市民を巻き込むための二番目は、何をすれば市民が喜んでくれるかを知ることでしょう。
そして、それを実際に行なうことでしょう。
泉元明石市長は、子育て支援事業に多くの予算を計上しました。
そのために、反対を押し切って、公共事業その他の予算を削減しました。
若い家族連れが喜ぶ政策に資源を集中して、成功しました。
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あなたは、政府が何をしてくれると嬉しいですか?
と聞かれたら、どう答えますか?
私の場合は、もちろん減税です。
減税をすれば、多くの人々が喜ぶはずですが、
喜ばない人もいます。
それが財務官僚です。
減税と言う言葉は、財務省内ではタブーなのです。
減税を言うと、財務省内では大騒ぎとなります。
減税を言った官僚は、冷や飯を食わされます。
増税した官僚は出世します。
党内基盤が不安定なソーリが減税を言うと、倒閣運動が起きます。
なので、国民が減税を喜ぶことを知っていても、なかなかできないわけです。
しかして、
財務官僚が支配した国家は、
マスコミを使って、
・国民(実は政府)の借金が○○ある。
・子ども達に借金を残すな。
・そのためには、増税やむなし。
などといったキャンペーンを行ないます。
財務省が喜ぶ政策をする姿勢を示せば、ソーリの椅子を守れます。
(財務省の悪事については、数多くの記事がこのブログに収録されています。)
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相手の気持ちを考えるのは、日本人の特色です。
自己主張しないで相手の心を大切にする民族は、先進国では貴重な存在でしょう。
頭が良い財務官僚は、それを知っています。
それを知り大切にするのではなくて、逆用するのが財務官僚なのです。
財政が苦しい財政が苦しいと、マスコミを使っていつもアナウンスしています。
そのアナウンスを信じた多くの人々は、
・政府が苦しんでいるので、消費増税を受け入れなければいけない、
・我々が作った借金を、子孫に残してはいけない。
と考えて、
減税を言わず増税を受け入れ、自分の生活費を切り詰めます。
かくして、GDPの60%を占める個人消費は抑えられます。
GDPは伸びず、景気はよくなりません。
経済の悪循環を改善することはできません。
「うまく行った」と、財務官僚は大喜びなのです。
庶民の生活は改善されませんが、増税により彼等の懐は豊かになります。
・一般庶民は、相手の気持ちを大切にします。
・財務官僚は、一般庶民の優しさを逆用します。
・一般庶民は、一生懸命働いて納税します。
・税金を使う方の財務官僚は、肥え太ります。
このようにして、DS支配が強化されます。
今、
マスコミ VS SNS
の綱引きが激しさを増しています。
SNS世代が過半数を占めるころには、財務省の悪事が明らかになるのでしょうか?
元財務官僚で数量学者の高橋洋一氏によれば、選挙でのSNSの影響力は、2%らしいのです。
SNSでは圧倒的だった「飯山あかり候補」が思ったほど伸びなかったところからしても、当たっているのかもしれません。
・まともな政治家は、市民が喜ぶことをして市民の関心を高めることにより、市民参加の政治を行なおうとします。
・減税されると困る財務官僚は、マスコミを巻き込んで増税の必要性をPRします。
また、
・増税が必要と財務官僚から吹き込まれた政治家や評論家などは緊縮財政論者となり、財務省の肩を持つ発言を繰り返します。
・地上波では、減税を主張するコメンテーターは排斥されます。
・SNSでないと、私のような主張を見かけるのは困難となります。
そのような構図となって、国家レベルでのバトル(駆け引き)が行なわれています。
・積極財政が正解なのか?
・緊縮財政が正しいのか?
素人目には、どちらの言い分が正しいのか、なかなかわかりません。
お金をたくさん使った方が、景気がよくなって給料が上がりそうだし、
かといって、
借金ばかりが増えて、良いはずはないし・・・、
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話しがややこしくなってしまい、なかなか結論が出せないときには、できるだけ単純化することです。
単純化できれば、物事はわかりやすくなります。
・
私の結論は、単純明快です。
そもそもの前提条件が間違っています。
只今の政治の仕組みは、狂っているのです。
狂っている仕組みの中にいる限り、苦しみから逃れることはできません。
小さな政府が正しいのです。
・10年くらいかけて、行政をスリム化する。
・無駄な行政仕事を洗い出して、無くす。
・毎年、5%頭数を減らし、無駄な仕事を減らす。
・公務員の頭数を、10年後には、二分の一にする。
・防衛費は、2倍。
その減少した分は、人手不足で悩んでいる民間企業が吸収する。
そういった発想で行政改革を行なえば、問題の解決に近づけるでしょう。
泉元明石市長、石丸安芸高田市長、竹原信一元阿久根市長など、
行政改革に手腕を発揮した方々が力を合わせれば、できるはずです。
そして、
その道が、
市民が喜ぶ道であり、
DSの支配下から逃れる道でもあるはずなのです。