リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

225. 16回目のドイツ旅行(28)ダルムシュタット経由でフランクフルトへ。

2020年08月04日 | 旅行

▶今日も忙しくダルムシュタットからフランクフルトへ

 


ダルムシュタットにあるヘッセン州立博物館

 

◆2019年8月10日(土)

 前の晩はしょっちゅうトイレに起きました。それというのも前の通りが土曜日ともなると夜中ずっと電気もついてお店も開いているようで、人の話し声が上ってくるのです。かといって窓を閉め切れば静かにはなるのですけれど、ドイツにしては暑い夏で、窓を閉めていると寝苦しく、結局窓を開けたままで寝ていました。そのせいか、何だか落ち着かない夜でした。6時少し前から目が覚めて起き出し、朝食をとりました。冷蔵庫の中がちょうどからっぽになり、万事OK。3日間のゴミをまとめて1階の物置まで運び、紙ゴミ、プラゴミ、その他のゴミと分けて大きなゴミ箱に入れます。その後、2階からゆっくりと静かに(何と言っても週末の朝、まだ7時過ぎですからね)トランクを下ろしました。最後に大家さんのポストに鍵を入れて全て終了です。

 道路は人通りも少なく、歩きやすくて助かりました。涼しいのでコートを羽織っていましたが、駅に着く頃にはうっすらと汗をかいていました。7時45分頃、ヴュルツブルク中央駅に到着。電子掲示板では Kiel 行きのはずの ICE2226 は Dortmund Hbf 行きに変わり、「5号車には乗車できません」と書かれていました。私たちの予約席は8号車なので胸をなで下ろしました。今回は列車構成図の通り、私たちの目の前に8号車が止まりました。幸先良し。というのも、車両構成の通りに待っていても位置が変わり、トランクを転がしながら予約車両まで走らなければならないことも結構あるのです。若い中国人のグループが出発するのを仲間が見送りに来ていましたが、私たちのトランクも持ち上げてくれました。ありがとう! 予約席には中国人らしき女性がいたので、ここは予約してありますと言って移ってもらいました。

 フランクフルト・アム・マイン中央駅(以下アム・マインは省略)に9時36分に着くと早速中央駅構内のコインロッカーにトランクを入れ、身軽になってダルムシュタット中央駅に向けて出発。列車で40分ほどのダルムシュタットにはヘッセン州立博物館があり、ペーター・デル(父)の作品を見るのが今日の第一目的ですが、以前一度だけ三津夫と娘の奈々子とここを一緒に訪れたのが2007年。そのときに博物館の写真を撮り忘れたのがずっと心に引っかかっていて、機会があればもう一度撮影に行こうと思っていた場所です。これが今日の第二の目的。13年ぶりにやっと来ることができました。
 中央駅から博物館まで距離は少々あるのですが、以前来たときにバスに乗ったら反対方向に乗っていってしまったことがあり、今日は歩いていこうと話しあっていました。中央駅からヴィスマルクシュトラーセを真っ直ぐ歩き、まだかなぁと思う頃、ようやく公園が見えてきました。公園の先にあるはずですがよくわからず、地元の方に聞いてワンブロック歩き、やっと博物館にたどり着きました。かれこれ40分近く歩いたことになります。ここの入口前で忘れないうちにと撮影したのがトップの写真です。

 中に入ると、目的のペーター・デル「マリアとヨハネと十字架のキリスト」はなかなか見つかりません。中世作家の作品コーナーではグレゴール・エーアハルト周辺作家の「キリストの埋葬」や、ミヒェル・エーアハルト周辺作家の「幼きキリスト」、そしてティルマン・リーメンシュナイダーの「磔刑群像」もあるのです。何枚も写真を写すことができてリーメンシュナイダー以外は今まで情報も知らず、ここでの発見だったので嬉しかったのですが、館員に聞き回ってもペーター・デルの作品は見付けることができませんでした。ただ、ベンチのカタログにはこの写真が掲載されていたので、あるはずだとしつこく食い下がったのですが、ダメでした。少なくとも2周はしましたが目で見る限り展示されていなかったのは確かです。
 でも、家に帰ってきてから写真に写したカタログの作品の解説を読んでみたところ、どこにも「ペーター・デル」とは書いていなかったのです。もしかしたら、ここに書かれている「モースバッハの磔刑群像のマイスター」という名前で聞いてみたら「今修復中ですよ」とか「〇〇に貸し出し中ですよ」と言う返事が戻ってきたかもしれません。あせらずにあの場できちんと確認するべきでした。反省!

