歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「元禄忠臣蔵」げんろく ちゅうしんぐら 4-1

2022年03月07日 | 歌舞伎
一段目「江戸城の刃傷」、
二段目「第二の使者」、
三段目「最後の大評定」は、ここです。

1項目で全段書こうかと思ったのですが、
もともと初演時も1段ずつ別個に上演されており、
時間的にもおそらく完全な通し上演は不可能だと思われます。
4つほどに分けて上げてみます。

昭和9年初演の、比較的新しい作品です。
明治以降、歴史に忠実に設定、演出する、「活暦(かつれき)」という流れが一時歌舞伎の主流になったことがあります。
いわゆる「新作」と呼ばれる歌舞伎作品には、この系統のものが多いです。
「元禄忠臣蔵」は、その最高峰の作品と言って間違いはありません。
膨大な資料を駆使して史実に忠実に作られた内容でありながら、
お芝居としての面白さやキャラクターの魅力は損なわれていない傑作です。
「活暦」の第一人者である真山青果(まやま せいか)先生の作です。

松の廊下での刃傷の直後の場面から、討ち入りが終わって大石内蔵助が切腹する直前まで、
九段に分けて描いた大作ですが、
今出るのは、途中の「美浜御殿」と、最後の「大石最後の一日」が多いようです。


全体に、台詞劇です。しかも理屈っぽいです。
なので、論点を見失うとお芝居がわかりにくいだろうと思います。
各場面で「何の話をしているか」を中心に書こうと思います。

では書きます。


・一段目 「江戸城の刃傷」


江戸城松の廊下で浅野内匠守(あさの たくみのかみ)が吉良上野介(きら こうずけのすけ)に斬りつけた、
有名な場面の直後から始まります。

関係ないですが、原作台本を見ると
江戸城の詳細な見取り図が舞台装置のための資料として添付されています。
以降、家系図や各屋敷の見取り図、周辺地図などが、台本に収められています。活暦の鑑です。


梶川与惣兵衛(かじかわ よそべえ)が浅野を抱きとめています。
言い争っています。

ここでの論点は
浅野:もう暴れないから離してくれ。むしろ刀を抜いたままのこの状態は不敬である。刀を鞘に収めたい。
梶川:いや万が一のことがあるから、離すわけにはいかない。
じっさいは梶川は、浅野がその場で自害することを警戒しています。
役人たちが集まってきてその場を処置します。

・浅野の取調べ
浅野の神妙な態度、理路整然とした説明に、
取調べ役の多門傳八郎(おかど でんはちろう)は感心します。
ここで浅野が、吉良の傷の具合をたずね、
実際は軽症なのですが、多門傳八郎は浅野のためにおおげさに傷の具合が悪いようなことを言うのが、
この幕の聞かせどころだと思います。

・評議
吉良、浅野、双方からの聞き取りが終わり、すでに処分が決まっています。
聞き取りをした4人の役人たちが結果を知らされます。
浅野が切腹なのはしかたないですが、
吉良にまたくお咎めがないので、浅野を取り調べた多門傳八郎は意見を言いますが聞き入れられません。
ここで、処分を決めたのは大老の柳沢美濃守吉保(やなぎさわ みののかみ よしやす)であり、吉保は吉良と遠縁である。
これが処分内容に関係しているであろう、
と指摘するくだりがあり、興味深いです。

・浅野切腹
辞世の句、辞世の言葉などを残して浅野は切腹します。
実際は大石内蔵助は駆けつけず、家来の一人が多門傳八郎のはからいで、庭の隅からこっそり別れの対面をします。



・第二段 「第二の使者」

赤穂の城が舞台の場面です。

浅野内匠守の刃傷と即日の切腹が、3月14日。
舞台は3月19日です。
前日、18日の夜に「殿ご乱心、吉良に斬りつける」という第一報が届きました。江戸から3日かかるのです。
まだそれ以上の情報は入ってきていない段階で、お芝居が始まります。
電話がない時代なので江戸から次の使者が来るまでは、殿がどうなったのか、今後赤穂藩がどうなるのか、わかりません。
城内が浮き足立つのを国家老の大石内蔵助が抑えている、というところです。

