江波戸武士

江波戸武士

読むだけで、ハッピーになるブログ

Amebaでブログを始めよう!

他人がつくったルールを守ったり、他人がつくった価値基準を満たすと、他人から認められます。他人から、「ルールを守って偉いですね」「価値基準を満たして立派ですね」と言われると、「自分は偉いんだ」「自分は立派なんだ」と思うことができます。

 

偉いとか立派という評価は、人間がつくりだした幻想です。「他人から偉いと言われたら、すごいということにしよう」「他人から立派と言われる人が価値のある人間ということにしよう」と誰かが決めたことです。あなたの心がどう感じるか、ということとは関係ありません。

 

あなたは他人がつくったルールを守ることを楽しいと感じないかもしれません。あなたは他人がつくった価値基準を満たすことに喜びを感じないかもしれません。楽しくも嬉しくもないことをして、「偉いですね」「立派ですね」と褒められても、心が満たされることはありません。本当は友達と遊びに行きたかったのに、「学校から帰ったらすぐに勉強をしなければいけない」というルールを守って褒められても、心が満たされることはありません。本当は違う仕事がしたかったのに、「一流企業で働いたほうがいい」という価値基準を満たして褒められても、心が満たされることはありません。

生きることに疲れたとは?

どれだけ他人から認められても、自分が好きなことをやっていなければ、心が満たされることはありません。どれだけ「偉いですね」「立派ですね」と言われても、自分が嫌いなことを我慢してやっていたら、どんどん心が病んでいきます。

 

「生きることに疲れた」というのは、他人のつくったルールを守るために生きることに疲れた、他人のつくった価値基準を満たすために生きることに疲れた、ということです。他人から、「偉いですね」「立派ですね」と言われるために、自分の好きなことをやらずに嫌いなことばかりやっていることに疲れた、ということです。

 

他人の機嫌をとるために、自分を不機嫌にすることに疲れた、ということです。他人の心を満たすために、自分の心を犠牲にすることに疲れた、ということです。「生きることに疲れた」というのは、自分を無視して他人のために生きることに疲れた、ということです。他人のために生きることに疲れたのだから、自分のために生きることを始めれば、「生きることに疲れた」という状態から抜け出すことができます。

 

「生きることに疲れたから、生きることをやめよう」というのは、本当の解決ではありません。他人のために生きることでたまった疲れを解消するためには、他人のために生きることをやめる、というのが解決策になります。

自分で自分を幸せにする

「他人のつくったルールを守らなければいけない」という思いにとらわれることで、自分の心を満たすことを忘れてしまいます。「他人のつくった価値基準を満たさなければいけない」と必死になることで、自分を楽しませたり喜ばせることを忘れてしまいます。

 

あなたは自分がやりたいことを自分にやらせてあげることで、自分を満たすことができます。あなたは自分が嫌いなことを自分にやらせないことで、心の負担を取り除くことができます。他人から、「偉いですね」「立派ですね」と言われても、自分に我慢ばかりさせていたら、どんどん心が消耗していきます。「嫌われないためにはこれをしなければいけない」「バカにされないためには、こういうことをしなければいけない」ということで埋め尽くされた毎日を送ることで、だんだんと心が病んでいき、最終的には、「生きることに疲れた」となってしまいます。

 

あなたは、「自分の好きなことを自分にやらせてあげる」という体験を積み重ねることで、人生が充実していきます。「他人にどう思われるか」ではなく、「自分がどう思うか」を大切にしていきましょう。他人から褒められなくても、自分が好きなことをやって嫌いなことをやめることで、自分を幸せにしてあげてほしいと思います。