*短編集「統合失調症と精神医学と差別」の短編NO.50
◆「存在の客観化」とは存在のすり替え作業
補足で音について触れたばっかりに、ちょっと話がややこしくなってしまったかもしれません。ともあれ、存在というのは、それが音であれ、みなさんの身体であれ、電柱であれ、味であれ、何であれ、一瞬一瞬答えるものであるということでした、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに。
さあ、話を電柱に戻し、科学が事のはじめに為す「存在の客観化」という存在改悪作業をいまから本格的に見ていきます。
電柱は一瞬一瞬答えるものです、「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに。だけど、科学はこう考えます。
電柱は、そんな問いになんか答えることのないものだ。つまり、「ただただ無応答で(そこに)在るもの」だ、って。客観的なものだ、って。
したがって、「存在の客観化」という、現在確認中の存在改悪作業は、電柱を例にとるなら、こう表現できることになります。
電柱を、一瞬一瞬答えるものから、答えることのないものにすり替える作業だ、って。「他のものたちと共に在るにあたってどのようにあるか」という問いに、って。そうして電柱を「ただただ無応答で(そこに)在るもの」であることにする作業だ、って。
でも、このように電柱を「ただただ無応答でそこに在るもの」であることにしてしまうと、電柱は具体的にはどういったものであることになるのでしょうね?
いまから確認していきます。
*今回の最初の記事(1/10)はこちら。
*前回の短編(短編NO.49)はこちら。
*これのpart.1はこちら(今回はpart.4)。
*このシリーズ(全61短編を予定)の記事一覧はこちら。