カトリック清流

キリスト教(カトリック)を軸に、広く宗教・思想・社会等に思いを巡らせます。

今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。(マリアの賛歌)

ビブリア・ヘブライカ

古典ギリシア語の学習は、初級だけでも年単位での時間がかかる、ということが分かってきたわけであるが、しかし人生の時間は有限である。

何れにしても時間がかかるものであるのならば、その間ギリシア語だけ学ぶのも惜しいように思われたため、この度ヘブライ語も同時に学習することにした。

もちろん目的は、旧約聖書を原語で読むためである。

そこでドイツ聖書協会から出ている定評のあるヘブライ語旧約聖書である
『ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア』(略称:BHS)
を購入した。

分厚い辞書のようなヘブライ語聖書をパラパラとめくると、文の意味はわからなくとも、そのヘブライ文字の整然とした並(なら)びを眺めているだけでも、何かしら呪術的な印象が立ち昇ってきて、面白いものである。

とはいえギリシア語の場合と同じく、まずは初歩の初歩、入門からの学習である。
ヘブライ語入門書も購入したので、それを使ってゆっくりと学んでいこうと思う。

さてヘブライ語に入門するにあたって、たいへん啓発的な文が入門書にあったので、それを紹介し、また自己の励みとしたい。

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『ヘブライ語入門』(日本ヘブライ文化協会)P9-10より転載

ユダヤ教の中で最も尊敬されている人物の1人に、紀元1〜2世紀に活躍したラビ・アキバがいます。・・・伝説によると、ラビ・アキバは40歳になるまで無学文盲でした。

・・・ラケルは、アキバとの結婚に踏み切る前に1つの条件を出しました。「もしあなたが学校に通って勉強して下さるのなら、私はあなたの妻になります」。・・・当時の学校は一般教養を教える場所ではなく、神殿の祭儀や祭司職に関する細かい規則を教える宗教学校でした。1日の重労働を終えて机に向かうアキバにとって、レビ記の律法の勉強は苦痛でした。何度もくじけそうになりました。

・・・ある日・・・井戸の横の石に腰を下ろして休んでいました。ふと足もとを見ると、大きく窪んだ石が目にとまりました。一体この窪みはどうしてできたのだろう。よく見ると、それはつるべから落ちる滴(しずく)が長い間かかってえぐった穴でした。「そうだ、水滴のような柔らかいものでも、硬い石に刻みこむことができるんだ。自分の心は石よりも硬いはずはない」。アキバは奮然と立ち上がって、息子を連れて学校の門をくぐりました。

・・・40を過ぎた父親は、幼な子と席を並べて、アレフ、ベート、ギメル…と忘れていた文字の勉強からやり直しました。・・・もはや勉強は苦痛ではなくなりました。それから13年、妻と別居して学問を続けたアキバは、当代一の優秀な学者となり、弟子1万2千人を引き連れて愛する妻ラケルの待つ家に帰ってきたということです。

富める者とは誰か。ラビ・アキバいわく、「富める者とは、善き行為で飾られた妻を持つ夫のことである。」

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コイネー・ギリシア語の世界

聖書を原語で読むべく、古典ギリシャ語の学習を始めてから2ヶ月ほど経つ。
学習を始めてから、なかなかに難解であり、骨が折れるものであることが分かってきた。
全くの独学で、かつ語学が趣味のようなタイプではない身としては、アリのごとく進むしかないという実感である。

そして新約聖書ギリシャ語(コイネー)に入る以前に
まずは古代ギリシャ文学のための古典ギリシャ語学習をしなければならない、と感じている。
1−2年かけて初級卒業できれば、よいほうであろう。
聖書ギリシャ語にたどり着くのはいつのことやら、先は長い。

そんなこともあって、多少遠回りではあるが、古代ギリシャ文学についても読んだりしている。

以下の本には、コイネー・ギリシア語の世界におけるキリスト教に関する興味深い記述もあったので、少し長くなるが、ここで紹介させて頂きたい。

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『古代ギリシア文学史』(高津春繁 著 岩波全書セレクション)より

