2024年4月1日。


実家のベランダから見える桜の木にまだ花が咲いていない、そんな4月のはじまりの日。


オレは毎年恒例となっている「父とオレたち家族の物語」用の写真を撮るをために、今そのベランダにいる。


今日はこれから母とふたりで墓参りに行く予定だ。


と、その前に



父よ、今日はアナタにお知らせがあるんだ。


覚えていますか?一年前のこの日、この物語の中でアナタに予告したことを。


そう、これは予告ホームランの続報だ!


もったいぶらずにいくよ!




(ちょっともったいぶらすけどw)




赤ちゃんが生まれたぞー!


し、し、しかもっ!!


女の子がぁーーーー!!


男ばっかりのこの家系に、まさかの女の子が生まれてびっくりしてるだろね。もちろん、オレもびっくりしてる。


びっくりしすぎて生まれてからもなかなか名前を決められなかったよ。生まれて5日目、退院の日だったかな決まったのは。


名前は風花。ふうかね。ふーちゃんね。




【穏やかな風に包まれた花のように、やさしく心の美しい女の子になってほしい】


という願いを込めて。



でさ、このふーちゃん、もうひとつサプライズを用意してくれててさ。

女の子が生まれてきてくれたってことだけでも驚きなんだけどさ、なんと生まれたその日が、ふたりの結婚記念日なんだよ!


10月16日


なんか実家のナンバープレートと同じ数字な気がしてさ。そしたら結婚記念日なんだってね!


なんてじじばば孝行な孫だろね。

もう一生溺愛したいだろね。


それからさ、この日はそれだけじゃないんだよ。

なんと、ゆきのお母さんの誕生日でもあるんだよ。


すごくない?


両家にとっての記念すべき日に生まれてきたんだよ?もうなんていうか、キミはいったい何者なんだい?人生何周目ですか?って聞いてみたいよ。


背中スイッチもなくてすぐに寝てくれるし、夜泣きもほとんどと言っていいくらい全然しないし、ホントお利口さんでさ。

たぶん、まもなく50歳という山に差し掛かるおじさんパパのことを考えてのことなんじゃないかな。


いい子すぎて泣けてくるよ。


きっと家族みんなを幸せにするために、生まれてきてくれたんだろな。


そんなわけで、オレの人生のパーティーにふーちゃんという女の子が加わったよ。




2人の親になってわかったことはさ、おーちゃんもふーちゃんもどっちも最高にかわいいってこと。どっちがどうとかじゃなくて、どっちも一番。

ボクシングでいうなら、WBCとWBAのチャンピオンがそれぞれ家にいるみたいなね、そんな感じだね。


てことで、この2人のチャンピオンが成人するまで、オレはひとまずひたすらがんばるよ。


今の楽しみは、ふーちゃんがしゃべれるようになっておーちゃんと一緒に兄妹楽しそうに遊ぶ姿を見ること。で、そこに、まぜてもらうこと。で、遊びながら晩酌すること。


きっと最高の晩酌になるはずだw


てことで、これから墓参りに行くよ。


んじゃ、またあとで!



おしまい



2023年4月1日。

父が一等星として輝きはじめて、今年で7年目。

我が家は先日、家族みんなで父の7回忌を無事終えたばかりだ。

ついこの間3回忌を終えたと思ったら、あっという間に7回忌。

月日の流れは本当に早く、気づけば我が家のおーちゃんも、この春幼稚園に入学だ。

あのおチビが、もう幼稚園。

幼稚園といえば、父のバイクで送り迎えをしてもらったことがあった。今じゃ信じられないが、あの頃はヘルメットをかぶらなくてもいい時代だった。だから父はノーヘルで、もちろんオレもノーヘルでバイクに乗って幼稚園に行く。ガソリンタンクにしがみつきながら。

何度も言うが、今じゃホントに信じられないことだ。なんならこの記憶さえ、本当なのか?と疑うほどだ。

そんな父のバイクはとにかくうるさかった。どうやったらそんな音になるんだってくらいの音だった。今思えばそれは

マフラー取れてないか?

