□■信長のファッションショー ~鷹狩り装束編~■□
1577年(天正5年)11月18日 信長 44歳
今日紹介するのは、ブログ記事「飛び去った鷹の発見者に御礼する信長」の直前の部分である。
信長は、様々な場面でキレイな衣装を着てファッションショーのようなパフォーマンスをするのが好きなようだ。
以下のブログ記事参照のこと。
「天女コスプレに女踊り、領民に茶を勧める信長★ 」
「信長、○禁衣装で行列!!(笑) 」
「信長とルイス・フロイスのファッションショー ~in岐阜城~」
さて、この時、信長は鷹狩り衣装を着用し、鷹を腕に据え、同じくきらびやかに着飾った小姓衆・弓衆・年寄衆・馬廻衆やお供の衆と共に天皇に披露した。
お供の衆はみな、面白い頭巾を被っていたという。
一体どんなものだったのか、気になる所である。
弓衆は信長から貰った虎革の靫(うつぼ・弓を収納する筒)を背負い、年寄衆は14羽の鷹を据えていた。
小姓衆や馬廻衆もそれぞれお洒落をし、京都の市民は信長のこの趣向に驚き、喜んだ。
そして、信長御一行は天皇にお披露目した後、すぐさま東山に鷹狩りに出掛けたという。
様々な逸話を読んでいて思うが、信長は独自のファッションセンスを持ちつつも、お洒落で目立ちたがり屋で、自分がしたことで人を驚かせるのが好きなのだなと感じる。(笑)
以下、『信長公記 巻十』のその箇所をを紹介する。
①現代語訳
『信長公記 巻十』
「御鷹山猟、御参内の事」
霜月(十一月)十八日、(信長は)鷹狩り装束で参内した。
(供に従う者は)いずれも思い思いに着飾り、面白い形をした頭巾が興を添えていた。
皆、狩杖などにまで金銀で彩色され、その素晴らしさは言葉に出来ないほどであった。
先手の一番目は弓衆が百人ばかりで、各々が(信長から)贈られた虎皮のうつぼをみな同じように付けており、二番目は年寄衆であり、この一団の中に鷹を十四羽据えさせた。
信長公も鷹を据え、前後を小姓衆、馬廻衆に囲ませ、彼らも光耀き、ありとあらゆる華やかで風流なものを我も我もと競い合い着飾った。
このことは言葉にしがたいほどの趣のあることであったので京都の貴賤も耳目を驚かせた。
さて、一行は内裏の日華門より入り、畏れ多くも小御所の御局の中まで馬廻衆を引き連れたが、この時、弓衆は(内裏より)折箱をありがたく頂戴した。
②書き下し文
霜月十八日、御鷹山猟としてご参内。
何れも思ひ思ひの御出立。
有興(興ある)頭巾催一興(一興を催し)、皆、狩杖(かりづえ)等迄金銀に濃(だみ)せられ、御結構之次第、無申計(申すばかりなし)。
御先一段、御弓衆百計各被下(百ばかり各々下され)候、虎皮之うつぼ一様に付けられ、二段御年寄衆、此の中御鷹十四足(もと)居えさせられ候へし御衆にて候也。
信長公、是も御鷹居えさせられ前後ハ御小姓衆、御馬廻衆、光耀き、有りとあらゆる花車(きゃしゃ)風流我も我もと一手宛、美々敷(うつくしく)御出立。
心ことば及びかたく面白き御遊覧、京都之貴賤驚耳目(耳目を驚かし)候へき。
抑(そもそ)も、内裡、日之御門より被入(入られ)、忝(かたじけなく)も小御所御局之内迄、御馬廻衆計り被召列(召しつれらる)。
其の時、御折を御弓衆に被下(下され)忝く頂戴。
(後略)
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↓弓衆が持っていた靫(空穂、靭とも)
上部のモフモフの部分が虎皮バージョンのものを持っていた。
『図説 日本合戦武具事典』より
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参考文献
・『史籍集覧 19』 近藤瓶城 編、近藤出版部、1902~1926年
※この中に収録されている『信長公記 巻十二』 太田牛一 著より
・『現代語訳 信長公記』 太田牛一著、中川太古 訳、中経出版、2013年
・『図説 日本合戦武具事典』 笹間良彦 著、柏書房、2004年
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