■ 今日の一枚
薄紫のアイリスの花が、貴婦人のドレスにしか見えないんですよね・・・。素敵な花びらのドレスです。
■ 国別解説
「こういった表現の部分ですね。特にコレオシークエンス・・・最後の部分なんですけれども、感情を爆発するところが、本当に彼(ネイサン選手)の持ち味だと思うので、こういった中盤のステップというところでも、そういった感情表現がもっともっと見えてくると、彼(ネイサン選手)の芸術性が氷に映し出されるのかな、という感じがします。ここですね。ここから感情の起伏、爆発、というのがもっともっと全体的に、いろんなところに散りばめられると、さらにいいのかなと思います。ただ、動きの美しさ、動作の正確性、というところは彼(ネイサン選手)の武器だと思います」
国別 2021 in 大阪 ネイサン・チェン選手 フリーリプレイを見ながらの織田君の解説より
織田君の解説は、本当に的確で、公平で、正確。でも、どんな立場の人が聞いてもスッと入ってくるんじゃないかといつも感心します。きっと相手を思う愛が言葉にあるのだろうと思います。
試合だから芸術的評価に関しても、「点数」という目に見える形にされてしまうところで近年、モヤモヤが募ってしまう訳ですが・・・。
よくフィギュアスケートの選手の方は小さい頃からバレエを習っていらっしゃる方が多いようですが、芸術として評価されるかどうかの分かれ目は、『習い事』の域から抜け出して、その人独自のもの、つまり芸の『奥義』、『真髄』といったものに到達できるかどうか、なのだろうと思います。
私はブログではあまり他の選手の演技について書くことはないのですが、平昌以降ですね、やはり結弦くんの芸術的評価というものが、ものすごく低く抑えられてきた、他選手との差があまりにもなさ過ぎる、という点にずっとモヤモヤしています。
バレエを長年やっているということは、ピアノを習ったからピアノが弾ける、というのとあまり意味が変わらないんじゃないかと思うんですね・・・。
芸術ということで評価するとなると、「バレエを長年やってきた」ことよりも、バレエを本格的に長年やってきたわけではないのに、バレエやその他の芸術的ジャンルで、指導者、あるいは表現者といったプロの目を持った方々から注目される、ということの方が、端的に芸術的な成熟度や価値といったものを表しているのではないかと思います。
結弦くんは子どものころからバレエや日本の伝統芸能を習ってきた訳ではありませんし、ほんの少し、バレエはかじったぐらいのことはあったようですけれど、音楽にしたって、楽器を習っていたという話は聞いたことがありません。
にもかかわらず、野村萬斎さんはじめ、各界で活躍されているアーティストの方々から常に注目されてきました。要するに、フィギュアスケート界の外の世界での評価ということになるかと思いますが・・・。真の評価は、そこにあると考えることで私はいつしか折り合いをつけてしまうようになりました・・・。
フィギュアスケートの芸術的評価というものは、どうもとても狭義で特殊なもののようです。ただ、狭い世界の評価というのは、本当に狭い世界での評価でしかないのかなとも思います。
真の芸術的評価というものは、そのジャンルから離れてどれほど他のジャンルで注目されたり、評価されたり、価値があるとされるかということの方が、狭い世界の点数よりも端的に事実を物語っていることと思います。
ジャンプというノルマを無事完遂した時点でガラッと切り替わるパターンは、緩急のついた芸術的表現とは言えないのではないか。その同じパターンがどのプログラムにも毎回当てはまるというのは、それは感情的表現というのではなくて、ノルマからの開放が感情の爆発となってほとばしっているのではないか・・・。
織田君の指摘にもあった「もっともっと全体的に、いろんなところに散りばめられると、さらにいい」という言葉に、おそらくフィギュアスケート界にもその差をわかっていらっしゃる方もいるのだなという一方で、ジャッジにはその差が全くわからない人が・・・悲しいことにほとんどなのだということなのかな、と・・・思う訳ですね・・・。(あるいは他に理由があるのかもしれませんが。)
音楽を消して結弦くんの演技を観てみると、足の動きや指先や表情ひとつで音が聞こえてくるんですよね。音符が見えるような演技なのです。
それもそのはず。結弦くんは音やプログラムの世界観にこだわるあまり、他の選手は普通やらないことにまで挑戦してきたのですから。つまり、音楽の編曲と振り付けに大部分で関わるということですね。そして、衣装も、です。ここはプログラムを芸術的な観点から見た時に、目に見える大きな違いとなって現れるところだと思います。与えられたものを演じるのか、それとも自らが音となり、主人公となって演じるのか、という違いは、音の捉え方ひとつにしても、表現面でも大きな差となって現れます。
確かに結弦くんはバレエもピアノも日本の伝統芸能も本格的に勉強した訳ではないですが、彼は、その独自の芸術的センスで、触れる機会に恵まれた様々な分野の素晴らしいところを取り入れて、自分の中で「羽生結弦」というジャンルの芸術の真髄を極めようと努力してきたのだろうと思うのです。
だから、音楽家や映画監督、俳優さん、ダンサー、画家、作家・・・様々なジャンルで活躍される方々が折に触れ結弦くんの演技をほめてくださったり、注目してくださったりするのはつまり、「真髄は真髄を知る」ということなのではないかと思われます。
そしてもちろん、真髄を極めた芸術というのは、何も真髄を極めた方々のためのものではなくて、真髄を極めたからこそ・・・一般の人々に受け入れられるのだと思います。
それが、本物の芸術の真の在り方なのだろうと思います。芸術とは・・・人を救う力のあるもの、なんですね。だから・・・知識のあるプロの方はもちろん、そうじゃない一般の人々の魂をも揺さぶってやまない。それが、本物のチカラなのだろうと思います。
フィギュアスケートという狭い世界でのジャッジがどうであれ、私は結弦くんのスケートが大好きです。
「これを表現したいと思ったことにブレがなく、とことん突き詰めるんです。そして、『ここに音が欲しい』というような希望も、曲が壊れるようなものではなくすごく的確です。自分の作品として滑ろうという思いが伝わってきました」
「主のメロディだけじゃなくて、装飾音など小さな音までも感じ取って、手先の動きだとか細かな表現ができる。彼は本当に曲を聞き込んで、身体に染み込ませています」
新プログラムの編曲者で音響デザイナーの矢野桂一さん
2021.01.21 Number1019号
毎日新聞 2021.04.14より
「羽生選手は技術はもちろん、動きが音楽とぴったり合っているところが特に素晴らしい。ジャンプ以外のところ、つなぎの動きが音楽に溶け込んでいるよう」
指揮者・松尾葉子さん
能楽を確立させた世阿弥のエピソードと重ねて・・・
「本当に芸を極めた人は(観客の)反射で捉えている。恐らく羽生選手もその域まで達している」
歴史作家・加来耕三さん
5月7日
5月17日
5月18日
5月19日
一日も早く終息してくれるとよいですね・・・。
明日も結弦くんと皆さんの健康と幸せが守られますように。
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