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浅田次郎著 「五郎治殿御始末」

2022年05月16日 18時47分34秒 | 読書記

図書館から借りていた、浅田次郎著 「五郎治殿御始末(ごろうじどのおしまつ)」(中公文庫)を、読み終えた。本書には、「椿寺まで」「箱館証文」「西を向く侍」「遠い砲音」「柘榴坂の仇討」「五郎治殿御始末」の短編時代小説、6篇が収録されている。いずれも、明治維新を経験した幕末の武士達を題材にした物語であるが、徳川幕府時代の支配階級として存在した武士達が、明治維新により、昨日までの地位立場はすべて無くなり、社会の仕組みが一変した明治初期に、いかに生きたかを描いた作品集である。

◯「椿寺まで」
「おめえを伴にしたのにァ、のっぴきならねえわけがあるのさ。このさきどんなおっかねえ思いをしたって、泣いたり喚いたりするんじゃねえぞ」、御一新から6年経ち、武士から商人に転じた江戸屋小兵衛が、番頭、手代とではなく、丁稚として育てた新太を伴って、商用で甲州街道を八王子に向かう。元旗本の三浦様?、高幡不動の脇を登った先、椿の森の庵の女僧が新太を見つめる。しかし、新太は、決して振り返らぬ小兵衛のように、まっすぐ歩いて行こうと思うのだった。

◯「箱館証文」
主な登場人物・大河内厚(元徳島藩藩士、大河内伊三郎)、渡辺一郎(元会津藩藩士、中野伝兵衛)、山野方斎(元徳島藩藩士、山野新十郎)、小池与右衛門(元京都御見廻組)、
官員となっている大河内を訪ねてきた渡辺警部が、五稜郭の戦いの際に大河内が書いた、命を売った証文を差し出した。月給10円の官吏には、とても1000円の支払い等不可能である。ところが、・・・・、次々と御命証文三通が・・・、もし、次の日曜日に集うことができたら、帰りしなに九段の写真館に立ち寄って、奇妙な縁で結ばれた四人の写真を撮るとことにしよう。

◯「西を向く侍」
御一新後、御家人達の身の振り方は、①無禄覚悟で将軍家と共に駿府に移り住むか、②武士を捨て農商に転ずるか、③新政府に出仕するかの3通りの道しか無かった。徳川幕府の天文方だった成瀬勘十郎は、暦法の専門家として新政府に出仕していたが、明治5年、強引な改暦詔書が発せられるや、暦算の第一人者として、文部省に談判、最後の抵抗をする。しかし・・・、新時代には逆らえず、妻子と甲州へ(西へ)下野することを決意。「覚え方は、西向く侍(にしむくさむらい)」、小の月は「二、四、六、九、十一、十一は、「士」、「勘十郎は、さすが頭がよいわ」、婆さんは、娘のようにころころ笑った。史実だったのかどうかは、分からないが、子供の頃、覚えた「にしむくさむらい」が、明治初期の改暦時に、かっての武士が、西方の甲州に下野することに掛けたものだとすると、余計に意味深いものがある。

◯「遠い砲音」
主な登場人物・土江彦蔵(陸軍中尉)、土江長三郎(彦蔵の長男)、有馬少佐(大隊長)、ロラン大尉、修理大夫、
お馬廻役を務めていた土江彦蔵は、武芸の腕を買われ、近衛砲兵隊の将校になっていたが、西洋時刻がなかなか受け入れられず、遅刻や失敗を繰り返し、明治の世になっても、主君は、19才の殿修理大夫だった。その殿と息子長三郎が、ロラン大尉と共に、フランスへ旅立つことになり・・、
願わくば、この餞の砲音が遥か海まで届きますよう。「撃てェー!」。湾の雲居の月めがけて、二十四斤の砲口が火を吹いた。