城内の雰囲気としては、大石があまりにのんびりしているのでみんな少しいらだっています。
当然、城内の関心事は
・殿はどうなったのか、赤穂藩はどうなるのか、
なのですが、
大石が気にしているのは

・赤穂藩で発行していた「銀札(ぎんさつ)」の処理
・朝廷からの使者をもてなす神聖な場での狼藉が、「朝廷への不敬罪に問われないか」の心配

この2点です。

「銀札」というのは、藩が独自に発行する一種の擬似通貨です。
藩に持って行けばいつでも銀と引き換えるというタテマエの制度なので、
逆に言うと藩がなくなると「銀札」は紙切れになります。
町人たちが困らないように、銀札を銀に換えなくてはならないのです。
この問題は次の段でも詳しく描かれます。
従来の忠臣蔵とは違う、リアルな市場経済的視点での描写です。

次の、朝廷についての問題も従来の忠臣蔵では描かれません。
浅野内匠守の江戸城でのこの刃傷事件は、無論、幕府が断罪して浅野は切腹になるのですが、
同時に、朝廷の使者をもてなす場での事件であったために、
「朝廷に対して不敬である」という見かたもできるのです。

中盤で江戸から二人目の使者が来て、浅野の切腹が伝えられますが、
大石内蔵助はむしろそれは想定内と感じています。
むしろ最も気にしたのが、幕府からの判決文(お仕置文面)の内容でした。
ここに、朝廷ての不敬についての言及がなかったことに大石は安堵します。
同時に、使者をもてなす儀式が問題なく行われたという報告も聞き、安堵します。
すでに殿様は切腹してしまいましたが、最悪なほどの迷惑はかけなかった、という安堵です。


そのあと京都留守居役の「小野寺十内(おのでら じゅうない)」がやってきて、
京都の公家衆、さらに内裏(天皇)までが浅野に同情的だということを伝えます。
喜ぶ大石。

大石にとって、浅野三代、五万三千石の領地が失われることよりも、
「勅勘の身」になるという最大の不名誉のほうが重大だったのです。
ちなみに朝廷の権力が実質なくなっていた元禄期ですから、「勅勘の身になる」実質的なデメリットはさほどありません。
それでも天皇にその存在を否定されてることは、その身の存在価値すら失うようなことのです。
それを回避できて大石は本当に安堵します。

大石内蔵助は物事の本質が何であるか常に考え、順序を大切にする人物として描かれます。
その価値観がよく出ている場面です。

このお芝居は、ほぼ全ての段がそうなのですが、
表面的に物を見て意見をいう周囲のひとびとがまず描かれ、
しかしそれはぱっと聞くと正論です。
なぜか煮え切らない態度をとり続ける大石に周囲はいらいらしますが、
最後に大石の深い思慮と真意が明かされ、一同は納得し、感銘をうける、という流れでできています。

この段もそのフォーマットに沿ってみるとわかりやすいと思います。



・三段目 「最後の大評定(さいごの おおひょうじょう)」


比較的出る段です。詳しめに書きます。

さいしょの場面は
大石内蔵助の屋敷です。お城のすぐそばにあります。

殿様の切腹、家も断絶、お城は明け渡すように幕府から命令が出ました。
みんな浮き足立っています。
明日かあさってにもお城の明け渡しの手続きのお役人がやってきます。
今後の身の振り方を決めなければなりません。
毎日毎日お城の大広間で今後どうするのか評定(ひょうじょう、会議です)をやっているのですが、
今や最高責任者である家老の大石内蔵助の態度がはっきりしないので、何も決まりません。
みんないらだっています。
そうこうするうちに、死ぬのはごめんだと思う人たちはだんだんと逃げて行き、
数百人いた藩士はいまは100人以下になっています。

この段にしか出ず、しかし印象的なのが、
「伊関徳兵衛(いぜき とくべえ)」と、その息子の「紋左衛門(もんざえもん)」です。
伊関徳兵衛は、以前は赤穂藩の藩士で、大石の幼馴染だったという設定です。
めんどくさい性格が災いしてトラブルを起こして離藩します。以後就職活動に失敗し、ずっと浪人のまま暮らしています。
息子の紋左衛門くんも一緒に貧乏暮らしをしています。かわいそうです。
今回、赤穂藩の一大事だと聞いて自分も役にたちたいと思って戻ってきました。