第五章 アレクサンドレイア時代(前320年頃-40年頃)(P206-209より抜粋)

「ピリッポスの死後マケドニア王位を継承した18歳のアレクサンドロスは・・全ギリシアの総帥としてペルシア帝国にむかった。・・・ペルシアはもろくも潰え、王は遠くインダス河の流れに達したのである。・・・アレクサンドロスは各所に新しいギリシア式都市を建設し、ギリシア人、マケドニア人、東洋人を住まわせ、ギリシア文化の浸透拡大と東西文化の融合を図った・・・王の死後・・・半世紀に及ぶ群雄の時代が過ぎて、帝国はマケドニアのアンティゴノス、エジプトのプトレマイオス、小亜のセレウコスの三王朝に分裂して、権力の均衡を見出すを得た。この広い地域を舞台とする新しい世界の指導者となったのがギリシア文化であり、之をヘレニズムの時代と称する。」

「新しく王となったマケドニアの将軍達の下に帝国は分裂したけれども、アレクサンドロスの開いた広大な地域間の交通は確保されていた。人はその中を自由に動き得たのみならず、言葉まで同じであった。既に前四世紀より一種の標準語として広く通用していたアッティカとイオーニアの方言の混合によって、帝国全体に共通なギリシア語が生まれた。之を「コイネー」と称する。これは何処にも故郷をもたない、しかもヘレニズム世界全体を故郷とする、ギリシア人にも外国人にも用いられる共通語であった。」

「新しいヘレニズム地域の中に、プトレマイオス朝の主都アレクサンドレイア、セレウコス朝のアンティオケイアとセレウケイア、アッタロス朝のペルガモン等が商業政治の中心として驚くべき急速な発展を遂げた。・・・しかしこれらの中最も目覚ましかったのはアレクサンドレイアである。・・・プトレマイオス朝の初代の王達は、王朝創始の例にならって、ここを第二のアテーナイとすべく努力した。各地より学者文人を招き、学園(ムーセイオン)と図書館を創設し・・・かくしてこの地は古代末期に至るまで拡大せるギリシア文化の一大中心たる位置を保ち得たのである。」

「アレクサンドロスの帝国とその後継者の国とは、人の素性よりは能力を問題とした。ギリシア的教養と能力とが求められたのである。ギリシア人のみならず外国人も亦この文化の裡に育ってギリシア化され、この文化に寄与し、多くのギリシア人ならぬギリシア文学者や学者が出た。既にストア学派の祖ゼーノーンはキュプロス島出身のセム人であった。ヘレニズムの力はその人間性に基礎を置いた普遍性、抱擁力にある。キリスト教が多くの新興宗教の中で最後の勝利を得たのも亦ヘレニズム文化を最も多量にかつ巧みに取り入れたからに他ならない。」

第六章 ローマ時代(前30-後529年)(P238-268より抜粋)

「紀元前31年のアクティウムの海戦によってアントーニウスを破ったオクタウィアーヌスは100年に亙る内乱の最後の勝利者となり、地中海世界に一つの帝国の下に統一された200年の平和を齎(もたら)した。」

「この間にギリシア本土は・・・益々疲弊して行った。アテーナイは大学都市として、コリントスは商業の中心としてなお繁栄していたけれども・・・ギリシア文化の中心は今やエジプト、小亜、及びイタリアに移ったのである。」

「ギリシア語は東はバクトリアより西はガリア、南はアフリカより北は黒海の北岸に及ぶ広大な地域に通用した。しかしヘレニズムの心臓部たる小亜やエジプトのギリシア文化は、この地に浸透すると同時にこれらの地方の影響を深く蒙(こうむ)った。古い文化の地である近東は今や逆にギリシア文化を変貌せしめつつあり、殊に之は自己の神を創り出すことに失敗したこの文化に宗教の面で深く影響した。」

