MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1679 江戸の仇を長崎で

2020年07月20日 | 国際・政治


 振り返れば、現在に至る日本の新型コロナウイルス感染症対策に関しては、2月下旬から4月上旬のおよそ2カ月間の間に、少なくとも3回の大きなエポックというか、ターニングポイントがあったような気がします。

 ひとつ目は、安倍晋三首相が新型コロナウイルス感染症の拡大抑制の目的で、全国一斉の小中高校の臨時休校を要請した2月27日。文部科学省への事前相談もないまま、首相官邸から発信されたこの要請により、全国の学校が3月2日の週からほぼ一斉に臨時休校となりました。

 それまで、多くの日本人にとって(どちらかと言えば)他人事のようだった新型コロナウイルスへの対策とその影響が、急激に身近な問題として受け止められた瞬間です。

 二つ目は、それまで感染拡大への懸念について積極的に発信してこなかった小池百合子東京都知事が、夕方の記者会見で突然「オーバーシュート」という耳慣れない言葉を使い、東京都の「ロックダウン(都市封鎖)」の可能性にまで言及した3月23日のこと。

 安倍首相が記者会見で、東京オリンピック・パラリンピックの延期容認について初めて言及したわずかに2時間後、(満を持したように)コロナウイルスに対する政府の対応を非難しているともとれる強いメッセージを打ち出す小池知事の姿が大きくメディアに報道されました。

 変わり身の早さが小池知事の真骨頂であることはつとに知られていましたが、それまでの姿勢とは打って変わったその豹変ぶりに、驚いた人も多かったことでしょう。

 そして三つ目が、政府が7都県市に対し新型インフルエンザ対策特措法に基づく「緊急事態宣言」を出した4月7日のこと。

 出勤や買い物の自粛要請やマスクの着用などの細かな指示も出され、「いよいよ緊急事態か」「我慢の時間が始まるな」と、国民の緊張感が一気に高まったのは記憶に新しいところです。

 さて、その中でも私が最も印象深いのは、3月下旬の政府と東京都、さらに言えば首相官邸と小池東京都知事の(ある意味「主導権争い」ともとれるような)相次いだ動きです。

 メディアを戦場に、競い合うように国民に感染拡大の危機を訴える両者の姿、特に都知事選挙を間近に控えた小池知事のパフォーマンスの高さに、目を見張った人も多かったのではないでしょうか。

 3月23日から3日間にわたって行われた(こうした)政府と東京都とのやり取りの裏には、一体何があったのか。7月16日の朝日新聞(特集「コロナの時代」)が、「小池発言 狂ったシナリオ」と題する興味深い記事を掲載し、当時の状況を振り返っています。

 小池知事はこの日、記者たちを集めて突如開いた記者会見において「今後の3週間がオーバーシュートへの重要な分かれ道」と話し、テレビカメラに向けて直接危機をアピールした。さらに、翌3月24日に首相とIOCのバッハ会長が電話協議し五輪延期の方向性が決まると、小池氏は(畳み掛けるように)すかさずアクセルを踏んだと記事はしています。

 25日夜には再び緊急会見を開き、「感染爆発 重大局面」と印字されたボードを掲げた。「何もしないでこのままの推移が続けば、ロックダウンを招く」と語気を強め、都民に対し夜間や週末の「不要不急」の外出自粛などを要請したということです。

 一方、そのとき官邸は、会見は把握していたものの(都側からは)外出自粛の要請を出すとの根回しはなく「寝耳に水」の状態だった。フリップボードを示しながら強いメッセージを打ち出し危機に立ち向かうリーダーを演出する小池氏に、政権幹部は「目立つのが天才的に上手い」と地団太を踏んで悔しがったと記事はしています。

 記事によれば、実はこの頃、政権内では外出自粛や休業要請をいつ出すべきか、議論が続いていたということです。

 麻生副総理や菅官房長官らは経済への影響に配慮し「判断はぎりぎりまで見極めるべきだ」と慎重な姿勢を見せていたが、安倍首相は「できることは何でもやる」として準備を急がせていた。

 実際、3月27日の新年度当初予算成立を待って政府として緊急事態を宣言し、即座に「過去に例のない強大な補正予算」を掲げて(安心感と共に)国民にアピールするというのが首相側のシナリオだったと記事はしています。

 ところが、小池知事の「ロックダウン発言」の影響で、そのシナリオに狂いが生じたというのが記事の指摘するところです。

 緊急事態宣言が出ても「外出自粛」は要請に過ぎず「ロックダウン」のような強制力は伴わない。しかし、小池知事のパフォーマンスの影響で、国民の間には「緊急事態宣言」と「ロックダウン」を混同する誤った見方が広がり、都内のスーパーの一部などでは食料品の買いだめなどのパニックが発生したということです。

 政府は(そこで)、緊急事態宣言を出すことが、さらなるパニックを生むことを恐れた。誤解を払拭するため、首相や官房長官らが「海外のようなロックダウンではない」と繰り返しメディアに訴える事態になり、緊急事態宣言を出すタイミングは当初予定していた3月末から4月7日に(1週間以上)ずれ込んだと記事は説明しています。

 記事によれば、政府と都との対立は、さらにこれでは終わらなかったということです。

 非常事態宣言に伴う休業要請の範囲についても、その後、両者の綱引きは表面化していった。経済への影響や私権の制限を懸念する世論を考慮しできるだけ範囲を狭めたい政府に対し、小池氏のプランは理容店や居酒屋なども対象に大きく網をかけるものだったと記事は言います。

 自身の案を主張し続ける小池氏に対し、西村経済再生担当大臣が「一知事だけで決められないことがある」とテレビカメラの前で(あからさまに)不快感を示したのも、そういういきさつがあってのことだったのでしょう。

 結果として3日間にわたった攻防は、政府の意見を一部受け入れつつも「都民の命を守っていくことが私の使命だ」と大見栄を切った小池氏が、最終的に押し切る形となったと記事は綴っています。

 これは、(小池氏が煽った都民の不安感を背景に)政府による都への横槍と受け止められることを官邸側が恐れたためで、(記事によれば)首相も周囲に「私が(都知事の)足を引っ張っているとされるならバカバカしい」と不満を漏らしていたということです。

 さて、それから4カ月の月日がたち、見事、圧倒的な都民の支持を受け再選を果たした小池知事ですが、6月11日の東京アラートの解除以降、(ある意味中途半端な立ち位置をとる)昨今の評価はあまり芳しいものとも言えないようです。

 第2波の到来とも目される都内の感染拡大が続く中、都民に対し都県境を超えた移動の自粛に向け重い腰を上げたものの、それを理由に政府は東京都を「Go to トラベルキャンペーン」の対象から外すなど、小池氏への攻勢を強めています。

 「江戸の仇を長崎で」という訳でもないのでしょうが、その場その場の世論の動きに合わせた小池流の手法に、官邸サイドもいよいよ反撃を開始したということなのかもしれません。

 もっとも、都民や国民がそうした政治的な確執に振り回されたのでは(勿論)たまったものではありません。小池知事ではありませんが、その辺のところは両者にも「よーく、考えていただく」必要があるでしょう。

 キャンペーンの対象に東京を加えることの是非はこの際別にしても、政府にも東京都にも、(感染拡大防止と経済再生に向けた)科学的なエビデンスに基づくバランスの取れた政策を連携して打ち出してほしいと、ここにきて改めて感じる所以です。


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