(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することが絶対にできない理由がある

みなさんは当たり前のように知っているが、科学は全然知らない「存在は客観的ではない」という事実(7/10)【医学がしばしばしばみなさんに理不尽な損害を与えてきた理由part.4】

*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.50


◆「存在の客観化」とは存在のすり替え作業

 補足で音について触れたばっかりに、ちょっと話がややこしくなってしまったかもしれません。ともあれ、存在というのは、それが音であれ、みなさんの身体であれ、電柱であれ、味であれ、何であれ、一瞬一瞬答えるものであるということでした、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに。


 さあ、話を電柱に戻し、科学が事のはじめに為す「存在の客観化」という存在改悪作業をいまから本格的に見ていきます。


 電柱は一瞬一瞬答えるものです、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに。だけど、科学はこう考えます。


 電柱は、そんな問いになんか答えることのないものだ。つまり、「ただただ無応答で(そこに)在るもの」だ、って。客観的なものだ、って。


 したがって、「存在の客観化」という、現在確認中の存在改悪作業は、電柱を例にとるなら、こう表現できることになります。


 電柱を、一瞬一瞬答えるものから、答えることのないものにすり替える作業だ、って。「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、って。そうして電柱を「ただただ無応答で(そこに)在るもの」であることにする作業だ、って。


 でも、このように電柱を「ただただ無応答でそこに在るもの」であることにしてしまうと、電柱は具体的にはどういったものであることになるのでしょうね?


 いまから確認していきます。






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*前回の短編(短編NO.49)はこちら。


*これのpart.1はこちら(今回はpart.4)。


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