「次々にこれらの地方の宗教がヘレニズムの中に入っては、西方に移行し、ローマに赴いた。その中で最後の勝利を得たのがキリスト教であって、その勝利の原因はキリスト教がヘレニズム文化を最も巧みに多く取り入れることに成功したことにあり、キリスト教の発達も亦ヘレニズムの一要素として見て初めて真に理解し得るのである。かくして皇帝はやがて東洋的な専制君主となり、キリスト教はその国教となったのである。」

「書翰(しょかん)は・・・プラトーンやイソクラテースの如き人の真作や多くの偽作を混えて、多くの有名人のものが伝えられていたが、之は又実用的の面からも大切であるために、学校で教えられ、弁辞学の一つの技術として、架空の場合の想定による作文より、文学の一形式となった。文人、哲学者、王侯が書翰形式による発表を行い、新約聖書中の多くの書翰も亦この一種である。」

「アープーレイウスのラテン語の「黄金の驢馬」によって、世界の文学の財産となった変身物語も亦、ルーキアノースの名の下に伝えられている「ルーキオス、又は驢馬」の示すが如くに、それ以前からあった物語に題材を得たもので、この種の魔法物語は亦物語の別の位置部門を成している。「黄金の驢馬」の最後に於いて認められる如き、宗教的な驚異の話は、元来エジプトその他の東洋の地に発して、ヘレニズムの全体に拡がったのであって、これをアレタロギアと称する。このような神々の縁起や霊験談はやがて、彼自身がその対象となったテュアーナのアポローニオスその他の伝記の形を取るに至った。新約聖書中の福音書や使徒行伝、多くの殉教者物語も亦この種の文学の一つであって、この時代に作られたのである。」

「これは又キリスト教内での異端たるグノーシス派台頭時代でもある。ストアとプラトーン学派の結合より生じた神秘主義的世界精神と東洋の鬼神学との不思議な混合より生じたこの教派は、既に述べたピローンの哲学や、「ヘルメース教」に最も近いものであって、キリスト教の最もヘレニズム化した現われであった。同じ教えの裡にいればこそ、この教派は公教会の最も恐るべき競争者であり、ここに激しい闘争が起こったのである。キリスト教は同時に、今や自己の神学樹立の必要に迫られた。社会の低い階級の間に流布した後に、更に高い階級に入り込むためにも之は不可欠事である。かくしてキリスト教義のヘレニズムによる哲学化が始まったのであって、これはアテーナイに生れ、アレクサンドレイアで教えたクレーメース(普通ラテン名でClemens)及びその偉大な弟子オリゲネースの二人によって成された。しかし之は当然のこと新プラトーン学派的色彩を帯びるに至ったのであって、オリゲネースは遂に異端の罪に問われたのである。」

「ヘレニズムは東洋をギリシア化したと共に、自分自身も又東洋化せられた。・・・全く異なる個性をもったユダヤ教から興ったキリスト教は、ヘレニズム化するその適応性によって、ミトラ教、イーシス教等の東洋の競争者、新ピュータゴラース学派、新プラトーン学派等の西洋の競争者に打ちかって、遂に後325年のニーカイアの会議に於て最後の勝利を得たのであるが、これは自分自身がヘレニズムの中に溶け込むことであった。」

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以上、少々長めの転載であったが、キリスト教について、新約聖書について、キリスト教徒の視点ではなく、ヘレニズムの立場からの視点は個人的にはとても新鮮であった。



ネストレ=アーラント版

最近のニュースを見ていると
世界の政治経済には重い暗雲が立ち込めているように見える。

とりわけ日本では物価は上がり続けるが給料は上がらない、
いわゆるスタグフレーションを実感する日々であり、
為替もどこまで円安が進むか分からない状況である。

社会は出口の見えない閉塞感に覆われ、
メンタルを病む人々が多いのも頷ける。
そしてそれは決して他人事ではない。

聖書的な表現を借りるならば、
今は悪霊が跋扈し、猛威をふるい、
あるいは誘惑し、あるいは脅しを持って
人々の心に取り憑き、混乱をもたらしているようにも見える。

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さて、何事に取り組む場合もそうであろうが、
初心に返ることで見えてくるものがあると思う。