っていうくらい、近所迷惑なバイクだった。

でも、たまに乗る父のうるさいバイクは、とにかく速くてカッコよくて、なんだかその送り迎えの時間が嬉しかったのを覚えている。

あれから43年。

だいぶ遅めのデビューになるが、オレもあと半月後に息子の送り迎えをはじめる。

シートベルト付きの静かな電動自転車で、息子にはヘルメットをかぶせて。


そう。時代は変わったのだ。


ノーヘルの時代はとっくに終わったのだ。


時代は音速で昭和から平成をまたぎ令和になったのだ。

令和はニックネーム禁止だ。
苗字をさん付けで呼ぶのだ。

令和は男がレジに並ぶと女の子は冷めるのだ。
このすぐに冷める現象を蛙化現象と呼ぶのだ。

令和は糸電話でも黒電話でもないのだ。
スマホがあって当たり前なのだ。

令和のラジコンはスケールが桁違いなのだ。
ベンツはしご車(実在する)から水が出るのだ。



そう、時代がもう全然ちがうのだ。オレたちが生きた昭和と今我が子が生きている令和は、たった一字ちがいで別世界なのだ。

その世界は昭和育ちのオレからすれば、まるで近未来を見ているかのようだ。


近未来の時間経過はとにかく速い。野球で言うなら昭和が江川で令和は大谷だ。スピードが20キロ近くもちがう。

そのくらいの速さのちがいが、ここにはある。

昭和育ちのオレは、そのスピード感のなかで令和生まれの息子を大きく育てていくことになる。

さて、ここからどうするか。

幼稚園に入学するくらいの年齢ってことは、いよいよ色々な遊びを覚える頃だ。手始めに、釣りを教えてやろう。もちろん、昭和エッセンスを添えて。

「釣りっていうのはな、見えない魚を釣るからおもしろいんだ。それが、ロマンだぞ」

昭和のあの日、父がオレに言ったように、令和のその日オレも息子にそんな言葉を贈る。


そう。どんなに時代が変わり、スピードが変わろうとも、変わらないモノはいつまでも変わらない。だからオレは、息子には変わらないモノの大切さを伝えていきたい。

変わらないモノの中にある、本当の楽しさや素晴らしさを、伝えていきたい。


そんなふうにして、父親らしい言葉もたまには記しておきたいw




今年も変わらず桜が綺麗だ。

4月1日。いつの日からか、毎年この日は父と自分を重ねる日になっている。

父はオレにたくさんの思い出を残してくれた。だからだろうか、父がしてくれたことはすべて息子にやってやりたいと思っている。ただ、あまりにたくさんありすぎて、それはなかなか大変な任務だということに、今気づいた。

そんな4月はじまりの日。

今日は父に伝えたいことがある。
最後にそれを記して、スマホを置くことにしよう。


父よ。アナタにニュースがあります。10月に孫がもう1人増えそうです。

つづく






父とオレたち家族の物語 


201741日。


その日、父はお空の星となった。


酒が大好きで、口が悪くて、気も短い。いいところの方が少なかった、そんな気がする。


あれから5年目の今日、再びオレはこうしてスマホを手に取り、父のことを記している。


不思議なことに、父のことで思い出されることは、《酒が大好きで、口が悪くて、気も短い。いいところの方が少なかった》ということではない。


家族想いのやさしい人


なぜだか、そんなことばかりが思い出される。この世からいなくなって、残ったモノはいいモノしかない。悪いことを思い出しても、すべてが笑い話になる。それはまるで、没後評価されたピカソみたいな、なんかそんな感覚だ。


でも、できることなら、生きてるときにもっとそのことを感謝できればよかったなって、最近特に思うようになっている。


オレも父となり、父の気持ちが少しずつわかるようになってきたからだ。


例えば、こんなとき。


うちの子は今年2歳になり、今まさにイヤイヤ期の真っ只中。おしゃべりも達者になったこともあり、事あるごとにイヤだイヤだと言うようになっている。



ある日のことだった。


「パパ、イヤ!」


と言いはじめたのだ。もちろん、パパイヤのことではない。パパが、嫌なのだ。それだけではない。最近じゃ


「パパ、チライ!」


と言いはじめたのだ。もちろん、パパが白井さんになったわけではない。パパが、嫌いなのだ。白井さんが誰なのかとか、ここでは一旦置いておく。


そう。


つい最近まで、パパのこと好きって言ってたあの子が、だ。


もちろん、奥さんがオレのことを悪く言ったりなどはない。なんとか好きと言ってくれるようにと、オレのことを大袈裟にいえば、正義の味方みたいにヒーロー的な感じで息子に話してくれている。