徳兵衛が、お寺に墓参りに行っていた大石の子供たちにくだらないこをで腹をたて、大石の屋敷まで追ってきます。
付き添っていた親戚のお遊ちゃんが謝りますが承知しません。
さわいでいるうちに舞台がまわります。


大石が登場します。

まず、前の段でも問題になった「銀札」の話題が出ます。
「銀札」というのは、銀といつでも交換できるという名目で流通しています。
藩がなくなるので、藩内の町民たちはあわてて「銀札」を銀に換えようとします。
実際には、流通している「銀札」と同量の銀を保持している藩はありませんから、
つまり全額の払い戻しはできません。
大石は、可能な限りの銀を準備して領民に銀を返したいと考え、
城内にある銀をかき集めて、6割ほどは払い戻すことになっています。
ここで使われるのが金ではなく銀なのは、赤穂藩が上方経済圏だからです。

さて、これに文句を言い、残していく領民のことなどどうでもいいから藩士に金を渡せと言っているのが、
家老の「大野九郎兵衛(おおの くろべえ)」です。
旧来の忠臣蔵の「斧九太夫(おの くだゆう)」にあたるひとです。
最後に大野九郎兵衛は城を残して逃亡しますが、このお芝居ではこの人はあまり重要な役ではありません。

大野九郎兵衛が去った後、大石の息子の松之丞(まつのじょう、14歳)が出てきます。
従来版だと「大星力弥(おおぼし りきや)の名前で出る、大石の息子です。
まだ元服していないので「主税(ちから)」ではなく「松之丞」という名です。
さきほどの、井関徳兵衛がゴネている話をしますが、
徳兵衛がじつは気が弱いことを知っている大石は相手にしません。

ここで、
当時の将軍である五代将軍綱吉が、この時点で48の大名を取り潰していたこと、これは石高にしてざっと271万4千石である、
という会話があります。
赤穂藩は、このように理不尽に取り潰された大名家のひとつだったというのは興味深い事実です。

さらに松之丞は、この緊急時に自分も役にたちたい、と言って元服を願い出ますが、
却下されます。
それは表面的にはりっぱに見えるが、表面を取り繕うだけだ。
元服しなくても同じように忠義の心の働きはできるはずだ、と大石は言います。

常に、大石内蔵助の主張は、忠義とは何か、武士の道とは何か、その本質を見極めようとしています。
作品の主題もそこにあります。

さらに、さきほどの伊関徳兵衛と大石との直接のやりとりの場面があります。
ちなみに、セリフでは「大石」ではなく、幼名である「喜内(きない)」という名で呼びます。

幕府は、藩の取り潰しと城の明け渡しを決定しているだけですが、
赤穂藩にしてみれば理不尽で強引な決定なわけです。
なので、
幕府に抗議する意味でも、明け渡しの役人を城内に入れず。藩士全員立てこもって幕府軍と戦って討ち死にしよう、
という意見が出ています。強硬派です。
徳兵衛などは単純ですから、戦うのだろうと決め付けて、自分もまぜてもらおうと勇んでやってきたのです。
息子の紋左衛門にも急いで元服させました。戦うときに一人前に扱ってもらうためです。
紋左衛門は14歳、大石の息子の松之丞と同い年です。
対面ばかり整えてもしかたないと松之丞の元服を許可しなかった大石と、この徳兵衛は対照的に描かれます。

大石はそんな徳兵衛に、赤穂藩を脱藩したあと仕官もできず浪人暮らし。
将来の展望もないから体のいい死に場所を求めてきたのか、と冷たく言います。
元服した紋左衛門にも、
もと藩士の浪人の手まで借りて戦ったといわれては、赤穂藩にとって恥である。死んだ殿様には却って迷惑な話であると言います。
ムダなことで命を散らさずに、できれば侍をやめて細々とでいいから生きてほしいと言います。
怒る徳兵衛ですが、大石はそのまま退場します。

気が弱く、きれいごとを言う割には自己保身しか考えていない徳兵衛のキャラクターは
現代人の醒めた見かたですと、自己欺瞞に満ちた魅力に乏しい人物像ですが、
昭和初期の当時ですと、この手の自己欺瞞をまだ許容する空気があったと思います。
死んだ殿様のことを思って来てくれた部分もあるのだろう、その気持ちはうれしい。
少々軽薄だが熱血漢ではある。
そういう捉え方であろうと思います。