一キリスト者として、折々に聖書を読んできたが、
聖書との向き合い方も、今一度見直してみたいと思った。

できるだけ真っ白な状態からのスタートが望ましい。

そこで思い浮かんだのが、聖書を原語で読む、つまり
ギリシャ語新約聖書を読むことであった。

教会が歴史の中で培ってきた聖書神学・聖書解釈は
もちろん尊重すべきことではあるが、
自分で一次文献にあたって、そこから汲み取ったものは
格別に得難い財産になると思われたのである。

ということで、先日早速、定評のあるテキストである
「ネストレ=アーラント版ギリシャ語新約聖書(第28版)」を購入した。

またギリシャ語も知識ゼロのため、入門書を購入した。
α(アルファ) β(ベータ) γ(ガンマ)…からの学びである。

そしてここに、目標であるネストレ=アーラント版から、
最初と最後の本文を転載しておく。

(マタイ1:1)
Βίβλος γενέσεως Ἰησοῦ Χριστοῦ υἱοῦ Δαυὶδ υἱοῦ Ἀβραάμ.

(黙示録22:21)
Ἡ χάρις τοῦ κυρίου Ἰησοῦ μετὰ πάντων.


目標は最初の文から最後の文まで新約全体を
読めるようになることであるが、
それができるまでに一体何年かかるか、
あるいはそもそも続けられるのか、という思いもあるが、
そこは初心らしく、あまり考えずに
とりあえず第一歩を踏み出そうと思う。


恵みの更新

主のご復活おめでとうございます。

2022年も無事、復活徹夜祭に与ることができました。

教会には新受洗者の方もおられ
洗礼の瞬間に立ち会えたことは大きな喜びでした。

洗礼の恵みが
その方の生涯を守り、育み、導かれることを願ってやみません。

また受洗者には、洗礼の約束の更新が行われました。

私自身がカトリックの洗礼を受けたのは
2015年4月4日の復活徹夜祭においてでした。

このブログもその時の洗礼の恵みを記念して始めたものでした。

あれから7年が経ちます。

私生活では色々なことがありましたが
その合間、合間に、
その時の気分にまかせて、まったくの思いつきの、
日本語文としての体裁も無視したような言葉を
このブログに書き留めてきました。

匿名の気楽さに甘えている部分も多々あり、
当ブログを訪れて下さった皆様には
まったく申し訳ないという気持ちです。

そしてSNSが発達・普及したこの時代にあって
当ブログは対話の場としては全くの欠陥品です。

それは一つには
私自身の能力不足でもありますし、
また一つには
語られる事柄そのものの性質として
オンライン文章だけでは誤解を生じやすいため
意識的に避けている、ということもあります。
その点はご容赦頂ければ幸いです。

さて、洗礼の約束の更新の話に戻ります。

今、受洗7年目の自分がここにいます。

受洗しても3年以内で
教会に来なくなる人が多いとも聞きます。

7年というのは長くもなく短くもない期間でしょうか。

もし当ブログに何か意味があるとすれば
「人は洗礼を受けるとどうなるのか」の一つの
事例を提示することにあるのかもしれません。

それを読み手がどう受け取るかは分かりませんが
書き手としては次のように言いたいと思います。

洗礼により恵みの時は始まり、
その恵みの流れは今も変わらず流れ続けている、と。

洗礼とは文字通り水による注ぎ、洗いであり、
洗礼者ヨハネがヨルダン川で行っていた洗礼がその元型ですが
それが「洗い」として成り立つためには、
元の川の水が清らかでなければなりません。

私の信仰生活は
その清らかな流れに身を委ねることから始まり、
そして今も安心して、ゆったりと身を委ねています。

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プロフィール

ヤコブの夜桜

2015年カトリック教会にて洗礼を受けキリスト教徒になりました。新鮮な気持ちで、見たこと考えたことなどをブログに書いています。

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