 歩き疲れたのでバスで駅まで戻ることにして、二人で4.4ユーロのチケットを買い、バスに乗りました。駅の中で連日となる焼きそばを食べ、コーヒーで列車の待ち時間を過ごし、フランクフルトに戻りました。朝、ここに着いたときには、ホームの端に花や蝋燭が捧げられていたのでしたが、戻ってきたとき(午後3時近く)には追悼の品々はすっかり片づけられていました。恐らくテロか事故で亡くなった方がいたようです。 

 トーマスの家には今日から3泊させてもらいます。そのため、フランクフルト市内の教会や美術館へは後日ゆっくり回ることにして、今日はこのままトーマスの家へと向かいました。彼には電話で予定通りバート・ヴィルベル・グローナウに16:07着の列車で行くと伝えました。到着まで2分ぐらい遅れましたが、無事に駅で再会。元気そうでホッとしました。家に着くと、大きなトランクをあげたり下ろしたりは大変だからと地下室経由で地下の部屋に案内してくれました。ここ2~3回は同じように通らせてくれますが、以前は大変でも1階まで上がり、地下まで下ろしていたのです。お互いに年と共に合理的になってきたことの表れかもしれません。
 いつもの部屋に着いて懐かしい気分。「ここに私は何回泊まらせてもらっているのだろう?」と思います。でも床の白い絨毯は取り払われ、ベッドの寝具は新しいものに入れ替えてくれていました。ちょっとだけよそ行きの顔をしています。お土産を取り出して1階へ。あぁ、ルースが飾った花の美しいこと! この部屋に来るといつも何かしら撮影したくなる雰囲気があります。三津夫も私も宿泊中には必ず写真に撮らせてもらっています。そのうちの何枚かを下に載せておきます。下の3枚は三津夫撮影、一番上の写真展ビラと一緒に写したものだけ私の写真です。


 

 

 


夕食はズッキーニとネギのトルテ。ゴマがたっぷりかかっていてルースの愛情たっぷり、手の込んだお料理です。

 

◆明日からの予定について相談

 私が明日からの予定を確認したいと話したときに、トーマスはちゃんと私が送っておいた日程表をプリントアウトして、準備万端整っているとウィンクしてくれました。明日は日曜日。お二人は敬虔なクリスチャンですから、普段は教会のミサに行きます。ですから、私たちはフランクフルトの市内巡りをしたいと思っていたのです。朝、教会に行く前にバート・ヴィルベル駅まで車で送ってくれるとのこと。そして月曜日には車で2カ所の教会を回ってくれる予定だとわかりました。お二人にご用があるようだったら私たちは月曜日にバスと電車を乗り継いで回るつもりだったのです。でも正直、バスの乗り継ぎ、列車の乗り換えが大変多くて一つ何かうまく乗り換えができなかったら夕方までに帰ってこられるかどうかわからないという心配がありました。でも、これで明日からの心配はなくなりました。ルースの手の込んだお料理(写真・上)をゆっくりいただき、いつもの夜の散歩に出掛けました。ここは本当に大都市に近いのに自然がたっぷりあって良いところです。お二人はこの家を売って娘さんのナディーンが住んでいるバート・ヴィルベルの町の近くにマンションを探したいと言っていたのですが、なかなか良い物件は見つからないままです。でもこの自然がトーマスの体にも良いのだろうと私は感じています。夜は私たちもぐっすりと寝ることができました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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