三段目後半に入ります。赤穂城の城内です。
この段は長いです。

順番にいろんなお侍が出てきていろいろしゃべるので、
意味わからないだろうと思います。名前と肩書きのテロップがほしい(たぶんあっても混乱します)。

とりあえず、出てくる話題を整理します。
今回の事件と、その結果の藩の取り潰しについて、どう行動すべきかいくつか意見があります

・逆らうだけムダだから素直に明け渡して浪人。家財は今のうちに全部売ろう。
・(同上、でも家屋敷は、後に使うひとのためにちゃんと掃除して自腹で補修していこう)
・幕府は理不尽だから抗議の意味で城は渡さない。立てこもって戦って死のう。
・戦っても勝てないしムリだけど、せめてのも抗議に、明け渡しの役人の前で全員で切腹しよう。
・城は明け渡すが、内匠守の弟の大学さまを擁立して、浅野家再興を幕府におねがいしよう(うまくいけばまた仕官できる)。
・城はもうどうでもいいから、今回の事件の原因は吉良、吉良は殿の敵だからとにかく殺そう。話はそれからだ。
・浅野家の本家の広島藩や親類筋:こっちまで幕府に目を付けられるのはごめんなので、とにかくおとなしくしててくれ。

こんなかんじです。
出てくるひとたちが脈絡なくこれらの主張をするので、わかりにくいのです。
大体言いそうなことを把握しておくと楽かもしれません。

まず出るのが
「高田郡兵衛(たかだ ぐんべえ)」「堀部安兵衛武庸(ほりべ やすべえ たけつね)」、「奥田孫太夫(おくだ 孫太夫)」、
この3人は江戸屋敷にいたお侍です。
当然、赤穂藩にも江戸屋敷があります。
地元の赤穂城にいるひとたちは、城の明け渡しへの対応を決めるのに必死ですが、
江戸組は江戸屋敷が閉門になったあと、江戸でそのまま暮らしたようです。帰る藩もないし。
そして江戸のこの3人は、赤穂藩の今後よりも、吉良への復讐に興味があります。
この時点では吉良の屋敷はまだ江戸城そばにあった上に、近くに本家の大藩、上杉藩がありました。
3人で斬り込むのは不可能でした。
江戸屋敷のほかのメンツはみな穏健派でしたので、
3人は仲間を集めに赤穂藩に来ています。
しかし大石が忙しいと言って会ってくれないので怒っています。

ここに、同じ江戸屋敷にいた、「磯貝十郎左衛門(いそがい じゅうろうざえもん)」と「片岡源五右衛門(かたおか げんごえもん)」のふたりが

やってきます。
最初の3人は荒っぽい雰囲気ですが、このふたりは殿のお小姓上がりで優男です。
そして主君の死とともに出家して髷を落としています。

なぜかこの2組は仲が悪いです。社長秘書と営業は仲悪いのでしょうか。

お互い、江戸で大事な情報を得て大石にそれを伝えにきたのですが、
仲悪いのでお互いに教えません。

ここに、さらに江戸屋敷から急使がやってきます。

ここで場面が変わります。


城内の書院で、大石が「戸田権左衛門(とだ ごんざえもん)」というおじさんと会話しています。
このひとは浅野家の親戚筋の大垣藩からやってきました。
大石がなかなか「城を明け渡す」とはっきり言わないので、浅野家と関係のある藩は不安でしかたありません。
なので様子を見ながら説得に来たのですが、
大石はそもそも相手を信用していないので何もしゃべりません。
そうこうするうちに、本家の廣島藩からも似たような趣旨でお使いがやってきます。

大石は、味方であるはずの本家や親戚筋を信頼できない理由を語ります。

赤穂城にいたひとたちは、吉良が生きているか死んでいるか知る術がなかったのです。新聞とかないし。
これは非常に重要なことです。
当然ですが、吉良の生死は、今後の行動を決めるのに大事な要素です。
大石は何度も彼らに「吉良は生きているのか、怪我の状態はどうなのか」聞いたのですが、
彼らは絶対に教えてくれませんでした。
赤穂藩が妙なことをしたら自分たちの立場が危うい。
その保身しか考えていないあなたたちを信用はできない、と大石は言います。
黙り込むふたり。