◯「柘榴坂の仇討」
水戸の浪士等18人の刺客に襲われ、大老井伊直弼が殺害された桜田門外の変の折、生き残った、彦根藩藩士で近習だった志村金吾は、明治の世になってもなお、主君の仇を討つべく、水戸の浪士残党を探し続けていた。ついに、直吉と名を変え、俥屋に身を落としていた佐藤十兵衛を突き止め、雪の柘榴坂を登り切ったとことで向き合う。・・・が。「命懸けで国を想う者を無下にするな」、直弼の言葉を思い出した金吾・・・「垣根を越える努力を」・・、妻は、笑いながら泣いた
読み進める内、なんとなく読んだことのあるようなストーリーに気付き、「ブログ内検索」してみたら、実は、読んだのではなく、昨年の正月に、妻が録画していたテレビの映画番組で、「柘榴坂の仇討」を見ていたからだった。

振り返り記事「映画・柘榴坂の仇討」
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◯「五郎治殿御始末」(表題作)
会津藩と共に最後まで徳川幕府側で戦った勢州桑名藩で生き残った武士の物語。明治元年生まれの祖父(岩井半之助・わし)が、孫に語る形の物語である。岩井家は、代々、桑名藩11万石松平越中守の家来だったが、御一新で桑名藩は賊名を蒙って酷い有様となる。岩井家で残ったのは、幼かった祖父(岩井半之助・わし)とその祖父岩井五郎治の二人だけだった。ただ追い詰められ、死ぬしか他になかった死出の旅で、二人は死の瀬戸際から引き戻され、祖父(岩井半之助・わし)は、旅籠尾張屋忠兵衛で丁稚奉公することになったが、その祖父岩井五郎治は、姿を消してしまい、明治10年の西南の役で、政府側の兵士として命を落とし、将校が遺品を届けにきた。それは、脇差ではなく、付け髷だった。「お改め下さい。半之助君」、わしは思わず噴き出し、そして、笑いながら泣いた。将校も忠兵衛も、その倅もみな笑いながら泣いた。・・・・、あの人のような始末は、誰にも真似はできぬであろうがの。・・・・、
「わしは、栗を剥かねばならぬ。さあ、膝から出て、しばらくそばに寄るでないぞ。もう爺に苦労を思い出させるな、おまえはただ、旨い栗飯を食えばよい。そうだ、それでよい」

◯解説 磯田道史
「五郎治御始末」について、磯田道史氏は、文末で、「男の始末とは、そういうものでなければならぬ。けっして逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけなければならぬ」という作中の言葉が、とても厳しく、まるで突き刺さるかのように我々の心に響いてくる・・・と記述されている。

 


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4 コメント

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Unknown (gabaosan)
2022-05-16 19:43:41
こんばんは。

浅田次郎は一時期読み漁って居まして、これも懐かしい限りです。
ブログを拝見して読み直したく思いましたが、浅田作品にハマった後輩に文庫本を大分譲ってしまいましたので、手元に残っているかどうか、、、探して見ます!
Unknown (ひろし曾爺1840)
2022-05-17 08:07:29
◆👴◆たけじいさん・お早う御座います。
💻何時も素敵な情報を有難う御座います・✌で~す!
(^_-)-☆お互いに今日も元気で楽しい充実した一日にしましょ~!本日も宜しくお願いします!
🔶来訪コメントや応援有難う御座います!👋!
ひろし曾爺1840さん、おはようございます (takezii)
2022-05-17 08:42:36
有難うございます。
当地、今日も、どーんより曇って、梅雨のような空模様です。
gabaosanさん、こんばんは、 (takezii)
2022-05-17 10:07:49
数年前まで、まるで読書の習慣等無かった爺さんで、当然、浅田次郎もまだ、ほとんど読んでいませんが、ここ2~3年で、壬生義士伝、一刀斎夢録、お腹召しませ、大名倒産、一路、流人道中記、等を読んで、すっかりファンになりつつあります。おすすめ本等ありましたら、ご紹介下さい。
コメントいただき有難うございます。

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