だのに、チライなのだ。


決して落ち込んでいるわけではない。むしろ、ママ、チライじゃなくてよかったし、パパなんてそういうもんだろうと思う("ママ"のことは毎日すち♪と言うところは気がかりだがw)


だから、これはただの笑い話、だった、ついこの間までは。


あるとき、ふと父のこんな言葉を思い出したのだ。それは、父が酔っ払ってオレとケンカになったときによく口にするセリフだった。


「オレが悪者になりゃいいんだろ!?おまえらはおまえらで仲良く3人でやってけ!」


ケンカになると、たいてい1:3の構図になる。3は、オレと弟と母だ。オレと弟が問題を起こすとまず父が母に激怒する。それもなかなかのレベルの激怒だ。だから、それをオレたちがかばう。悪いのはオレたちだと。すると、父はオレたちと母をまとめて怒り出し、やがてキレる。それもなかなかのレベルのキレ方だ。たいてい家のなかのナニカが壊れるくらいだから。そして、最終的に怒っている自分に嫌気がさし、そんな自分に怒り、このセリフになる。


「オレが悪者になりゃいいんだろ!?おまえらはおまえらで仲良く3人でやってけ!」


と。我が家では叱るのは、いつも父の役目だった。だからこのセリフ、というわけだ。でも、自分で勝手にキレてるだけだろ?と思っていた当時のオレからすれば、この酔っ払いなんなんだよ!(←思春期だったので)としか思ってなかった。


そして、父はさらに酔っ払うとこんなことを言うことがあった。


「…オレはおまえらが好きなのによ、これじゃおまえらを嫌いみたいだな」


って。そんなことを、時に酒に飲まれながら、涙を浮かべたりもしていた。


父は、本当にめちゃくちゃだったけど、めちゃくちゃオレたち兄弟を愛してくれていた。それだけは、ずいぶんと恵まれていると思う。でも、世間が生前ピカソを認めなかったように、オレも父のその気持ちを全然認めていなかった。


だから父は、さびしかったのかもしれない。いや、さびしかったにちがいない。


オレも、息子からイヤ!チライ!と言われるようになった今、なんだかその気持ちが少しだけわかるようになってきた。


オムツを替えておしりをふいて、泣いたら抱っこして、お風呂に入れて、散歩に行って滑り台をして、ご飯を食べさせて、あれしてこれして、


で、いけないことをしたら、ちゃんと叱る。

(叱り方は父に似ている、気がするw)


当たり前だけど、どれもこれも愛情たっぷりでやっている。なのに、イヤイヤ期の息子は、石川五右衛門のように斬鉄剣でばっさりくる。


パパ、イヤ!パパ、チライ!

ツマラヌモノヲキッテチマイマチタ。


と。


ちなみに、ついこないだもオレが息子を起こしに行ったら、目覚めとともにオレを見てこう言った。


パパ、イヤ!


おかげでパパは、最近パパイヤがなんだか嫌いになったよw


でも、どんなにイヤでチライでもオレはキミが好きだ。それは一生変わらない。なんたって、キミはオレたちふたりの宝物だから。だから.これからもたっぷりの愛情を注いでやるぜ。

いつかキミも大人になって、ふとしたときに、オレとのことを思い出してくれたりなんかしたら嬉しいなぁ、なんて思いながらさ、今キミへのメッセージを書いているのさ。


ていうか


オレもそのうち、父みたいなこと言うのかな!?言うか、きっとw


そのときは、勘弁プリーズw


まだまだ父ちゃん半人前。親として、日々成長しながら、遠く離れた我が父を想う


そんな202241日。


父よ、アナタからもらった愛は、しっかりとこの子にも届けていくよ。

 



P.S.イヤイヤ言われてはいますが、普段はとっても仲良しですそして、たまーに「パパ、スチ」と言います。