そうこうするうちに、そろそろ、「最後の大評定」の時間になります。
客人ふたりは退出し、
まず先ほどの、堀部安兵衛その他の3人が入ってきます。

彼らが持ってきた情報は「吉良は生きている」です。やっぱりですね。
彼らの主張は「討ち入りしたい。人数が足りない。赤穂藩みんなでやろう」です。
そう簡単ではないぞと同意はしない大石です。

次に、イケメンふたり、磯貝十郎左衛門らです。
彼らが持ってきた情報については話題になりません。まあ、吉良についてなので同じです。
ここでは、浅野内匠守の弟を立てて浅野家を再興する案が話題になり、
磯貝が強硬に反対します。

前幕で最後に入ってきたふたりは、何か情報があったはずですが、これも語られません。
おそらくこれも「吉良は生きている」でしょう。

ここで、大石はやっと、自分の決断を明かすことにします。
が、
自分の意見を言った後、またあれこれ意見を言い合っていてはらちがあかない。ので、
「内容にかかわらず」、自分の決定の同意する、という誓紙血判がほしい、と言います。
乱暴な話ではありますが、重大事なのでしかたないのです。

磯貝たちふたりは、急いで江戸に行くと言って血判せずに帰ります。
討ち入りを強行するつもりだと見抜いた大石は、「近くに上杉の屋敷があるぞ」とそれとなく言い、
ムリしないように言います。

堀江安兵衛たちが態度を保留している間に、となりの大広間にいた藩士たちの署名と血判が終わります。
56人です。
何百人もいたことを思えば少ないですが、
とにかく56人は残ってくれたのですからすごいことでもあります。

56人に対面した大石は、さらに
・いまずぐ全員が城を出て明け渡す。
・幕府について批判は今後一切言わない
・今後の行動については、大石にすべて従う
この3つを守れるか問います。
非常に厳しい条件です。

堀部安兵衛が吉良について問うと
「吉良が生きていることを忘れないでいるのは、殿が死んだことを忘れないのと同じ意味のことだ」と答えます。
これは「殿の無念をいつか晴らす」と言っているのと同じ意味になります。
この長い段において、大石が遠まわしにですが、自分の決意を語るのはこのセリフだけです。
これを聞いて安兵衛も血判に名前を書きます。

56人全員が、この厳しい条件をのむ決断をします。

大石は感激し、一同に礼を言います。


赤穂城の門外の場面です
ちなみに、台本には明治18年に撮ったという赤穂城の門の写真が資料として添付されています。

赤穂城は明け渡しが決まりました。
戦になるかもしれなかったので、周辺から来た様子見の間者(スパイ)が入り込んでいます。
開城が決まったので、浅野藩をバカにしながら、まだうろついています。

大石が、赤穂城に最後の別れをしています。
ふと見ると倒れている人がいます。
前半に出てきて暴れていた浪人ものの井関徳兵衛と、息子の紋左衛門です。
幼馴染として、大石があっさり城を明け渡したことにどうしても納得がいかなかったのです。
息子の紋左衛門はもう死んでいます。
ふたりで切腹したのです。
もう死んでいく自分にだけ、本当の気持ちを聞かせてくれという徳兵衛に、
最後の最後に大石は、「自分は、天下のご政道に背く気だ」と本心を語ります。
安心して死ぬ徳兵衛です。


この段終わりです。


=四段目「伏見撞木町」、五段目「御浜御殿綱豊卿」=
=六段目「南部坂雪の別れ」、七段目「吉良屋敷裏門」、八段目「千石屋敷」=
=九段目「大石最後の一日」=

原作には「何段目」というのは付いていないのですが、
つまり独立上演を前提としているからだろうと思いますが、
数字がないとわかりにくいと思うので、便宜上数字を付けておきます。


=50音索引に戻る=
=従来版の「仮名手本忠臣蔵」を見る=


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2 コメント

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わかりやすさに感動 (domino)
2016-11-08 00:09:55
これほどわかりやすい解説文を読んだことはありません!感服しました。
Unknown (時々歌舞伎観劇)
2022-04-25 00:07:28
わかりやすい解説ありがとうございます。
以前から観劇前にお世話になっております。更新されて嬉しいです。

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