京支社の近くで会いたいという。ちょうど百合子の通夜とかち合う時間ではないか・・・ そこで行雄は、通夜への参列を短めに切り上げることにして、会合の時間を6時半過ぎに延ばしてもらうことで丹羽の了解を得た。
こうして、行雄は16日の夕方、百合子の通夜が行われる杉並区堀ノ内の妙法寺へおもむいた。寺の前には『梶原家』の葬儀が営まれる案内板が立っている。すでにかなりの数の参列者が来ているようだ。
行雄は周りをうかがったが、顔見知りの同窓生らは見当たらなかった。彼は時間がないので、受付けで香典を渡し記帳だけして帰ることにした。
「すみません。人と会う約束があるのでこれで失礼します」
そう言って行雄は斎場から出たが、百合子の霊前で焼香をしないことに少し悔いが残った。しかし、同時に、彼女の遺影や遺族の方々と顔を合わせないことに、なんとなく“安堵感”も覚えたのである。
こうして複雑な思いを胸に秘めながら、彼は丹羽と会うために東銀座へと向かった。

それから10日ほどして、行雄は赤坂の料理店で徳田と高村に会った。
「知り合いから聞いたが、中野さんは卵巣ガンだったそうだ。それにしても若死にだったね」
徳田が自分の弟の死よりも、百合子の話を持ち出した。行雄も通夜のことなどを語ったが、あとは3人でなごやかな宴(うたげ)となった。
「最近、同窓会をやってないな。そろそろやろうよ」
高村が言い出したので、徳田が受ける。
「うん、今度は村上が幹事をしてくれるとありがたいね。どうだ、やらないか」
「ああ、いいよ。以前やった時は君と鳥山にお世話になったからね。今度は僕がやろう」
行雄は幹事役を気持よく引き受けた。百合子が亡くなったことで、彼はなにか“促される”気分になっていたのだ。
「ところで、君はASAHI新聞を辞めて政治の道に進むんだって?」
徳田が今度は高村に聞いた。
「ああ、もう決めたよ。民主党からいろいろ話があったんだ」
「そうか、頑張ってくれ。君もいよいよ政治家になるのか・・・」
高村の話を聞いていると、彼は地元の秋田から次の衆議院選挙に立候補するとのことだ。
「うん、われわれも応援するよ。みんなにカンパをお願いしてもいい。その前に、徳田と僕がいろいろやるさ」
今度は行雄が高村を励ました。3人は話がはずんできて、次の同窓会をどうするかいろいろ意見を出し合った。徳田も高村も熱心ではないか。そうするうちに、以前の同窓会に現われた百合子の面影を行雄は思い出し、心の中でつぶやいた。彼女はいない、もうこの世にいない、彼女はいない、もうこの世にいない・・・ (終り)

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