越前市今立地区(大滝町)の岡太(おかもと)神社へ行ってきました。
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岡太神社は紙の神様(紙祖神)「川上御前」を祀る神社であり、今から1500年ほど前、川上御前が里の人々に紙漉きの技術を伝えた伝説が基となっています。以来、越前和紙の里である今立地区に紙祖神(しそしん)として祀られ、今立地区では古くから、写経や奉書などに使われる紙や、福井藩藩札、太政官札(明治政府の紙幣)の紙などの生産を行っており、横山大観など多くの芸術家からも支持される和紙の生産地として、今でも和紙が作られています。
また大瀧神社は、泰澄大師が719年に建立した大瀧寺がはじまりであり、白山信仰の地として知られる平泉寺の末寺となるなど、当地の有力寺院として存在していたそうです。明治時代の神仏分離令により、大瀧寺は神社となり、岡太神社とともに2つの神社が並び立つ形になったそうです。
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今回訪れたのは岡太神社・大瀧神社の下宮(しものみや)です。両神社の上宮(奥の院)は権現山の山頂にあり、下宮は両社の里宮となっています。
境内は杉やブナなどの大木が立ち、神社が建立されてからの長い歴史を感じる空間となっていました。
社殿へ登る階段の両脇には巨石による石垣が見られます。城郭に使われていてもおかしくないほどの立派な石が使われており、神社建立の際、それだけの労力、財が費やされたことを窺い知ることができます。
下宮社殿(拝殿と本殿)(国重要文化財)。通常は、拝殿と本殿が別々の建物となっていることが多いですが、この社殿は拝殿と本殿が一体となって造られた珍しい形となっています。屋根が複雑に組み合わさった形をしており、建立された当時の技術の高さが感じられます。
また、社殿の装飾も細かなものとなっています。同じく、当時の職人の持つ技術の高さが感じられます。
御神輿殿には4つの神輿が安置されていました。これらの神輿は例大祭で今も使用されています。
社殿入口から境内を見た様子。山に囲まれた自然豊かな中にあり、周りの森との一体感を感じます。
境内の脇にある石碑。タヌキがあたりを出入りしており、自然の中の社殿であることを感じます。
↓そのほか、境内の風景から
朝倉氏遺跡や平泉寺ほど広く知られてはいませんが、伝統工芸である越前和紙の里として、また自然の豊かさや社殿の素晴らしさから、お勧めしたい場所です。
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岡太神社は紙の神様(紙祖神)「川上御前」を祀る神社であり、今から1500年ほど前、川上御前が里の人々に紙漉きの技術を伝えた伝説が基となっています。以来、越前和紙の里である今立地区に紙祖神(しそしん)として祀られ、今立地区では古くから、写経や奉書などに使われる紙や、福井藩藩札、太政官札(明治政府の紙幣)の紙などの生産を行っており、横山大観など多くの芸術家からも支持される和紙の生産地として、今でも和紙が作られています。
また大瀧神社は、泰澄大師が719年に建立した大瀧寺がはじまりであり、白山信仰の地として知られる平泉寺の末寺となるなど、当地の有力寺院として存在していたそうです。明治時代の神仏分離令により、大瀧寺は神社となり、岡太神社とともに2つの神社が並び立つ形になったそうです。
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今回訪れたのは岡太神社・大瀧神社の下宮(しものみや)です。両神社の上宮(奥の院)は権現山の山頂にあり、下宮は両社の里宮となっています。
境内は杉やブナなどの大木が立ち、神社が建立されてからの長い歴史を感じる空間となっていました。
社殿へ登る階段の両脇には巨石による石垣が見られます。城郭に使われていてもおかしくないほどの立派な石が使われており、神社建立の際、それだけの労力、財が費やされたことを窺い知ることができます。
下宮社殿(拝殿と本殿)(国重要文化財)。通常は、拝殿と本殿が別々の建物となっていることが多いですが、この社殿は拝殿と本殿が一体となって造られた珍しい形となっています。屋根が複雑に組み合わさった形をしており、建立された当時の技術の高さが感じられます。
また、社殿の装飾も細かなものとなっています。同じく、当時の職人の持つ技術の高さが感じられます。
御神輿殿には4つの神輿が安置されていました。これらの神輿は例大祭で今も使用されています。
社殿入口から境内を見た様子。山に囲まれた自然豊かな中にあり、周りの森との一体感を感じます。
境内の脇にある石碑。タヌキがあたりを出入りしており、自然の中の社殿であることを感じます。
↓そのほか、境内の風景から
朝倉氏遺跡や平泉寺ほど広く知られてはいませんが、伝統工芸である越前和紙の里として、また自然の豊かさや社殿の素晴らしさから、お勧めしたい場所です。